2025.01.13

読書会の読書感想(1/7-12)

 参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。7日(火/午前)は2名、11日(土/午前)は5名、12日(日/午前)は7名、12日(日/夜)は2名の参加でした(主催者含む)。
 日曜日の「質問「   」について考える時間。」の質問はこちらでした。

五十年後にはありえないだろうと思われる職業は何でしょうか

田中未知著『質問』(文藝春秋)

1月7日(火/午前):読みたい本を気ままに読む読書会

よしださん『神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』E・フラー・トリー
 相手の気持ちを自分が考えられるのと、相手が自分をどう思っているのかを自分が考えられるのとでは、1段階レベルが違うみたいなことが書かれており、印象的でした。後者は、自分がどう思われているのかという思考が働くことを意味し、客観的に自分をみることになります。自己の認識につながるということです。ネアンデルタール人は、前者の思考まではできたけど、後者まではできなかったのではないかとも書かれていました。私たちホモ・サピエンスは後者の思考までできている、つまり自己を認識できています。
 他者からの自分の見られ方を考えられるということは神の創造へとつながっていく、とも。よく「お天道様が見ているのよ」なんて言いますが、それはお天道様という他者が自分を見ているということを考えられるということを意味し、神の創造へとつながっていくということです。現代では神の話をすることは少なくなり、その一方で「自分でどう思うか」が問われることが増えてきたかもしれません。それは、神は自分になり替わったと言えるのかもしれません。別に自分が偉いとかそういう認識ではないと思いますが、私を支配するのは私になったということです。それが個人主義の一つの完成系であるとも言えます。
 それが良いのかどうか。それは、私が私や世界をよく理解し、私と世界の調和のとれた生き方を選択できるという場合は良いように思います。でも、自制心が強過ぎたりすると、自分で自分を追い込みすぎることにもつながるかもしれません。個人主義とはいえ、閉じた個人の中で決めていく・生きていくというのは少し違うようにも思いました。話が広がりすぎました。

1月11日(土/午前):読みたい本を気ままに読む読書会

よしださん『ヒトラーとナチ・ドイツ』石田勇治
 今日から読み始め、再読です。ヒトラーの生い立ちから始まりました。それを読んでいると、ヒトラーはどこかでハマったのだなと思えてきます。
 元々は戦争や政治に関心が高いわけではなかったようです。この本のなかでは、周りをみてなんとなくうまく立ち回るような日和見的なところがあったみたいな記述も。
 ただ、弁論のセンスはあったようで、第一次大戦のあとに思想教育を受けたあと、宣伝・諜報部にまわったそうです。その思想教育機関には反ユダヤ的な講師が複数人いたのだとか。
 なんとなくですが、なにもないところに反ユダヤの思想と弁論のセンスが合わさってハマったのではないかと思ってしまいました。そこから一気にナチの総帥までいくわけではないと思うので、その後の段階を追っていきたいと思っています。

1月12日(日/夜):読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『響きと怒り』ウィリアム・フォークナー
4部を読んでいますが、説明もなくどこを読んでいるのか迷路のようになりながら信頼できない語り手の句点のないとぎれのない思考を延々ときいているかんじです。


過去の読書感想はこちらに載せています。

読書会参加者に投稿いただいた読書の感想です(2024年10月-)。

 

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