児童文学『モモ』に出てくる貧しい少女・モモには、公共性を感じます。
『モモ』のストーリーで興味深いところは、貧しい少女・モモが廃墟となった円形劇場に住み始めるのだけど、町の人が心配して住処として整えてくれて、なぜだか逆に町の人がモモに感謝し始めるようになるところです。それはなぜかと言うと、モモが町の人の話を聞いてくれて、町の人の悩みが解消されたり、喧嘩による不仲が解決されたりしていくから。
町の人はふらっと訪れたり、ときには他の人に促されたりしてモモのもとを訪れます。そして、なんでもないような時間の中で、不安や悩みが解消されて帰っていくのです。
この敷居が低くふらふらと人が集まる雰囲気に公共性を感じます。ではモモはどのようにして公共性を帯びたのか、少しだけ考えてみました。
一つには、モモがみんなに支えられている存在だからではないかと思いました。町の人はモモのために、廃墟の円形劇場を住みやすくしてくれたり、食べ物を分けたりしてくれました。モモを支えている町の人は、モモのもとを気兼ねなく訪れることが出来たはずです。
二つには、円形劇場の敷居の低さにもあるのではないかと思いました。元々は廃墟だから、入るのに着飾る必要も緊張感を抱くこともありません。だから誰にでも開けた場所になっていったのではないかと想像します。
いっしょにしたら怒られるかもしれませんが、地域にある図書館や公園、体育館などの公共施設も同様ではないでしょうか。住む人の所得の一部である税金によって支えられ、構えも地味で気兼ねなく入れます。そして年齢や肩書を越えて人が集まっています。
公共性の高い場所は、人のつながりや会話を生み、さりげなく生活をちょっとだけ良いものにしているはずです。なんだか急に公共物に興味が出てきました。
(吉田)