土曜日に行ったリベルのブックレット『感情と功利の不調和』を用いた読書会の話です。
このブックレットは、「全体にとって最適なはずの功利主義がなぜ人間社会に受け入れられないのか」という少し不思議な難問を切り口に、人間や社会の特性を考えていく内容のものです。ここで注意が必要なのは、功利主義とは、あくまでも全体最適をゴールとする規範であり、利己主義とは異なります。
功利主義がなぜ受け入れられないと考えられるのかというと、「誰にとっていいことか」の「誰に」を特定しないからです。たとえば企業のリストラが分かりやすい例ですが、全員が職を失うより、縮小してでも会社を継続し雇用を維持できた方がいい、というのがリストラの働き手側にとっての利点だと思います。
しかし、リストラのおいては必然的に、会社に残れる人と解雇される人の集団に分かれます。解雇される側からしたら、自分たちを仲間だと言っていた経営者が、いきなり裏切り行為に出ることに納得できないはずです。たとえそれが解雇されない側の人たちや経済全体にとっていいことだとしても、やっぱり自分や養う家族のことが優先されます。
このように、功利主義とは、ある集団において「誰に」ということを特定せずに常に全体にとって最適なことを求めて合理的に判断される規範です。この「誰に」とは、判断する側が、自分の家族や親しい友人、自分自身をも有利な側に含めないことを意味します。判断する側も、判断される側も、そのような規範を社会の基本的な考え方・思想として確実に実践したり受け入れることができるでしょうか。
すこし前置きが長くなってしまいましたが、ブックレットは、このような功利主義を切り口に人間の社会性や感情、社会それ自体のことについて理解し、考えていく内容でした。
読書会ではこんな質問が出ました。
「誰が実行すればうまくいきそうですかね?ビル・ゲイツですかね?」
なるほど実行者によって結果が変わるかもしれないというのは私の観点にはありませんでした。その時は「ビル・ゲイツが言ったとしても、その時は納得できても、いざ実行されるとなった時に自分が不利な状況になるようであれば反対する気がします。」と私見を述べてはみましたが、今あらためて考えると、確かに「誰が」で結果が変わるかもしれないです。自分が不利な立場に置かれることに反感を覚える感情がある一方で、「あの人が言うのであれば」という感情もありそうです。功利主義とは言葉を選ばずに言えば冷徹な人間しか貫けなそうな規範ですが、もしかしたら人情味ある人のほうが実行にこぎつけるのかもしれません。
そんな合理性と人情味のどっちが大事なのかななんてことを考えた時間でもありました。
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(吉田)