2020.07.28

「好き」と一流の関係性

 飛び抜けて上手になったり、他の誰にも負けないくらい深く理解したりした人が、一流とかプロフェッショナルとか言われるのだと思います。一流やプロフェッショナルには、もちろんなりたい、何かで飛び抜けてみたい。でも、そうなるためにどうすればいいのか分かりません。

 高次機能障害学が専門の山鳥重氏の著書『「わかる」とはどういうことか』に、少しだけそのヒントが見つけられたような気がしました。得たヒントを自分なりにまとめてみたいと思います。

 一流の人は、自らの所作や対象となるものに対して、とても細かい注意が働いているのだと思います。
 スポーツ選手であれば、腕や脚の振りを微調整しながら繰り返したり、ボールや地面に触れた感覚に細かく気を配ったり。料理人であれば、肉の柔らかさのちょっとした変化で火の入り具合を見極めたり、包丁の切れ味の少しの違いに気付いたり。マーケティングのプロも、なぜあの人はこういう行動をとったのだろうとか、なぜこの商品は売れているのだろうとか、いつも頭から離れないはずです。
 それらの注意の積み重ねが精度を高め、突き抜けた能力として備わっていくのだと感じています。

 山鳥氏によると、「わかる」とは「分かつ」と書くもので、わかるの基本は区別であると言います。違いに注意を働かせて区別していくことで、「分かる」につながっていくということなのでしょう。

 そして違いに注意を働かせるのは好奇心であると言います。
 なぜ今日は速く走れて昨日は遅かったのか、なぜあの人のつくる刺身は食感が自分とは違うのか、などの様々な注意です。その違いを解釈することで、何かが分かり、洗練されていくということなのでしょう。

 反対に、好奇心がないものに注意を働かせるためには、意志を働かせること、つまり努力が必要です。
 たとえば、数学には興味があるけど国語には興味がない人は、漢文などを勉強するにあたって注意を働かせるために強い意志を働かせ続ける必要があります。多くの場合は、注意が途中で切れたり、「自分には必要ない」と言って放り投げたりするのではないでしょうか。
 しかし、それが好きな人は、そもそも注意を働かせるのに意志の力は必要ないので、高いレベルの注意を長く働かせることができるのです。好きなことをやっている人は、「努力はしていない」とよく言いますが、注意が自然と働くからそのような言いぶりになるのだと思います。

 最近は、好きなことをやるのがいい、ということが言われ、様々な賛否が行き交っているように感じています。否の方の意見に内在するのは、「好きなことだけで食べていけるほど世の中あまくはない」という人生経験に基づく一つの前提であると思います。
 しかし、「好きなものは注意を働かせるのに努力が必要ない、だから持続的にスキルや知識を洗練させることができる」というように捉えると、また少し見方が変わるのではないでしょうか。好きであるということは、突出するために必要な一つの要素なのだと改めて感じられます。

 とはいえ、好きで洗練させたものが世の中とフィットするのかは、また別であるようにも感じてしまいます。そこらへんに「世の中あまくない」の経験則の妥当性もあるのかもしれません。
 ただ、世の中なにが当たるかは分かりません。そして自分で発信する手段は、今の時代いくらでもあります。だから、自然と注意が働いてしまう好きなものは、自分にとって大切なものとして育てていくことはいいことだと思います。


〈参考〉
1.山鳥重著『「わかる」とはどういうことか ー認識の脳科学』(筑摩書房,2014)
2.画像元のフリー写真提供者:https://www.photo-ac.com/profile/529737

(吉田)

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