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協調を生みだす資本

ネット社会への期待も交えて

文量:新書の約16ページ分(約9500字)

はじめに

災害時のボランティアや、マナーやルールを守る行為など、人々はその属する社会のために、協調的に行動する時があります。

他方で、国や地域、組織などによっては、その行動の方向が、プラスではなくマイナスに向く場合もあります。また、行動の量や質も異なります。

したがって、人々が協調的に行動するにあたっての何らかの源は、個人にだけではなく、それぞれの社会にも内在していると考えることができます。言い換えると、目には見えにくいけど社会に影響を与える、何らかの資本が社会に内在するということです。

これは、社会関係資本(またはソーシャル・キャピタル)と呼ばれるものです。

では、その社会関係資本とは、どのようなものなのでしょうか。私たちが資本としてイメージする、お金や不動産は定量的で可視的ですが、社会関係資本の正体とはどのようなものなのでしょうか。また、インターネットの存在感が増していくであろう今後の社会においても、それを維持・蓄積していくことは可能なのでしょうか。

 

今回は、日本大学法学部・政治経済学科教授の稲葉陽二先生にお話を伺いながら、このようなテーマについて考えてみることにしました。

 

稲葉陽二いなばようじ先生

1949年(昭和24年)6月10日生まれ。1973年京都大学経済学部経済学科卒業。1973年日本開発銀行入行。1978年スタンフォード大学経営大学院修士課程(公企業管理)修了(MBA)。2001年日本政策投資銀行・設備投資研究所所長。2003年日本大学法学部・政治経済学科教授(~現在)。2015年博士(学術)(筑波大学)取得。専門はソーシャル・キャピタル論、日本経済論。

 

〈著書〉

  • 『ソーシャル・キャピタル入門』(中公新書)
  • 『企業不祥事はなぜ起きるのか ソーシャル・キャピタルから読み解く組織風土』(中公新書)
  • 『ソーシャル・キャピタルの世界 学術的有効性・政策的含意と統計・解析手法の検証』(共著/ミネルヴァ書房) など

 

 

第一章 社会関係資本の影響力

社会関係資本は、健康や、企業を中心とした経済活動、地域社会の安定、教育、災害への対応、政府の効率、などの領域において、個人や地域などを対象に、多様な影響を与えると言われています。ここでは、社会関係資本が影響を与えた実例から、その影響力について考えてみたいと思います。

個人間の臓器提供

1つ目は、個人間の臓器提供の実例です。2000年に刊行された、ロバート・パットナムの『孤独なボウリング』の中で紹介されたエピソードです[2]。

会計士のボシュマは、ボウリングを通じて知り合ったランバードに腎臓の提供を申し出ました。ランバードは、大学病院を退職した64歳のアフリカ系アメリカ人で、それまで3年間腎臓移植を待っていました。

一方、ボシュマは33歳の白人で「たまたまランバードの状態を知り、自分で予期しなかったことだが、自分の腎臓の片方の提供を申し出た」のでした。

彼らは、職業や世代、また白人とアフリカ系アメリカ人という違いを越えて、結びつきました。そして、サービスなどを介することなく、ボシュマはランバードに対して、臓器の提供を行ったのです。ボウリングという日常的な娯楽を通して築かれた関係が、命に関わる利他的な行動を生み出したのです。

地域の健康

2つ目は、地域の人々の健康に影響を与えた実例です。「ロゼトの奇跡」と呼ばれた、アメリカ・ペンシルヴェニア州の人口千数百人の田舎町ロゼトのエピソードです。

この町の1950年代から60年代にかけての心臓疾患の死亡率は、周辺の町や全国平均の値を大幅に下回っていました。労働環境は、石切り場を主要産業としているため楽なものではなく、また食生活も周辺の町と変わりませんでした。この死亡率の低さは、喫煙や食事、運動などの要因では説明できない低さでした。

ロゼトは、1880年代に同名の南イタリアの村からの移民によってつくられた町でした。その死亡率の低さは、この町がつくられた経緯に起因していたのです。1979年に刊行された『ロゼト物語』では、以下のようにその要因が記されています。

 イタリア系住民の間にある共通の目的意識と仲間意識により、仲間はずれや、裕福ではないことについて困惑させられる、といったことが決して起こらないようにしている。また、隣人に対する気遣いがあり、誰も決して見捨てられることはない。この、家族を生活の中心かつ砦としている驚くべき社会の一体感が、災難や困難に対するある種の安心と保険を与え、心筋梗塞や突然死のきわめて低い値をもたらしている。[3]

ロゼトの住民の間には、実際には経済格差があったようですが、表向きは皆つつまましい生活を送っており、裕福な人々が富を誇示することはなかったそうです。

しかし、1960年代以降、彼らの一体感や平等を重んじる価値観が消えていくのに反比例して死亡率が上昇し、周辺のコミュニティとの差はなくなりました。彼らの死亡率の低さに寄与していたのは、物質的なものではなく、何らかの精神的なものだったのです。

政府の効率

3つ目は、政府の効率への影響に関するものです。パットナムは、『哲学する民主主義』の中で、イタリアの州政府間の効率の違いは、社会関係資本の違いに起因するとしました。

パットナムは、①新聞購読率の高さ、②市民活動団体への参加率の高さ、③国民投票への参加率の高さ、④国政選挙における優先投票比率の低さ(優先投票とは、政党ではなく、特定の候補者への投票のこと。これが高いと、私益主義、派閥主義が強いと判断される)により、イタリアの州別市民共同体指数を作成しました。

その指数を用いた調査の結果、市民共同体指数と州政府のパフォーマンス指数は、非常に強い相関を示したのです。つまり、市民共同体の成熟度が高いほど、州政府のパフォーマンスが良好であるということです。

因果関係の議論は賛否両論ありますが、市民共同体の意識が高い地域では、市民から行政側へのモニタリングが効き、地方政府の首長の独善で行政を行うことはできません。政府は、情報公開により透明性を高めるなど、市民の協力を得られるよう努力することで、必然的に効率的な行政が行われることになると考えられます。

 

他にも、社会関係資本の、地域の安全や教育水準などへの影響についても考察されており、その影響範囲は幅広いものであると考えられています。

では、その社会関係資本とは、何なのでしょうか。どのような要素によって構成され、どのような性質を有するのでしょうか。また、「資本」という言葉でイメージする、お金や不動産などとは、どのような違いがあるのでしょうか。

第二章 社会関係資本とは

社会関係資本の定義と構成要素

社会関係資本の定義は研究者によって様々ですが、信頼・規範・ネットワークという三要素は基本的に含まれています。本書では、これら基本三要素に「心の外部性」を加えた、「心の外部性を伴った信頼・規範・ネットワーク」を社会関係資本の定義とします。これは、稲葉陽二先生が提唱している定義です。

心の外部性については後述しますので、ここでは、信頼・規範・ネットワークの三要素について概説します。

 

信頼とは、他者への信頼であり、信頼“関係”という言葉があるように、双方向的な意味合いを持ちます。似た言葉として信用がありますが、信用“関係”という使い方はせず、こちらは一方向のものになります。友達などの深い関係の他者そのものを思うときの言葉が信頼であり、スキルや与信力を測る時などに使う言葉が信用です。

規範とは、「情けは人のためならず」「持ちつ持たれつ」「お互い様」といった互酬性をはらんだ規範を指します。

ネットワークとは、人やグループ間のつながりや絆を意味しています。

 

前述した「個人間の臓器提供」「地域の健康」「政府の効率」のエピソードは、これら三要素が基となって起きた事象であると言えます。つまり、これら三要素が蓄積されている社会は、何らかの好影響を享受できる可能性が高いと考えられます。

 

社会関係資本の性質

社会関係資本の性質として、ここでは「心の外部性を伴う」「内部化できない」「双方向・非中央集権的に蓄積される」「格差により毀損する」という4つについて概説します。

心の外部性を伴う

外部性とは、ある取引が当事者以外の第三者に、市場を通さずに影響を及ぼすことを言います。その外部性のうち、便益を与えるものを外部経済、損害を与えるものを外部不経済と言います。

外部経済の例としては、養蜂業者の蜂が果樹園で花の間を飛び回り、果樹園の花から蜜を集めると同時に受粉するケースです。この場合、市場を通さずに養蜂業者と果樹園主の双方が便益を得ています。尚、養蜂業と果樹園のそれぞれの営みに関する取引においては、養蜂業にとっての果樹園、果樹園(農業)にとっての養蜂業は、いずれも当事者以外の第三者ということになります。

外部不経済の例としては、企業などが汚染物質を排出することによって生じる公害です。この場合、汚染物質排出に関連する取引や市場に関係のない、漁業者などが損害を受けることになります。

 

社会関係資本は、市場を通さずに個人や地域などに影響を与えていることから、外部性を有するということになります。

また、社会関係資本の外部性は、公害などの物理的な外部性と異なり、人が心の中で認識するか否かに負うことになります。信頼、互酬性の規範、ネットワークは、目に見えるものではなく、個々が心の中で認識するものです。したがって、社会関係資本は、心の外部性を伴う、という性質を有することになります。

内部化できない

通常、外部性は、外部経済でも外部不経済でも、市場に内部化することができます。例えば、公害の場合は、汚染物質の排出に課税することで、課税額が製品価格に上乗せされ、取引や市場に取り込まれることになります。これによって、企業は汚染物質の排出を減らそうと努力し、第三者に損害を与えることがなくなります。これを、市場に内部化すると言います。

しかし、社会関係資本における心の外部性は、市場に内部化しない方が価値があるケースが多くあります。

前述した、ボシュマがランバードに臓器提供した事例は、無償の利他行為でした。ここに、個人の善意ではなく、臓器市場を作った方が、効率的に移植を行えるはずだ、という議論もあるかもしれません。

ただ、金銭的契約が伴うドナー登録に、登録者は増えるのでしょうか。家族は了承するのでしょうか。少なくとも、ボシュマは相手がランバードだから腎臓の提供をしたのであって、収入を得たいためではありませんでした。

このように、社会関係資本の外部性は、市場に内部化すると、人の心を踏みにじる可能性が高く、社会関係資本自体を毀損することになります。したがって、市場を補完するものとして位置づけ、内部化しない方が良いことが多いのです。

双方向・非中央集権的に蓄積される

信頼・互酬性の規範・ネットワークの三要素の共通する特徴から、社会関係資本は、双方向・非中央集権的に蓄積されると言えます。三要素とも、信頼“関係”、“互”酬性の規範、つながり・きずな、という意味を持つ、あるいは連想させるものです。これらは、自分から相手へだけではなく、相手から自分へという、双方向的な心の矢印があってはじめて形成・蓄積されるものです。

また、三要素とも、トップダウンのような強制によってではなく、個々の自発的な意志によって形成されることから、非中央集権的に蓄積されると言えます。逆に言うと、単方向で中央集権的には、あるいはそういった環境の中では、社会関係資本は蓄積されにくいと考えられます。

格差により毀損する

社会関係資本は、格差が毀損要因の一つであると考えられています。

格差があると、互いに共通するものがないと感じ、特に経済的に上位にいる人は、下位にいる人と交流を持つ動機が薄れていきます。また格差が拡大すると、努力によって人生を切り拓こうとする倫理が損なわれ、個人的利得のための攻撃的な搾取や、劣等感による権威主義が生まれます。これによって、社会全体において直接的及び間接的に信頼が損なわれていきます。

同時に、格差は、自分たちの仲間内だけを信頼する、特定化信頼を育てると言われています。これは、そのグループ外の人々を信頼しなくなっていくことを意味し、ネットワークが閉じた分断されたものになっていきます。互酬性の規範も、その閉じたネットワークの範囲内でのみ機能することになるでしょう。

このように、格差は、信頼を損なわせ、ネットワークを閉じた狭いものにし、互酬性の規範の及ぶ範囲も狭めてしまいます。

前述したロゼトの奇跡の例でも、当初は格差があっても、皆それを感じさせない慎ましい生活をしていました。しかし、その後、平等や一体感の価値観を失うと共に、健康の他地域に対する優位性が損なわれていきました。

つまり、仮に格差はあっても、お互いにそれを感じさせないことで、社会関係資本の毀損を防ぎ、人々がその影響を享受できるということです。

 

ここまで、社会関係資本の影響力と、その構成要素や性質を概説してきました。

近年、社会関係資本の毀損要因である、個人間の経済格差が拡大していると言われています。また、高度経済成長に伴う都市部への出稼ぎ労働で、地縁は損なわれ、最近では大企業の終身雇用の維持困難ということが公言され、社縁も崩れ始めています。

このような背景から、ここ数十年は、社会関係資本が毀損の方向へ向かうような、ネガティブな状況でした。

しかし、社会関係資本の新たな蓄積先として、インターネット上の社会が、可能性として考えられるようになってきました。ネットサービス内の人々の行動や、技術やサービス開発の思想、またはネットから生まれた経済圏を見ていると、社会関係資本との相性が良いのではないかと考えられるということです。

第三章 社会関係資本の蓄積先としてのネット社会

ここでは、社会関係資本とインターネットが、なぜ親和性が高いと考えられるのか、両者の性質を比較しながら考えていきたいと思います。

双方向・非中央集権というネット思想

社会関係資本は、双方向・非中央集権的に蓄積される性質を持つ、ということを前述しました。

インターネットの登場によって、企業と個人間などの、情報の非対称性が解消されてきました。企業などの資本力がある存在だけでなく、個人も情報発信できる、双方向でフラットな社会に近づきました。そもそもインターネットは、電力やガスと比較して、インフラ提供者はいますが、供給に関する中央管理者はおらず、非中央集権的です。インターネットというインフラの上に生み出されたブロックチェーンも、非中央集権的です。

つまり、インターネット自体と、その周辺で生み出される技術やサービスは、双方向・非中央集権的でおり、社会関係資本が蓄積されやすい環境であると考えられます。

格差を感じさせない経済圏

社会関係資本は、格差が表面化すると毀損していきます。

しかし、シェアリングエコノミーの誕生によって、金銭的負担が少なく、あるいは物々交換のような形式で、モノやコトが手に入るようになりました。また、その取引の過程でも、ネットワークの広がりや信頼関係が生まれています。また、ネットサービスは、無料で使えるものが多く、ソフトに関しては配信コストがかからず安価であるため、格差を感じずに利用できます。

つまり、ネット上では、格差を感じることが少ないのです。したがって、蓄積された社会関係資本が毀損されにくいという可能性が考えられます。

信頼とネットワークを生み出しているインターネット

インターネットやスマホが登場した当初は、利用者は若者が中心でしたが、現在では幅広い世代に使われています。

無料のサービスが多いということも手伝って、SNSやゲームの利用者も幅広く、そのサービスを通して、世代や職種などの垣根を越えたネットワークが広がっています。また、そのネットワーク内の交流を通して信頼関係が生まれたり、また直接の出会いを生み出すマッチングアプリの利用も一般的になってきました。

つまり、ネットサービスが、人々のネットワークを広げ、信頼関係を生み出し、それがネット上だけではなくリアルな世界にも波及していく、ということが起きてきています。

 

このように、インターネット上には、社会関係資本が蓄積されやすく、且つ毀損されにくい環境が存在する可能性が考えられます。そして、実際に信頼やネットワークが形成されてきています。したがって、リアルな世界では損なわれてきていると感じられる社会関係資本が、今後ネットという社会に蓄積されていく可能性は十分に考えられます。

リベル:クラウドファンディングによる支援や、SNSなどによる新たなつながりや出会いなど、確かに社会関係資本がネット上に蓄積されているように感じる。他方で、誹謗中傷が横行したり、SNS疲れが生じたり、社会関係資本を損なう負の力も大きいと感じる。ネット上に社会関係資本を蓄積していくためには、何を前提条件としなければいけないのだろうか。

第四章 社会関係資本のゆくえ

社会関係資本は、個人や地域に対して、健康や企業を中心とした経済活動、地域社会の安定、教育、災害への対応、政府の効率、などの幅広い領域で、時には命に関わるほどの深さで影響を与えるものです。

しかし、社会関係資本は、格差により毀損されるという性質から、格差が拡大傾向にある現代の社会においては、今後も毀損されていく可能性が高いと考えられます。

さらに、資産や所得などの経済格差だけではなく、AIによる仕事の代替によって、個々のスキル面での格差なども生じる可能性があり、より社会が分断していく可能性があります。また、高齢化社会においては、働けなくなった高齢者との格差についても配慮する必要があります。

 

このように、近年は、社会関係資本という観点においてはネガティブな状況でしたが、インターネットの上に目を転じると、ポジティブな可能性も見いだせました。

インターネット上には、双方向・非中央集権的な環境が存在し、実際に信頼やネットワークが形成されてきています。また、格差を感じずに利用できるサービスが多いことから、ネット上で形成・蓄積された社会関係資本は、毀損されにくいと考えられます。

つまり、インターネットと社会関係資本は、親和性が高いという可能性が考えられました。

 

さらに、社会関係資本は外部性を有しますが、心の外部性であるため、市場に内部化すると価値が損なわれるケースが多くあると考えられます。

したがって、市場を補完するものとして、別の枠組みで、社会に蓄積・維持されていくことが望ましいと考えられます。

インターネット及びそのサービスの利用が、より日常的で多世代的になってきている状況を踏まえると、その一つの社会をインターネットの上に求めることは、決して非現実的ではないのかもしれません。

これまでは、便利なサービスを使う場としてのインターネット、というイメージでした。しかし、これからは、リアル社会の変化も相まって、社会関係資本が蓄積されるような、社会としてのインターネット、になっていくのかもしれません。

 

最後に、稲葉先生にこんな問いを投げかけてみました。

「社会関係資本が蓄積され、協調的な行動が生まれている社会やコミュニティは、何が特徴的なのでしょうか。」

 

稲葉先生:価値観の共有が成されていると考えています。そのようなコミュニティは、歴史や文化が、コミュニティ内の様々な活動によって、継承されていることが多いのです。

私の研究のフィールドに、長野県須坂すざか市というところがあります。人口5万人程度の地方の中規模都市です。

この地域では、街並み保存や「助け合いマップ」の作成、県立病院の婦人科休止に対する住民運動など、利他的・協調的な活動が多く行われています。しかも、10年前にも一度調査したのですが、その時からそれらの活動は衰退することなく継続されているのです。

実際に、「一般的に人は信頼できる」というアンケートに対する回答は、肯定的な回答が、2008年の34.2%から2018年には49%へ上昇しています。全国平均は、27.3%ですから、須坂市の信頼度は極めて高いのです。

実は、須坂市は、ここ20年ほど逆境的な状況にありました。元々は富士通の企業城下町でしたが、その撤退に伴い、製造業の従業者数は2005年から2014年で1割強減少し、商業店舗数も2002年から2014年で3割強減少しました。人口も、1998年の55,000人弱から、2017年には50,000人強へ減少しています。

このような状況においても、信頼、互酬性の規範、ネットワークが維持されたのは、「須坂モデル」という仕組みが機能しているからではないかと考えています。

須坂市では、11地域のうち10地域で、市立の幼稚園から小学校への9年間の一貫教育体制が敷かれています。また、PTAと町が協力して、小学校の統廃合の動きも抑制しました。また、成人すると、男性は消防団に、女性は保健指導員の地域組織に属することが多いのです。

このようにして、小さい時から価値観や規範を共有し、また世代を越えた住民間のネットワークも維持・形成される仕組みが整えられているのです。須坂市では、電車に乗っていると、子どもが小声で話しているんですよ。パブリックな場ではプライベートな話は小声でする、という規範が守られているのです。

こういう話をすると、そういうモデルがないところはどうすれば良いのか、ということを聞かれます。確かに、社会関係資本は、それぞれが歴史的・文化的な背景を反映した、ユニークな社会的文脈によって育まれるものです。築くには時間がかかります。

さらに、現代は、地縁や社縁も薄れてきており、格差も拡大してきているので、社会関係資本の維持や形成をするにあたっては、確かにネガティブな状況であると感じていました。

しかし、最近のインターネットの世界の発展や技術進歩を見ていると、今後はバーチャルな空間で社会関係資本が育まれるのではないか、という可能性も十分に考えられると思っています。

 

〈参考・引用文献〉

  1. 稲葉陽二著(2011)『ソーシャル・キャピタル入門』(中公新書)
  2. ロバート・パットナム著、柴内康文訳(2000,2006訳)『孤独なボウリング』(柏書房)
  3. Bruhn and Wolf(1979)『ロゼト物語』

 

 

 

 

 

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