焼き鳥1本150円くらいの、ものすごく安いわけではないけどおいしそうな雰囲気が漂うメニューをみて「ここにするか」と友達と確認し合いながら店に入る。1杯目は、今日の意気込みを確認し合うように、生ビール、ジョッキで乾杯。そこは社会人らしく仕事の話もするし、最近ふえた家族の話もする。そしてSNSのようにオープンな場所ではないから、下世話で偏見まみれの話にもなる。しばらくすると呂律が回らなくなってくるのだが、後半戦は仕事や暑苦しい人生観のような話が多かっただろうか…。
次の日の朝、目が覚めるとあたりまえのように気持ちが悪い。持っていっていたGLEGOLYの斜めがけバッグの中身を片付けようとすると、日本酒の小瓶が出てきた。画質がものすごく悪い記憶を、頭の中で目を薄めるようにして掘り起こしていくと、たしかにコンビニに入ったらしい。飲み屋が閉店したからだ。日本酒を選んだのは、コスパ重視の結果であろう。バッグから出てきた銘柄も知らないようなそれは、戦利品のようでもあり、その時を思い出すためのおみやげのようでもあった。それをみて「昨日も飲んだな」と、ただそう思うのである。その記憶はどうでもいいものなのだが、今こうして思い出せるほどに、鮮明だ。ちなみに、少し残っていた小瓶の中身は料理酒として、小瓶は資源ゴミとして消えていった。
先日の読書会ではレイ・カーツワイルの『シンギュラリティは近い』を読んでいる人がいました。シンギュラリティとは、「人工知能(AI)自身の「自己フィードバックで改良、高度化した技術や知能」が、「人類に代わって文明の進歩の主役」になる時点の事である」そうです(Wikipediaより)。これは、いわゆる頭脳労働において、人類に替わる存在が出てくるということなのでしょうか。2045年の到来するとされており、今を生きる多くの人にとって、人ごとではない事象です。
しかし人は、一見無駄に思えるものや非合理的なことを通して、明日も頑張ろうと思えたり、お互いの結束を深めたりするものです。人の強い部分や賢い部分だけではなく、弱いとされる部分や無駄なところにも目を向けながらシンギュラリティ後の世界を考えてみると、有意義だったりするのではないかと思いました。「人」というものに対する理解が、改めて深められるのではないかとも思いました。
〈読書会について〉
読書会の情報については、FacebookページやPeatixをご覧ください。申込みをせずに直接訪れていただいても結構です。ただ、たまに休むこともありますので、日程だけはご確認いただければと思います。
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読書会の形式や最近の様子については、こちらに少し詳しく書いています。
(吉田)