2021.05.08

無意識に委ねてみる。 ー本の紹介『Third Thinking』

意識していなくても思考が進んでいくなんて、なんと便利なのでしょうか。「無意識思考」というものが研究されているようなので、紹介させていただきます。悩んで、委ねる。

 考えが煮詰まったとき「いったん寝かせよう」などと言ってはみますが、寝かせることに本当に意味があるのかと、もう一方では葛藤しています。経験的には、寝かせることに意味はあるようには思えます。結論を出せずにもやもやしたまま少し時間をおくと、結論と、その結論までをつなぐ筋道が見えてくることもある気がするからです。でも、問題にしっかりと向き合おうという気持ちが強いほどに、「寝かせたことに本当に意味はあったのか」「もっといい導き出し方はなかったのか」と考えてしまいます。また、その結論が本当にいいものだと言えるのかも正直わかりません。寝かせるとはとても漠然とした行為なので、いまいちそれがいい方法なのか自信がもてないのです。

 そんな葛藤や自信のなさに、肯定的な一本の背骨を通してくれるような概念がありました。それは「無意識思考」や「システム3」などと呼ばれるもので、脳科学や経営心理学を専門とする影山徹哉氏によって書かれた『Third Thinking』で紹介されていました。

 著書の中では、人の思考パターンとして3つのものが示されていました。
 1つ目は直観によるもので、問題や出来事に対して、即座に回答したり選択したりする思考パターンです。これは思考というよりも感情的な反応と言う方がイメージとしては近く、例えばコンビニの中を回遊して何気なくお菓子を買い物かごに入れたり、特定の人や集団に自然なかたちで寄っていったり避けたりすることなどが該当するのだと思います。厳密な理由を考えてから行為や選択をするのではなく、意識することなく、なんとなく行っている思考であると言えます。この思考パターンは「速い思考」や「システム1」などとも呼ばれます。
 2つ目は理性を介在させてじっくり考えるもので、論理的・合理的に結論を導き出そうとする思考パターンです。特定の問題に対して意識を向けて、それだけに集中するものです。例えば、仕事における意思決定や、車や家などの大きな買い物のときのように、メリット・デメリットを勘案したり、項目や性質を列挙して重み付けをして点数化したり、情報を論理的に整理して目的に対する妥当性を評価したりすることが該当します。この思考パターンは「遅い思考」や「システム2」などとも呼ばれます。

 直観と論理の2つを比較すると、論理的にじっくり考える方が良い思考方法であると感じられるかもしれません。しかし、わたしたちの毎日は、朝ごはん何にしよう・テレビ何を見よう・今日は何を着ようなどといった選択の連続なので、一つ一つをじっくり論理的に考えていては、生活がままなりません。そこで、多くの選択は感情にまかせた直観思考に委ねているのです。事故などをきっかけに感情を司る脳の部位が損傷した人が、論理的思考はできるけれども日常の一つ一つにつまずき日常がままならなくなったという事例が報告されています。感情は、なかなか気づきにくいのですが、日常のさまざまな選択を行ってくれているのです。直観思考は、わたしたちの生活の多くの部分を支えてくれていると言えます。
 それに対して、感情的で速い直観思考だけでは、損失を被ってしまう場合があります。例えば、目の前においしそうなものがあるからと感情に任せて食べ続けてしまうと、健康を害してしまいます。また、漠然とした不安や営業マンの人柄に惹かれて保険に次々と入ってしまうと、出費がかさんでしまいます。他にも、ギャンブルや消費活動なども同様です。これらの誘惑に対しては、冷静にじっくりと、情報を集めて論理的に整理しながら思考していくことが必要になってきます。
 わたしたちは普段、直観的な思考であるシステム1に多くを委ねながら、ときに論理的なシステム2を起動して、日々の問題に対応しているのです。

 それらに加えて、第三の思考のシステムである「無意識思考」「システム3」に注目が集まり、研究が行われ始めているというのです。これまでも体験的なものとして、ある光景が夢に現れてそれが大発見につながったなどということは、よく話に聞いたりしていました。しかしそれは、天才ならではのひらめきなのではないかとか、後付けされた作り話なのではないかと思われていたのではないかと思います。少なくとも、なんとなく分かると思いながらも、強く信用できるような根拠には乏しかったはずです。それが実験などを交えながら科学的に示され始めているというのです。

 無意識思考とはどういうものかというと、情報のインプットやある程度の思考をした上で、問いや考える目的を抱えたまま他のタスクに取りかかっていると、勝手に無意識下で思考が進んでいき、あるタイミングで結論にたどりけるという思考パターンだと理解しました。なにも考えないところから始まる思考パターンではなく、事前の情報のインプットやある程度の集中的な思考は必要なようです。また、問題を完全に手放してしまうのではなく、問いや目的を設定して抱えておく必要はあり、そこに加えて他のタスクに取りかかることで起動する思考パターンのようです。
 意識的に論理立てて整理するわけではないという点では、直観思考に近いようにも思えます。しかし、直観思考は問題や出来事に対して“即座に”答えたり選択したりするという点で、無意識思考とは異なります。無意識思考は、情報のインプットをしたり考える目的を据えたりするという、事前の準備が必要であり答えが出るまでの時間もかかるものなのです。
 論理思考とも異なります。論理思考は、意識を特定の問題に集中させて、「あーでもない、こーでもない」と考え続ける思考パターンです。それに対して無意識思考は、意識の上から一旦思考を解き放ってしまい、無意識に委ねてしまう思考パターンです。このとき、その問題を考えようという意識はないのです。ただし、無意識下では問題に向き合っているのだと思われます。
 無意識的に思考するとは、なんだか不思議な感覚です。なぜなら、思考自体が意識的に行われるものであるというイメージが強いからです。しかし、人は無意識的に思考することができ、それによって意識的・論理的思考では得られない成果が得られるのだといいます。
 その無意識思考ならではの成果とは、無意識の容量が意識に比べて大きいことに由来します。著書の中ではいくつかの実験結果が示されていました。詳細は著書に委ねますが、複雑な問題になるほど、意識的な思考である論理思考よりも、無意識思考の方が適切な結論を導き出せるというのです。また、意識的な思考だと、先入観や他者の目を意識することなどによる思考の偏りが生じやすいようですが、無意識思考ではそういった偏りの影響も受けにくいのだと言います。

 著書の中では、無意識思考の特徴や、無意識思考を行うための方法論などが記されていました。しかしながら、明確な「こうすればいい」ということはまだこれからな印象で、問題によっても、思考を働かせる人によっても、無意識思考に至るまでのプロセスやかける時間の長さなどは異なるのだと言います。でもだからこそ、これから自分でも可能性を模索できるおもしろさがあると感じました。
 数々の偉業を成し遂げた数学者のポアンカレは、朝10時からの2時間と午後17時からの2時間の合計4時間しか、数学の仕事に費やしていなかったことも著書の中で紹介されていました。また、偉大な芸術家は、はたから見ると暇そうな一日を過ごしていたと聞いたこともあります。偉人たちと同じくらいに意識的に向き合うことから離れて無意識思考に委ねることができるのかは分かりませんが、少しずつ試してみたいと思ったりしました。少なくとも、寝かせてみることに対して、以前よりは肯定的になれそうです。無意識に委ねてみると、どんな結果が出てくるのでしょうか。少し恐いような楽しみなような思考方法だと思いました。


〈今回の本〉
 身近な事例を交えながら平易な文章で書かれているため、読み進めやすい本だと思いました。まだまだ研究がこれからの分野で、もしかしたら実験データや論理の厚さに未充足感を覚えるかもしれませんが、先取りしているというわくわく感と想像の広がりで、十分に楽しめるのではないかと思います。
影山徹哉著『Third Thinking』(あさ出版)

(吉田)

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