2020.12.05

読書会の話。5Gとモモ。

 今日は、読みたい本を気ままに読む読書会でした。持ってきていただいた本の対比がおもしろかったので、紹介したいと思います。おもしろかった本の対比とは、5Gとモモ。5Gは時間を速めてくれるようなテクノロジーであり、反対にモモは時間が速くなることに異を唱えるような本です。

 モモは、おそらく中世から近代にかけての、農業中心から工業中心社会への社会変化や生活変化について書かれた本です。おそらく、とつけたのは、モモは児童文学であるため、明確な年代の記載はないからです。変化とは簡単に言うと、ゆったりとしたものから、管理がしっかりした効率的・合理的な社会や生活への変化です。個人商店ではお客さんとゆっくり話したりする時間もあったのに、経済合理性を考えたら回転率を上げる必要があり、ゆっくり話している時間などない。窓辺のお花に水をやる時間も無駄に思えて、知人のお見舞いもおざなりになっていってしまう、というような変化です。そうして削減していったはずの時間が実は豊かな時間であり、もっというと合理性に基づいて動いている時間は、時間を過ごしているという実感を抱けない。つまり、時間を管理して無駄を省くことで時間をつくりだしているはずなのに、実は時間がなくなっていくという奇妙な矛盾が描かれているのです。著者のミヒャエル・エンデの、近代の速いライフスタイルに対する明確な問題提起なのだと考えられます。

 それに対して5Gは、動画も問題なく見られるような4Gをさらに超える通信システムです。4Gに比べて様々な優位点があるようですが、中でも遅延・タイムラグがないというのは、私たちのライフスタイルに一段の変化をもたらすかもしれません。テレビ電話をする時、4Gでもあまり問題を感じることはありませんが、少しの遅延が生じているのだそうです。映像が止まるようなことはなくても、「やっぱりリアルがいいよね」となんとなく感じているのには、この遅延に一因があるのかもしれません。それが遅延がなくなれば、「もうテレビ電話で十分だよね」という場面も増えてくるかもしれません。Zoomの一般化で、会いに行かなくてもいいという「どこでもドア」世界が実現しましたが、それがさらに加速することになるでしょう。移動の時間を削減することができ、将来的には空間ごと伝送することも可能になっていくという話もあります。

 ミヒャエル・エンデは、5G後の世界について、どう思うのでしょうか。エンデ的な見方をすると、5Gは私たちの時間をさらに奪っていってしまうのではないかという恐怖心すら抱かせます。

 さて、モモを読むと、このように近代の速い時間に対する恐怖のような感情を抱いてしまいがちです。しかしエンデも、私たちに不の感情を抱いて欲しいと思ってモモを書いたわけではないはずです。そこで、モモと5Gから見出されるテーマについて考えてみたいと思います。このテーマは、実際に読書会で雑談をするなかで出てきたものです。
 それは、「わたしたちにとっての豊かな時間とはどういうものなのだろう。効率化・合理化した先に生まれる時間を、どう使いたいのだろう。」というものでした。5Gによって時間の余裕は確かに生まれそうだ。しかし、その時間の使い方によっては、ただ何かに追われて忙しくなるだけで、今ある実は大切な時間を失うことにもつながりかねないということです。でも、時間に余裕を生み出すツールがあるのだから、それは豊かなライフスタイルや人生を実現する機会でもあるのではないかということです。
 「時間を使う」というのは案外難しいことのように思います。今ではおもしろい動画もたくさんあり、スマホで漫画も読み放題です。時間が生み出されても、間にスルリと入るこんでくるものは無数にあります。その時間がどうという話ではありませんが、それだけで1日が終わっていくのは少し違うとも思えます。いい時間の使い方をするのに、あらかじめ思考して意識的になる必要があるというのも若干窮屈さを覚えますが、どこかで一度考えてみてもいいのかもしれません。

 5Gとモモ、ミヒャエル・エンデも予想だにしなかったであろう共演が今日実現し、大切なテーマを提示してくれました。

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(吉田)

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