2020.08.04

共同知識を持とうとする私たち。

 人は、一般的に価値が高いものを他者に教えようとする性質を、かなり小さい時から備えているようです。1歳の子供を被験者にした、こんな実験結果があります[1]。

 子供の目の前に、二つの魅力的な物を右側と左側、それぞれに置きます。次に、一人目の実験者が子供と目を合わせて、片側の物に視線を送ります。すると、子供は視線を追従して、実験者と同じ物の方を向きます。そして、一人目の実験者がその場を去り、二人目の実験者が現れ、左右どちらの物を選ぼうか迷ったふりをします。
 そうすると、子供は一人目の実験者が視線を向けた方を指差して、二人目の実験者にこちらを選んだらというような仕草をします。

 一人目の実験者が選んだ物に何らかの意味を感じ、二人目の実験者に教えてあげたのです。しかし、驚くべきことはこの実験を発展させた次の結果です。

 今度は、子供の目の前に、片方は子供にとって魅力的な物を、もう片方はそうでもない物を置きます。同様に、一人目の実験者が子供と目を合わせて、片側の物に視線を送ります。この時視線を送ったのは、子供にとって魅力的ではない方です。子供は視線を追従して、実験者と同じ物の方を向きます。そして、一人目の実験者がその場を去り、二人目の実験者が現れ、左右どちらの物を選ぼうか迷ったふりをします。
 すると、子供は自分にとって魅力的な物ではなく、一人目の実験者が視線を向けた方を指差して、二人目の実験者にこちらを選んだらというような仕草をするのです。

 つまり1歳の子供は、個人的な好みではなく、一人目の実験者が視線で注意を促して見させた方を他者に教えようとしたのです。子供は、視線が促された先にある物に「選ばれるべきもの」というような価値を感じたのだと考えられます。つまり、私たちは先天的に、一般的に良いと思われるものを他者と共有しようとする性質があると言えると考えられるのです。

 そのような性質をもとにした教える・教わるという行為が積み重なりは、社会における共同知識の保有につながると考えられます。そして共同知識は、円滑な協力活動に不可欠であると考えられます。教え合うということは、私たちにとってとても自然な行為であり、協調的な生活をする上でとても重要な行為であると言えそうです。


〈参考〉
1.安藤寿康著『なぜヒトは学ぶのか ー教育を生物学的に考える』(講談社現代新書,2018)
2.画像元のフリー写真提供者:https://www.photo-ac.com/profile/834383

(吉田)

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