いま、「不便益」をテーマの種としたブックレットを作成しています。
普段、便利は明確な価値として目を向けていると思いますが、不便に価値があるとはあまり考えないのではないかと思います。今回は、不便だからこそ生まれる益に目を向けることで、便利と不便の仕分けをするきかっけになったり、もう少し壮大に、いい生活とは・いい人生とは、ということも考えられたりしたらと思っています。
今日は第三章を書き終えました。残りは第四章、まとめの終章です。
書く中でぶつかった壁は、結局、不便益とは何なのかということです。ブックレットではなるべく丁寧に、順序立てて書いていますので、ここではもっと直感的に感じたことを書いてみようと思います。
私が感じたのは、不便とは人々の工夫や協力活動を促すもので、その工夫や協力活動によって人は充足を感じることができる。そしてそれ自体が益である、ということです。
何かのタスクを達成する時に、不便(=労力がかかる)であれば工夫や協力をすることが必要とされます。そして私たちは、工夫に必要な創造力を発揮したり、工夫が不便の解消につながったりした時に達成感を覚えます。また、協力活動に必然的に伴う、人との関わり合いの時間や、人の役に立ったと感じられることが充足感につながるのではないでしょうか。
不便には、その充足を感じる機会が伴うのではないかと考えられるのです。
それが便利な場合には、工夫や協力活動を必要とされず、結果的にそのような充足感を感じられません。これからもどんどん世の中は便利になっていくと思われますが、便利が飽和して、不便が欠乏していると感じられるようになるのかもしれません。いや、もしかしたらもうなっているのかもしれません。
不便ってそういえばなんだっけ、とそんなことに思いや考えを巡らせられる内容に仕上げていきたいと思います。順調にいけば今週中に書き上げて先生に確認してもらい、早ければ来週末にリベルの方にアップできるのではないかと考えています。
(吉田)