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変化を生きる生物

長期戦略のベースコンセプトを考える

文量:新書の約35ページ分(約17500字)

はじめに

変化が激しいと言われる現代において、長期の目線で事を成すには、どのような戦略や考え方が必要なのでしょうか。起きる変化が定かではなく、軌道に乗り始めたところで思わぬ敵が現れることも考えられます。そのような想定し難い未来の変化や敵に対して、どのような戦略をもって、目的に向かって進んでいけばいいのでしょうか。

 

人類を含めた生物は、大きく変化する環境の中で長い歴史を生きてきました。例えば、この10億年ほどの間に少なくとも4回地球が氷に包まれました。さらに、数千万年前から続く新生代以降は何十回もの氷河期が襲っています。この最後の氷河期は私たち人類の祖先も経験しています。そのような激烈な環境変化の中、生物は生存することを大目的として生き抜き、現在でも多くの種が繁栄しています。

その大目的を果たすために、生物はどのような戦略をもって生きてきたのでしょうか。私たち一人ひとりや企業や事業の寿命と比べるとはるかに長い時間軸の生物の生存戦略から、事を成すための示唆を得たいと考えています。

 

今回は、静岡大学創造科学技術大学院教授の吉村仁先生にお話を伺いながら、このようなテーマについて考えてみました。今回の紹介は、吉村先生の後記する著書の内容をリベルなりに書き直して紹介しながら、ヒトの企業運営への応用・展開を試みてみました。

 

吉村仁よしむらじん先生

1954年神奈川県生まれ。ブリティッシュ・コロンビア大学研究員、インペリアル・カレッジ個体群生物学センター研究員などを経て、現在は静岡大学創造科学技術大学院教授(工学部システム工学科兼務)およびニューヨーク州立大学併任教授、千葉大学客員教授。専門は数理生態学で、主に進化理論を研究している。1987年に発表した環境不確定性の論文が、進化理論研究の第一人者、英国のメイナード・スミスらが書いた「Nature」誌のレビューに引用され一躍注目を集めた。

〈著書〉

  • 『強い者は生き残れない』(新潮選書)
  • 『なぜ男は女より多く生まれるのか』(ちくまプリマー新書)
  • 『素数ゼミの謎』(文芸春秋) など

 

 

第一章 生き残るのは強い者ではない

「環境は変化する」が生物進化に対する見方を変える

生き残ることは、生物の一つの大きな目的です。

現代の先進国に生きる私たちは、生き残る以外の様々な目的や目標を持ちますが、それは生存に対するリスクを下げてきた先人たちの試行錯誤の上に、成り立っているものであると考えられます。逆に言うと、現在の人間社会に存在するルールや仕組みは、生存リスクを下げるために構築されてきた側面があると考えられます。

人類ほど多様で複雑ではなくても、他の生物も、生き残るために様々な生存戦略を有しています。そしてその生存戦略は、「環境は変化する」ことを前提にしていなければ、生き残りに有利に働きません。ここで環境とは、生物の個体が感知したり、影響を受ける周囲の状況のことを指します。環境には、太陽や大気、植物や動物などのあらゆる周囲のものが含まれます。ただし、感知できなくてかつ影響を受けないものは含まれません。例えば、犬は色覚がないため、周囲の色は犬にとっての環境には含まれません。

 

「環境は変化する」を前提とすることは当たり前のように思われるかもしれませんが、生物進化を考える上で重要な点なので、ここでは少し丁寧に説明させてください。

進化の理論では、「環境」が生物の生存率や繁殖率に影響を与えるとされます。環境に適応した遺伝的特性を備える者が生き残り、そうでないものは淘汰されていくという考え方です。このような考え方を「自然選択(淘汰とうた)」と言います。主体はあくまでも個体の周囲にある自然であり、自然が生き残る個体を選択(淘汰)するという考え方です。ちなみに、「環境」ではなく「自然」という単語が使われているのは、この理論をダーウィンが導き出した時には、まだ「環境」という概念が確立されていなかったためです。

ダーウィンの進化論では、「より環境に適応した生物が生き残る」とされました。一見すると当たり前のようですが、では周囲の環境が変化した場合には、その変化前の環境に適応した生物はどうなるのでしょうか。生存できるのでしょうか、それとも淘汰の対象になるのでしょうか。例えば、暑さに強い生物は、寒さに弱いと考えられます。「より環境に適応した生物」は、変化する環境下でも生き残り続けることができるのでしょうか。「環境は変化する」という前提を置いた時、このような疑問が浮かんできます。Aという環境により強く適応した生物は、変化後のBという環境で果たして生き残り続けることができるのかという疑問です。

実は、ダーウィンの進化論では、「環境は変化する」という前提が考慮されていませんでした。環境が一定で安定的であるという前提のもと、「より環境に適応した生物が生き残る」と考えられたのです。生物が環境に適応する度合いを「適応度」と言いますが、ダーウィンの理論では適応度の高い生物が生き残ると考えられたのです。

しかし、「環境は変化する」ことを前提とすることで、「より環境に適応した生物」は必ずしも生き残りに有利ではなくなります。環境が変化してしまえば、適応度が一転して低くなる可能性があり、最悪の場合絶滅することもあるからです。ある環境への適応度が高いほど、それと対極の環境が訪れた場合に絶滅する可能性が高くなります。このように、「環境は変化する」ことを考慮することで、生物の生存戦略で目指すところは、いかに環境に適応した強い者になるかではなく、変化する環境の中でいかに長期目線で絶滅を回避するか、にあるという見方が妥当であると考えられるようになります。

強い者を目指さない生存戦略の例

例えば、そのような生存戦略の意図は、シジュウカラという野鳥の産卵数に見られます。

生物の「生き残り」とは、自身の生き残りだけではなく、子孫を産み育て、遺伝子を存続させていくことを意味します。つまり、いかに子孫を多く残すかということも、生物の「生き残り」という目的においては重要なのです。

しかし、シジュウカラは、自身が産み育てられる子の数よりも、かなり少ない数の卵しか産まないことが分かっています。これは、一見すると生き残りという目的に反する特性であると考えられます。生き残りという目的の上では、自分が育てられる目一杯の卵を産み育てる方が合理的であると考えられるためです。ただ、環境が変動することを前提とすると、余裕を持たせた産卵数は、生存戦略として妥当であると考えられるのです。

環境が変動すれば、育てられる子の数も変動します。エサが豊富で気候もシジュウカラにとって好条件であれば、多くの子を育てられます。他方で、旱魃などの悪条件であれば、育てられる子の数は少なくなります。シジュウカラが、このような条件を予測して産む卵の数を調整できればいいのですが、それは困難です。悪条件にも関わらず多くの卵を産み育てようとすれば、子が全滅する可能性があるだけではなく、親自身も共倒れしてしまう可能性があります。自分の子孫をのこせない親のとる戦略は、その種から消えていきます。もしシジュウカラにこのような悪条件をかえりみない戦略(豊富なエサに合わせた多くの卵)を取っていたら、すべての親子が死んでいき、シジュウカラという種自体の絶滅につながるのです。いま、シジュウカラはこのような多産戦略をとらないから、生き残っているのです。

このような理由でシジュウカラは、実際に育てられる子の数よりも、かなり少なめに卵を産むように進化したのだと考えられています。環境が変動することを前提に、良い環境に最大適応するのではなく、良くても悪くても生き残れるように「そこそこの適応」をしたのです。ある実験では、シジュウカラは13羽程度の子育て能力があるにも関わらず、それよりも3〜4羽少ない8〜9羽程度しか産卵しないことが確認されました。他にも、ワシカモメの場合は、6羽育てられるにも関わらず、実際には2〜3羽しか産み育てないことが分かっています。

 

ダーウィンの進化論「より環境に適応した生物が生き残る」を前提とすると、その時点の環境に強く適応している生物が生き残るということになります。しかし、環境が変動することを前提とすると、環境への強い適応ではなく、「そこそこの適応」が長い目線での生き残りには有利であると示唆されるのです。

本書を読んでいただいている方の中には、生き残りや絶滅回避という目的を、自分ごととして感じられない方もいるでしょう。私は少しそう感じてしまいました。現代社会では、生き死にの問題に直面することが少ないからです。ただ、生物の環境変化を前提とした戦略の先には、繁栄した生物の姿を見ることができます。したがって、環境変化を前提とした生物の長期目線の戦略からは、変化が激しく人生100年と言われる時代を有意義に生きたいと思う私たちも、十分にヒントを得られると考えています。そのような生物の生存戦略を掘り下げる前に、次章では「そこそこの適応」がいかに環境変化に有利であるかを、もう少し詳しく見ていきたいと思います。

第二章 環境変化に有利な「そこそこの適応」

本章では、具体的な計算をしながら、「そこそこの適応」が変化する環境において有利であることを示していきたいと思います。途中、「幾何平均きかへいきん」という数学の概念を紹介する節が出てきますが、その節は読み飛ばしていただいても問題ありません。その次の節の計算結果やグラフを読んでいただければ、読み進めに問題がないように考慮しています。

「数」による比較 –長期では大きな差になる-

ここでは、そこそこの適応と強い適応の有利さの比較を、子孫として残せる個体数で行っていきます。計算は単純化して行うこととし、具体的な条件を以下のように設定します。

 

〈計算条件〉

  • 1匹のメスに対する子の増加数・増加率を想定する(オスも考慮すると増加率を2で割らなければいけなくなり、計算が複雑になるため)
  • 子は親になるまで無事育ち、次の子を産めることとする(子が親になる前に死ぬことを考慮すると計算が複雑になるため)
  • 2つの環境(AとBとする)世代ごとに切り替わり、そこそこの適応の者は環境に関係なく毎世代2匹ずつ産み育てられる。他方で、強い適応の者は、Aに強い適応を示すと仮定しAでは3匹産み育てられるが、Bでは1匹しか産み育てられないこととする

 

この計算条件に基づいて、世代を越えて残していける子の数を計算していくと、以下の表のような結果になります。

 

 

そこそこの適応と強い適応を比べると、5世代目あたりまでは両者は拮抗しています。しかし、6世代目あたりからそこそこの適応が有利になり始め、10世代、100世代ではその差は大きなものになっています。

注目すべきは、そこそこの適応も強い適応も、世代ごとに産む子の数の平均は「2」で同じであるということです。そこそこの適応は毎世代2匹ずつなので平均は2ですし、強い適応も3・1・3・1とくり返しますが、その平均は(3+1+3+1)/4で2となります。しかし、世代を越えて残せる子孫の数には大きな開きが生じます。これは、子孫の繁栄が、足し算の概念ではなく、過去世代の蓄積に現世代の出産が掛け合わさっていく掛け算の概念で表されるからです。掛け算の概念の子孫の繁栄においては、そこそこの適応でコンスタントに子を産み育てる方が、長期目線では有利であると言えるのです。そして、世代が10世代、100世代と積み重なるごとに、その差はとてつもなく大きなものになっていくのです。

そこそこの適応と環境変化の関係を、さらに深掘りしていきましょう。ただその前に、深掘りに必要な「幾何平均(相乗平均)」という概念について紹介します。

適応度の比較に用いる「幾何平均」の紹介

前章では、子孫繁栄の比較を10世代、100世代と積み重ねた最終的な「数」で行いました。この最終的な子孫繁栄を世代ごとの平均で表すことができれば、繁栄の「度合い」で比較できるようになります。その平均化する際に必要なのが、幾何平均です。そして本書では、幾何平均を用いて表す1世代あたりの子孫数の平均成長倍率を、「幾何平均適応度」と呼ぶこととします。

結論から言うと、幾何平均適応度は、n世代目の最終個体数のn乗根で表されます。ここで、nは世代数であると同時に、出産回数であるとも言えます。例えば、10世代目のそこそこの適応と強い適応の幾何平均適応度はそれぞれ以下のように表されます。

 

  • 幾何平均適応度:(x1×x2×x3×・・・×xn)1/n ここで、xiはi世代の単位出産数
  • そこそこの適応:(2×2×2×2×2×2×2×2×2×2)1/10=2
  • 強い適応:(3×1×3×1×3×1×3×1×3×1)1/10≒1.73205

 

それぞれの幾何平均適応度の結果を、10乗すれば10世代目の子の数になります。実際に210=1024となり、1.7320510≒243となります。

平均と言うと、(3+1+3+1)/4=2のような、足し算の合計を足した回数で割るという方がよく用いられると思います。この平均を「算術平均(相加平均)」と呼びます。足し算の概念の場合はこの算術平均で良いのですが、今回の子孫繁栄は前述したように掛け算の概念であるため、今回用いた幾何平均が適切なのです。実際に、強い適応の1世代あたりの出産数の算術平均は2となりますが、この2を10回掛けたり足したりしても10世代目の個体数にはなりません。

 

この幾何平均の計算式は、もう少し別の解釈ができます。幾何平均の数式は、べき乗根の公式を用いると以下のように展開できます。ここでは、この後の説明を分かりやすくするために、強い適応の4世代目までを例として用います。

 

  • 公式:(a×b)1/n=a1/n×b1/n
  • 公式を用いた展開:(3×1×3×1)1/4=31/4×11/4×31/4×11/4=(31/4)2×(11/4)2=31/2×11/2

 

今回の計算条件では、環境AとBが交互に繰り返され、強い適応の者はAでは3匹、Bでは1匹産み育てられることとしました。そして、4世代目までではAの環境が2回訪れるので、2/4=1/2の確率でAの環境が、同様にBの環境も1/2の確率で訪れることになります。したがって、上記の最終の式が示すことは、幾何平均適応度は、環境ごとに産み育てられる子の数に、その環境が訪れる確率でべき乗した数の、掛け合わせで示されるということです。

「度合い」による比較 -環境変化に強いのは「そこそこの適応」-

それでは、少し長くなってしまいましたが、ここまで紹介した幾何平均の概念を利用して、そこそこの適応が環境変化に有利であることを示していきたいと思います。

今度は、適応タイプ3つ(a、b、x)と環境2つ(A、B)を想定します。タイプaは、環境Aへ強く適応しており子を平均2残せますが、Bでは子を平均0.4しか残せません。反対にタイプbは、環境Bへ強く適応しており子を平均2残せますが、Aでは子を平均0.4しか残せません。タイプxは、環境AにもBにもそこそこの適応をしており、いずれの環境でも子を平均1.1残すことができます。また、環境AとBはそれぞれ確率1/2で訪れることとします。これらの条件をもとに、前述した幾何平均の概念を用いて幾何平均適応度を求めると、以下の表のような結果になります。ここで、幾何平均適応度とは、1世代あたりの子孫数の平均成長倍率として定義しています。

 

 

タイプaとbの適応度の算術平均は(2+0.4)/2=1.2で、対してタイプxの適応度の算出平均は1.1となるため、一見するとタイプaとbの方が有利です。しかし、幾何平均適応度を計算すると、1を超えるのはそこそこの適応のタイプxだけになるのです。タイプaとbは1を下回っているので、世代を重ねるごとに個体数は減少していき、いずれは絶滅してしまいます。

この計算条件では、環境AとBが起こる確率をそれぞれ1/2としました。では、確率が1/2でない場合はどうなるのでしょうか。確率1/2とは、異なる環境AとBが交互に訪れることを意味し、環境変化が最も激しいことを意味します。そこで次に、環境Aが起こる確率P(A)を変化させた場合の各タイプの幾何平均適応度を比較してみたいと思います。確率P(A)を横軸に、P(A)に対するタイプa、b、xの幾何平均適応度を縦軸にとったグラフを以下に示します。

 

 

グラフ1において、横軸の値P(A)が0とは環境Aが起こる確率が0ということなので、環境Bがずっと続くことを意味します。この状況では、環境Bに強く適応したタイプbの幾何平均適応度Gbが最も高くなります。反対に横軸の値が1とは環境Aが起こる確率が1ということなので、環境Aがずっと続くことを意味します。この状況では、環境Aに強く適応したタイプaの幾何平均適応度Gaが最も高くなります。また、全体として環境Bが訪れる確率が高い場合(P(A)=0〜0.3付近)は、タイプbの幾何平均適応度が高く、反対に環境Aが訪れる確率が高い場合(P(A)=0.7〜1付近)は、タイプaの幾何平均適応度が高くなります。

注目すべきは、そこそこの適応タイプxが他の2タイプに比べて有利になるのは、P(A)が0.5付近であるということです。前述したように、環境A、Bの訪れる確率が1/2とは最も変化の激しい状態を示しています。したがって、変化が激しい環境であるほど、そこそこの適応の者が有利になるということが言えます。他方で、AかBいずれかの訪れる確率が高い場合は、その環境に適応した者が有利になりますが、それでもタイプxは幾何平均適応度が1を常時超えているので、あくまでも単純化した計算においてですがタイプxが絶滅することはありません。

 

このように、変化が激しい環境においては、そこそこの適応の者が生き残り、特定の環境に強く適応しすぎた者は生き残れないのです。ある環境で他者を寄せ付けないような強さを発揮している者は、別環境での脆さを内包している可能性があると言えます。

 

では、環境変化に強いそこそこの適応とは、どのように獲得していけばいいのでしょうか。「そこそこ」を目指すのは、目標イメージを持ちにくく逆に難しいように感じます。次章では、そこそこの適応の意味を考え解釈を変えることで、長期戦略を考える基点に落とし込んでいきたいと思います。

コラム:黒字経営、安定成長を続けることの意味

第二章の表1では、子を世代によらず一定のペースで産み育てる場合と、毎世代変動がある場合では、長期的に大きな差となることが示されました。これを企業の成長に当てはめると、どのようなことが言えるのでしょうか。このコラムでは、以下のような計算条件で、安定成長と変動成長とを比較し、安定的な黒字経営の意味について考えてみたいと思います。

 

〈計算条件〉

  • 毎期一定成長率の「安定」と、期ごとに成長率が異なる「変動」を比較する。「変動」は、その変動幅に応じて大、中、小と分けて比較する
  • 成長率とは、資本の成長率を言うこととする
  • 成長率は、「安定」は毎期5%、「変動大」は40%と-30%を交互に、「変動中」は20%と-10%を交互に、「変動小」は10%と0%を交互に繰り返す。いずれも、成長率の算術平均は同じ5%である(例:(40%+(-30%))/2=5%)

 

この計算条件に基づく結果を表3に示します。変動の場合は、資本の値が奇数期に大きく、偶数年に小さくなる傾向があるため、30期、100期にはその前期の奇数期も合わせて載せています。

 

 

表より、5期目くらいまではそれぞれの資本に大きな差は見られません。しかし、9・10期目になると、変動大の資本は安定に比べて3割程度小さくなっています。さらに期を重ねると、29・30期目には変動大は元手資本の1を割り込むかたちになり、変動中も安定に比べて2割程度資本が小さくなっています。変動小は、30期目まで安定との間に大きな差は見られず、99・100期目になってようやく1割程度の差が見られるようになります。したがって、毎期の成長率の変動が少ない方が、長期でみると資本が大きくなっていくと言えます。

成長率の変動の大きさは、事業環境の変化によっても生じますが、借り入れなどによるレバレッジをかけた事業や投資を行う場合にも生じるようになります。レバレッジをかけることで、資本が積み重なるのを待たずして早いタイミングで大きな事業を行うことができます。しかし、変動の大きな経営を続けることは、成長率を足し算した平均ではプラスになっても、掛け算の考え方である長期の資本成長という点においてはマイナスになります。これは変動の大きな経営を継続的に行うことのリスクであると考えられます。投資においても、一回一回はとても小さな危険でも、レバレッジをかけた投資を継続することは破産リスクをとても大きくします。コンピュータプログラムによる投資などは、投資回数が飛躍的になり、破産確率はほぼ1に収束するのです(吉村先生らの論文Nii et al. 2019下記参照)。それとは反対に、毎期の利益はそれほど大きくなくても黒字を出し続ける企業は、いずれは大きな資本を手に入れ、大きな事業を手がけられる存在になっているのかもしれません。

また、このような長期成長の考え方は、お金的な資本だけではなく、取引先や顧客との信用に対しても当てはまるのかもしれません。ある取引で大きな信用を得ても、別の取引でそれを損なうような変動の大きな関係性づくりでは、信用という資本も長期ではマイナスとなっていく可能性があると考えられます。丁寧に信用を得ていくことも、長期目線で大きなことを仕掛けられる存在になるためには重要であると言えそうです。

 

参考文献: Nii, M., Okabe, T., Ito, H. et al. Bankruptcy is an inevitable fate of repeated investments with leverage. Sci Rep 9, 13745 (2019) doi:10.1038/s41598-019-50237-6

第三章 「環境からの独立」という戦略コンセプト

第二章では、変化が激しい環境においては、強い適応よりも「そこそこの適応」の方が生き残りに有利であることが示されました。例えばシジュウカラなどの鳥も、子を産み育てられる能力よりも少ない卵しか産まないことが分かっており、これもそこそこの適応の結果であると考えられます。本章では、「そこそこの適応」の意味を考えたり、具体的な生物の生存方法や進化の方向性を見ながら、生物が有する戦略コンセプトについて考えていきたいと思います。

「そこそこの適応」は環境変化の影響を受けにくい

「そこそこの適応」が環境変化に有利であることは示されましたが、ここではもう少しその意味について考えたいと思います。

結論から言いますと、生物の生存戦略における「そこそこの適応」の意味は、環境変化の影響を受けにくくなることにあると考えられます。第二章のグラフ1では、環境Aが訪れる確率P(A)に応じた幾何平均適応度の比較をしました。そのグラフでは、最も環境変動が激しいP(A)=0.5近傍で、そこそこの適応をしたタイプxが最も生存に有利であることが示されました。またP(A)を変化させていくと、タイプaとbの幾何平均適応度はその優位性が入れ替わるほどの変動を示しましたが、タイプxは一定でした。これは例えるなら、寒い時期と暑い時期が目まぐるしく変わる環境でも、あるいは寒い時期が訪れる割合が高い環境でも、逆に暑い時期が訪れる割合が高い環境でも、タイプxは変わらず一定のペースで子孫繁栄を成し得るということを意味します。つまり、生物は「そこそこの適応」によって環境変化の影響を受けにくくなるので、強い適応ではなくそこそこの適応をした生物が環境に選択され、生き残っていくのだと考えられます。環境変化の影響を受けないように進化した生物が、幾何平均適応度1を超えていれば、それはほぼ永久的に存続することができるでしょう。

 

では、生物は具体的にはどのような方法で、環境変化の影響を受けないようにしているのでしょうか。

生物は「環境からの独立」の方向へ進化する

比較的シンプルな環境変化の影響を受けないようにするための方法は、「逃げる・移動する」ことです。例えば、天敵の魚がいない池や小川に棲む巻貝には、魚が入ってくると途端に陸に飛び出すものがいます。このように思わぬ敵が来たとしても、逃げ出す能力を備えておけば生き残ることができるのです。また、移動する能力を備えておけば、気候が変化した場合もエサや住処を求めて移動することができます。このように環境が変化しても、逃げる・移動する能力を備えておけば、影響を受ける可能性を下げることができます。

 

もっと大胆な方法は、周囲の環境を自分に合ったように変えていく「環境改変」です。環境改変の身近な例としては「巣」が挙げられます。例えば、リスは地面に穴を掘ったり、木の洞に隠したりして、エサを貯食します。これによって、エサ不足に陥るような環境変化の影響を受けにくくしているのです。他にも地下深くまで掘られたアリの巣は、1年を通じて気温はほぼ一定に保たれています。巣の中は用途ごとに部屋が分けられ、アリたちが協同生活をしています。これはリスの巣よりも高度な環境改変であり、環境変化の影響をより受けにくい生活を獲得していると言えます。

人類はかつて、洞窟の中に住んでいたと考えられています。最古の人類である猿人のアウストラロピテクスから、数万年前まで生きていた旧人のネアンデルタール人まで、その遺跡のほとんどが洞窟の中に存在するためです。この時点では他の動物の住処と変わりないシンプルなものあったと考えられますが、その後人類は「家」を創り出していきます。最初は草だけでできた簡単な家から、木を使う木造建築へ、また地域によっては石やレンガを使った建築物へと進化させていきました。その造り方は、寒さをしのぐために地面を掘り下げた上で柱や屋根を組み立てる竪穴たてあな式住居や、雨水の侵入や湿気対策やネズミの害を防ぐ高床式の住居や倉庫などへと発展させていきました。さらに現代では、地震対策として耐震・免震構造も一般的になりました。それによって、暑さや寒さ、雨風を凌げるだけではなく、地震のような自然災害の影響も受けにくくすることができたのです。

このような「環境改変」の結果、周辺環境の変化の影響をどんどん受けにくくなっていけば、それは「環境が変化していない」ことと同じです。つまりその生物は、進化や生存戦略の確立によって、周辺環境から独立していくのです。したがって、生物は「環境からの独立」という方向に進化することで、環境変化の影響を最小化してきたのだと考えることができます。そもそも、環境変化の影響を受けないようにするには、環境に依存しないこと、つまり環境から独立することが必要です。「そこそこの適応」も、環境に依存せず一定の子孫を残せるという点で、環境から独立していると見ることができます。「逃げる・移動する」も、周辺環境が急激に変化しても対応手段を予め用意しているという点で、環境から独立しています。生物は、「環境からの独立」をコンセプトとした長期の生存戦略を有していると考えることができるのです。

 

「環境からの独立」という視点を持つと、人類の文明社会は、その積み重ねの上に成り立っていると見ることができます。

農耕の発展によって、自然に強く依存した狩猟採集から脱却し、採れる食料をコントロールできるようになりました。これには、家造りよりもはるかに広域な環境改変が伴いました。科学の発展によって、自然現象が解き明かされ、予測が可能になり、あらかじめ対策を講じられるようになりました。さらに教育という、先人の知恵や経験を後世に伝えるシステムも発展させてきました。教育内容は変更できるため、その時代に必要な人材を育成することができ、変化した環境に社会を順応させられるようになりました。

このように人類は、環境からの独立を積み重ねてきており、現在地球上に繁栄しています。人口が増えたことによって自ら引き起こした社会の問題も、新たな制度や仕組みを創ることで対応してきました。しかし、その結果地球環境に悪影響を及ぼしており、今後どのような視座で環境と向き合うべきなのかについては、人類が新たに考えなければいけないテーマであると思われます。

さらに強力な方法「共生・協力」

生物は、環境改変などよりもさらに強力な環境からの独立の方策である、「共生・協力」を進化させてきました。

極相林きょくそうりん」というものがあります。何も生えていない裸の土地「裸地らち」から植物が繁殖していくことを「遷移せんい」と言いますが、その遷移の頂点を迎えた林が極相林です。この極相林は、植物の共生・協力によって成り立ち、環境からの独立を実現しているのです。

全く生物のいない裸地は、気温や日射の影響をまともに受け、雨の水もすぐに流れて乾いてしまいます。そこにコケなどの植物が生えてくるのが極相林の第1段階です。有機物が蓄積され、土地の保水性も増し、土壌の表層は日射を受けても温度が上がりにくくなります。そうして土壌が発達すると、微生物や動物が生息するようになり、やがて1年生の草本そうほんが繁殖して草原を形成します。これが第2段階です。1年生草本は比較的背が低いですが、徐々に多年生の草本に置き換わり、背の高い草原になっていきます。内部の環境は草原の外より安定し、様々な昆虫や鳥、大型の動物も生息できるようになっていきます。

草原が生長すると、次に起こるのは木の侵入です。まず、パイオニア・ツリーと呼ばれる、木としては生長の早い低木・灌木かんぼくが侵入して明るい林を形成します。これらの樹種は、草ほど日光を必要としないので草の陰で生長し、しまいには草よりも高くなって林を形成します。林の形成により、草原の時よりもさらに外界からの隔絶が進んでいくのです。

パイオニア林は、しばらくするとナラやマツといった、陽樹ようじゅの林になります。これが第3段階です。陽樹とは、生育に必要な光合成量が比較的多い樹種のことで、日当たりの良い場所を好みます。それに対立する樹種は陰樹です。陽樹は比較的生長が早く、成長すると暗くて湿った林床りんしょうが出来上がります。この林床では、陽樹の実生みしょうはなかなか育ちません。ところが、ブナやカシなどの陰樹の実生は暗くて湿った林床でも生長できます。陽樹林は、それら陰樹の苗木が生長して、徐々に陰樹が混じるようになり、最終的には陰樹がほとんどの林になります。これが極相林なのです。

極相林は、気温や湿度、明るさも一定で、森林の外の気象とは全く異なる世界となっています。それが、裸の土地から形成されていくのです。まさに環境からの独立です。

極相林は、最初はコケの繁殖から始まり、その後様々な植物や動物が繁殖し、段階的に形成されていきます。その形成過程はさながら、節目節目に適切な種へバトンタッチされていく、繁栄をゴールとしたリレーのようです。

最終的には大きくなる極相林ですが、このような植物群落の中では様々な共生関係が成立しています。例えば、カビやキノコなどの菌類は、植物群落の中で植物の枯死こし個体を分解して、植物に再利用できるようにしています。もし菌類がいなければ、植物群落の地表は植物の枯死個体に覆われ、また枯死個体の分解によって生じる栄養も得られなくなるかもしれません。他にも、細菌の一種である根粒こんりゅう菌と良く共生している植物もいます。その植物は、根の中に根粒を作り、その中に細菌を養い、空気中の窒素を固定してもらうのです。これによって、根粒菌と共生した植物は、根粒菌の窒素固定により、窒素の少ない土壌へも進出可能になるのです。

このように生物たちは、様々な種と協力することによって新天地の開拓を行い、厳しい周囲の環境から独立した世界を創り出します。そして目に見えないところでは、ごく小さな生物とも共生することで、その世界を維持・発展させているのです。

 

もう一つ、藻類と菌類の共生体である「地衣ちい類」も紹介します。地衣類は、藻類が光合成を行い、菌類が栄養の分解と水分の供給を行うという、役割分担をして生きています。その生息場所が実にユニークなのです。サルオカゼという地衣類は、亜高山帯の針葉樹林にさながらボロ雑巾のようにぶら下がって生きています。それは枝にぶら下がっているだけで、樹木から栄養を得ているわけではありません。つまり、半ば空中に生きているのです。さらに標高が高い草も生えていない高山帯では、岩石の上に緑っぽい花のような模様があることがありますが、これも地衣類です。土壌の上ではなく岩石の上に生存できているのです。地衣類は、藻類と菌類の組み合わせでしか生存できません。このような共生を「絶対共生」と言います。このような強固な共生によって、他の種が生きていけないような厳しい環境に進出することが可能になるのです。

 

本章では、生物の生存戦略における「そこそこの適応」の意味は、環境変化の影響を受けにくくなることにあると考えました。そして、環境変化の影響を受けにくくするための戦略コンセプトは、「環境からの独立」であるとしました。生物は様々な環境からの独立方法を有していますが、その中でも「環境改変」と「共生・協力」は強力な方法であると言えそうです。それによって、未開の地へ進出することができており、それは一つの進化の形であると捉えることもできるのではないでしょうか。

リベル:世界がつながってしまった現代の人類社会において、環境から独立することは可能なのだろうか。かつては例えば、地域商店が周辺の小規模エリアで商売を営めたが、車社会になって大規模ショッピングセンターが、ネット社会になってAmazonのような巨大ECがその独立した商圏を破壊してきた。生物は、激烈で密集した環境の中でも環境からの独立を果たし長期生存してきているのだから不可能ではないのだろうが、密集化・複雑化した中でどのように環境からの独立を果たせるのか深めてみたい。
リベル:現代社会で環境から独立しているのはどのようなものなのか、noteで追考してみました。「宮沢賢治」の作品や存在自体が内包する複雑さに、その可能性を見出しています。『複雑なものを複雑なままで 〜「宮沢賢治」に考える環境への“非”依存性〜』

(本書で用いているキーフレーズ「そこそこの適応」や「環境からの独立」は吉村先生の著書『強い者は生き残れない』から拝借したものであり、リベル独自で考え出したものではありません)

第四章 長期戦略のベースコンセプトを考える

まとめ:環境変化を生きる生物

生物は、激烈な環境変化の中、その長い歴史を生きてきました。環境が変化する前提においては、特定の環境へ強く適応するよりも、「そこそこの適応」で絶滅を回避することが、生物の生存戦略の第一義に置かれていると考えられました。実際に、シジュウカラの産卵数に見られるように、そこそこの繁栄にあえて留める生物の姿を紹介しました。また、幾何平均きかへいきんを用いた計算においても、強い適応よりもそこそこの適応の方が、長期の繁栄においては有利であることを確認できました。

生物の生存戦略におけるそこそこの適応の意味は、環境変化の影響を受けにくくなることにあると考えられました。また、そのための具体的な方法である「環境改変」や「共生・協力」を見ていくと、生物は環境変化の影響を避けるために「環境からの独立」の方向へ進化していると考えることができました。そもそも、環境変化の影響を受けにくくするためには、周囲環境への依存度を下げることが必要であり、それは環境からの独立を意味します。

環境からの独立の方法は生物種によって様々ですが、環境変化を前提に生きてきた生物は、その影響をなるべく受けない方向へ進化してきたのだと考えられます。特定環境に強く適応しただけの生物は、生き残りが困難であると考えられるのです。

では最後に、ここまで学んできた生物の生存戦略の視座から、私たち人類の世界を見てみたいと思います、

「環境からの独立」の視座から見える世界

文明社会に生きる私たちからすると、他の生物の世界は自分たちとは違うものであると感じてしまいます。しかし、「環境からの独立」というコンセプトを得た時に見えてきたことは、私たちの生活に欠かせない衣食住や、科学や教育などの発展も、そのコンセプトの延長線上にあるということでした。つまり、人類社会よりもはるかに長い生物進化の歴史は、脈々と私たちの中にも受け継がれていると考えることができるのです。したがって、本書では生物の生存戦略のコンセプトの一つであると考えられる「環境からの独立」を、私たちの人生や仕事における長期戦略のベースコンセプトとして据えてみることを提案したいと思います。“ベース”と付けているのは、これだけでは具体性が低いと考えているためです。戦略を考える際の基点や切り口として「環境からの独立」を置くことで、具体的な戦略に昇華させられる可能性があるのではないかと考えています。

 

「環境からの独立」という視点を持って世の中を見渡してみると、様々なところにその戦略が応用されているように考えられます。

例えば、財閥は様々な業種の企業をグループ内に抱えることで、一定の取引をグループ内で完結させることができています。財閥の中には、かつては栄華を誇りながらも衰退していったグループがあります。その衰退の要因の一つは、グループ内に銀行を有していなかったからであるという考え方もあるようです。つまり、景気などの情勢が苦しい時に、資金を拠出してくれる銀行が運命共同体の中にあることは、生き残りにおいて大きな強みになったのです。経済活動においては、銀行機能を内に有していることが、環境からの独立に大きく寄与したのだと考えられるのです。近年では、株式の持ち合いは批判の対象とされることが多いように思いますが、財閥のような共同体形成は、変化を生き抜くための有効な戦略の一つであったのだと考えられます。

最近では、ソフトバンクグループの群戦略や、大手企業のオープンイノベーションなど、もう少しゆるやかなグループ形成が成されるようになってきました。これは、独自成長をしてきた一企業の独自性や成長性の低下を防ぐことに狙いがあると言われています。群戦略では、群をナンバー1企業だけで構成すると孫正義氏は述べていますが、これらのゆるやかなつながりは各々の独自性や強みを保つ上での必要な考え方なのかもしれません。

財閥が地衣類のような絶対共生に近いとすると、群戦略やオープンイノベーションは、極相林のような共同で一つの世界は創るものの、個体としては明確に分かれている姿を想像させます。「共生・協力」とは、一方向的に関係が強くなっていくわけではなく、社会環境によって適切な形が変遷していくものなのかもしれません。

 

財閥や群戦略、オープンイノベーションなどは比較的規模が大きな話です。では、規模の大小に関わらず打てる繁栄への一手とは、どのようなものが考えられるのでしょうか。

それは、「共生・協力により未開の地へ進出できないか」という視点で、パートナーを見つけることにあるのではないかと考えられます。第三章で紹介した地衣類は、藻類と菌類の共生によって、亜高山帯の木にぶら下がり半ば空中で生きたり、高山帯の岩石の上で生きたりと、未開の地へ進出することに成功しました。また、リベルの別短編本『サンゴの選択 〜小さな力で一つの世界を創る方法〜』では、サンゴと褐虫藻が共生することを起点として、貧栄養な熱帯の海洋で、豊かなサンゴ礁の世界を創ることに成功していることを紹介しました。つまり、共生や協力によって未開の地へ進出することが可能になり、環境からの独立だけではなく、長期的な繁栄につなげることができると考えられるのです。

未開の地を求めるのは人類が独自に有するロマンであるようにも感じられますが、それも生き残りのために生物に課された必然なのかもしれません。しかし、ロマンであろうと必然であろうと、その先には新たな世界が拓けている可能性があります。他者と共生・協力することによって、未開の地を拓き、まだ見ぬ景色を見られる可能性が広がっていくと考えられるのです。

 

最後に、吉村先生にこんな問いを投げかけてみました。

「生物にとって、生きられる世界を広げることと生き残ることとは、同義なのでしょうか。」

 

吉村先生:生物は、新たな世界に進出できるように進化することで安定化していくのだと考えられます。地衣ちい類のように、共生によって、従来生物が生きられなかったところに進出できるようになることがあります。共生は生物にとってそう頻繁に起こることではありませんが、その共生のイベントが起きると、その共生生物は大繁栄し、安定化していくのです。

ただし、共生には裏切りも付きまといます。共生によって安定化すると、裏切っても生きていける状況になるので、共生活動に参加しないような裏切り者が出てくるのです。現代社会も裏切りとまでは言えないかもしれませんが、個人主義になってきているのは、そのような背景があると考えられます。

しかし、環境が変化することを前提とすると、協力や共生は生き残る上では不可欠です。身近なところで生き残りに困難を感じなくなった現代には、教育によって協力や共生の必要性を伝えることも必要なのかもしれません。今の人間社会にも、他生物と同じようにいろいろな共生の可能性が広がっていると考えられますからね。

 

(2020年2月1日掲載)

 

〈参考文献〉

  1. 吉村仁著(2009)『強い者は生き残れない』(新潮選書)
  2. 吉村仁著(2012)『なぜ男は女より多く生まれるのか』(ちくまプリマー新書)

 

 

 

 

 

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