参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。1月17日(月)は2名、19日(水)は3名、22日(土)は4名、23日(日)は9名の参加でした(主催者含む)。
日曜日の「質問「 」について考える時間。」の質問は、
どのようにしたら言葉から逃れられますか
でした(田中未知著『質問』(文藝春秋)より)。ルーティーンや、音楽やスポーツなどをしていると言葉を意識せずにすむ、逃れられるのではないかなどと話されました。
1月17日:読みたい本を気ままに読む読書会
よしだ『水中の哲学者たち』
前に読まれている方がいて、気になって手にとってみました。全体的には、哲学対話を学校に赴いたりしながら行っている著者が、そこでの出来事を紹介しつつ自分が感じてきた世界のことも織り交ぜているような内容です。テーマとしては、考えるって何だろう、しかも人と一緒に、ということのように個人的には受け取りました。
哲学対話をしていると、バリバリバリっとなにかが壊れていくような音がすると書かれていました。しかしそれは、なにかが新しくつくられていくきっかけにもなると。
読書会のほかの参加者の方の本では、勉強は壊すことと書かれていたようで、通じるものがあると感じました。
壊さなければいけないのか、新しくつくりなおさなければいけないのか、考えなければいけないのか、そんなことも考えてしまいます。破壊して創造して破壊して創造して破壊して創造して、そのくり返し。しかしそんなことをしなくても明日は来て生活は続いていく。あ、気づいたら水中の哲学をやっていた。
1月19日:読みたい本を気ままに読む読書会
yuさん『獄中シェイクスピア劇団』
翻訳小説です。刑務所の構成プログラムの講師となった主人公が巻き起こすお話。現実は厳しいんだろうけれど、どこか軽快で次には何が起きるのだろうと思いながらよみました。今日読んだところは、視察団に見せる劇が決まり、過去の配役に声をかけるというところです。地位も名誉もお金もあった主人公は裏切りにより全てを失っています。現実にそんなことが起きたらどう自分と折り合いをつけるのかなと思いました。
kenseiさん『ワインバーグの文章読本』
興味の無いことは書くな(書けない)
太古の時間の感覚に思いを馳せたり、
囚人のコミカルな役者っぷりを想像したり、一人では押せないツボを押してもらいました。
よしだ『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著/富永星訳
今回読んだところは、現代物理学的なものではなく、歴史的・文化的な視点からの時間の話でした。
今でこそ、時間は世界共通です。共通といっても時差はあるので、日本と他の国とでは現在時間は違うのですが、何時かはわかります。それは国や州などの単位で、何時か、が決められているから。
しかしよくよく考えると不思議で、仮に太陽が最も高くなった時を正午とするのなら、北海道と沖縄はもちろん、港区と八王子でも、もっと近い隣接する地域でも、正午は違うときに訪れるはずです。でも日本列島に正午が訪れるのはみな同じ時。
共通的な時間が生まれ始めたのは、科学革命や産業革命の頃なのだそうです。ニュートンが一定に流れる時間がある(そうではないのが時間であると認識されていた)と導き出したり、電車の時刻表を作るときに共通の時間がないと時刻表をみるときに混乱したり(ちょうど海外へ向かう飛行機のなかで混乱するように)。そういう、世界がつながり、連動し出したことをきっかけとして時間は整理されていったようです。逆に言うと、それ以前は、もっとムラ単位での時間がつかわれていたのだそうです。
読書会では、昔は時間はもっとまわりの人と共有するものだったのですね、というような話が出ました。たしかにそうなのだと思いました。もっと身近な人と共有するもの。一日の長さが日の出から日の入りまでと定められていた時代や地域があったようで、季節によって一日の長さが変動していたという話も本にはありました。もしまわりの人が怠け癖がある人たちだったら一日の長さも短くなりそうだな、なんて思ったりしました。
1月22日:読みたい本を気ままに読む読書会
Takashiさん『「豊かさ」の誕生(下)』ウィリアム・バーンスタイン著 日経ビジネス文庫
経済史の本だ。下巻はオランダがどうやってヨーロッパの中で先陣を切って経済発展したのか、イギリスとアメリカがどうそれに続いたのかというところから始まる。
16世紀くらいに遡って解説されているが、過去の順列がほぼ現代にも反映されているという記述があったので、2018年ごろの国民一人当たりの総所得を別の資料から調べてみた。(データブック オブ・ザ・ワールド 2020、二宮書店より、数値は四捨五入)
オランダ 47,000ドル
イギリス 41,000ドル
アメリカ 59,000ドル
ドイツ 44,000ドル
日本 38,000ドル
アメリカは別格として、オランダがドイツよりも高いのは驚きだ。本書導入部の記載のとおり、これらの違いは歴史的背景からも説明できるのだろうか。楽しみに読み進めたい。
原有輝さん『暗黙知の次元』
暗黙知は、暗黙のルールというか、不文律のようなものでしょうか。
人は言語化できる以上のことを知っているため、言葉にするのは難しいです。
本人でも、なかなか自覚がない場合が多いようですから。
ですが、この暗黙知が、科学と哲学の重要な問題であることは間違いないようです。
名医の診察もこれにあたるようです。
よしだ『実力も運のうち』マイケル・サンデル著/鬼澤忍訳
今日読んだなかでは「アメリカが偉大なのはアメリカが善良だから」という論法を政治家が用いてきた、というところが印象的でした。つまり、偉大であるという結果に対して、原因を善良だからと結論づけているということ。結果と原因が1対1で結びついています。
善良とは何か・偉大とは何かという疑問はさておき、このようなシンプルな対応関係は、人々を鼓舞し動機づける強さも発揮するけど、逆に脆さもあるという、諸刃の剣であるように感じます。なぜなら、偉大でなくなれば自分たちは善良ではない、という論理にいたってしまうかもしれないからです。
物事をしっかりみようとすればするほど、複雑さが明らかになり、余計にわからなくなっていくように思います。それはあまり気持ちのいいものではないのですが、複雑に捉えられるようになることで、100から-100のような大きすぎる振れ幅に脅かされることが少なくなるのではないかなどと思いました。
1月23日:読みたい本を気ままに読む読書会
小澤さん『暇と退屈の倫理学』
本書はタイトルのとおり、哲学者が暇と退屈について倫理してみましたという本。
結論の章から先に読むと、結論だけ読んでも仕方がなく自分のやり方を見つけるしかないという警告があり、見透かされた印象。ざっくりというと以下のような記載があり、言葉としてはその通りだけど、退屈を克服するのはやはり難しいなと感じた。
・消費ではなく贅沢をすること
・ものそのものを「楽しむ」こと
今回は第1章までを読んだ。「退屈」とは事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものという定義でラッセルを引用している。事件とは今日と昨日を区別してくれるものという意味。
そして、退屈の逆は「楽しみ」ではなく興奮であるという記載があった。
確かに退屈をしのぎたいだけの人は射幸性が高いような興奮するものをやってしまうのだろうなと感じると同時に知的なものに興味を感じる人もいるだろうし、必ずしもそうではないかなと感じた。
平和な日本にいると退屈を感じることがある。贅沢な悩みに感じるが、本人にとっては重要な問題のはずだ。また、退屈が文化を生み出すと個人的には思うので、それはそれで必要なものに感じる。
mtさん『映画篇』金城一紀著
映画をモチーフとした連作短篇です。最初の短篇タイトルが「太陽がいっぱい」。主人公の僕が中学生だったころ、同級生と自転車をこいで、たくさんの映画を見に行きました。少年たちは、「大脱走」のスティーブ・マックィーンや「ドラゴン怒りの鉄拳」のブルース・リーがかっこいいと胸をときめかせ、どんな映画が面白かったかと言いながら、映画タイトルを挙げていきます。そんな彼らはやがて、人生の岐路を迎えます。「太陽がいっぱい」は光と影のコントラストを描いたフランス映画。僕の心情を入れ子構造で表しているかのように思われました。
3つめの短篇まで読みましたが、登場人物たちは人生の一コマで、自分ではどうすることもできないことによって苦悩や絶望と向き合うことになります。身動きできない登場人物たち。いつまでならば立ち止まっていてもいいのか。どのタイミングで踏ん切りをつけなければいならないのか。正解など、どこにもないことはわかっているのです。
「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画があります。映画館を題材とした名作ですが、ラストの試写室の場面は、モリコーネのテーマ曲とあいまって秀逸です。おそらく主人公の意識には、目の前の映像を通して、懐かしく美しい思い出の数々が甦り、そのことによってかつての目の輝きを取り戻すのです。映画はそこで終わりますが、グダグダだった主人公がそこから歩き出すであろうことは想像に難くないことです。
短篇という短い紙数を連作にすることで、重層感や多様性、関わり合いの妙が描かれ、懐かしい映画タイトルにワクワクしながら、構成の見事さに感心しました。
Yukikoさん『羅生門』
子供の部屋に置いてあった芥川龍之介の「羅生門」。
表紙が今風の漫画風。ちょっと新鮮に見えて読んでみたくなりました。
①羅生門
②鼻
③孤独地獄
③の孤独地獄が意外なほど今の自分の気持ちにハマって、若い頃読んでいてもこの気持ちわからなかったよなあと思ったのでした。
「天才」という人達は凡人には分からない孤独を感じながら暗闇の中を手探り生きてとても孤独な存在なんだと思いながら読みました。
人は本当の意味おいてお互いを分かり合えない(だいたいしか分からない)と自分自身の心に折り合いを付けて生きていればもうちょっと長生き出来たのかなと思ったりしました。
今、あなたの名前の小説の賞があってそれはとても名誉ある賞なのですよと芥川龍之介に教えてあげたいです。
そして私達はあなたの書いたものに敬意を抱いて、その文学性をとても尊敬しているのですよと。
過去の読書感想はこちらに載せています。
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