今からおよそ1万年前、日本が縄文の時代、地球は温暖化し始めました。
現代は氷期と氷期の間の間氷期とされていますが、氷期とは、海水面が現在よりも100mほども低く、北海道はサハリンや千島列島とともにユーラシア大陸とつながっており大きな半島となっていたような時代です。植物相は針葉樹が主体であったため、食料として利用できる植物資源は少なく、動物の狩猟が主な食料獲得の手段でした。
間氷期に入り温暖化が進むにつれて、現代のように四季が明瞭になり、広葉樹が増えていきドングリなどの堅果類も獲れるようになっていきました。植物だけではなく動物も多様に繁殖し、人類が獲得できる食料も豊富になっていきました。すると、食料を求めて移動をする必要性も薄れていきます。
ただ一方で、四季があるということは最も食料が豊富になる秋に蓄えておき冬をしのぐ、という必要性も出てきました。そこで生み出された食料獲得の方法が、加工と保存でした。
加工・保存が主体になると、燻製などの加工設備や保存食それ自体など、荷物が増えていきます。食料が豊富になって移動の必要性が薄れただけではなく、新たに開発した食料確保の方法により移動が困難になっていったのです。また、多様な食料を煮炊きし様々な料理に変貌させることを可能にした土器も、持ち運びが困難な荷物でした。
日本列島における人類の定住生活は縄文時代に起源があるとされていますが、そのきっかけは地球の温暖化であったと考えられています[1]。燻製などの加工・保存、土器による料理バリエーションの多様化、クリの木の栽培など、生活は画期的な変化を遂げました。そして定住化によって、集落間の分業・ネットワーク化も進んでいきます。
沿岸では塩や装飾品としての貝の首飾りの生産を、黒曜石がとれる地域では鉱山開発と生産を、などと地域の特色を生かした産業がおきました。環境の変化が、私たちの生活を大きく変えたのです。
環境変化は私たちに混乱をもたらします。しかし、それを越えた社会は画期的な変化を遂げるということも言えそうです。私たちの社会はこれからどのような変化を遂げるのでしょうか。縄文時代の変化を見ると、少し楽しみになってきます。
〈参考〉
1.山田康弘著『縄文時代の歴史』(講談社現代新書,2019)
2.画像元のフリー写真提供者:https://www.photo-ac.com/profile/1761533
(吉田)