参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。4日(火)は3名、5日(水)は11名、8日(土)は12名、9日(日)は10名の参加でした(主催者含む)。
日曜日の「質問「 」について考える時間。」の質問は、
あなたが百以上数えたことがあるものを三つあげてください
(田中未知著『質問』(文藝春秋))
でした。
10月4日:読みたい本を気ままに読む読書会
よしださん『限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?』マイケル・ブース著/黒田眞知訳
なんとなくいい感じの世界に触れてみたくなって先日の読書会で話題にあがったフィンランドを目指して本を探してみました。タイトルは固めだけどその分しっかり書いてある気がしていて、今日から読み始めです。
すると、タイトルは皮肉なのではないかと冒頭から思わされます。幸福度ランキング1位?うそだろ?この国(デンマーク)ではこんなこともあんなこともあったんだぜ?的な論調でスタートしました。それがなぜ皮肉なのかというと著者が住んでいるデンマークの人間像はルールに厳しく理知的という感じで語られていたから。
幸福度ランキングについて少し調べてみましたが、決して国民の主観的な感情だけではなく、GDPや社会保障などの客観的数字も合わせて点数化されているようです。日本はランキングがあまり高くないのですが、他者への寛容度という項目が低いのだとか。あるいは幸福度とは別の「レガタム繁栄指数」という豊かさに関する調査では、社会関係資本(社会や人への信頼、人とのネットワークなど)が著しく低いという結果も。日本はGDPも社会保障も安全・衛生面も良いのだけれど、そういうものを真面目に追求しすぎた結果なのかな、なんてことも思ったりしました。
デンマークでは仕事は午後4時には終わるし、休暇は長く別荘を持っている率も高いし、酒なんかも飲んだくれるよう。それでも(?)、デンマークを含めた北欧全般で産業面でも外貨を稼げるようなものがあり、それでいてあまり競争社会ではないらしいです。新しい社会のあり方というのはそこにありそうな気はしています。でも著者は、陰鬱な国というような書き出しをしていますが。でもそれでも気になって仕方がないのが北欧ということなのでしょう。もう少ししっかりと実態を知りたくなりました。
おおにしさん『信仰』村田沙耶香
短編「信仰」の感想
現実主義者の主人公永岡は友人や妹がエステやセミナーに大金を払おうとするのが許せなくて、現実を見よと説得するが結局友人も妹も縁を切られてしまう。
妹の「お姉ちゃんの『現実』って、ほとんどカルトだよね。」という言葉に、自分が今まで良かれと思ってやってきたことはカルトの勧誘だったのかもしれないと動揺しまう永岡だった。
この永岡の動揺する気持ちが私にはよくわかる。私にもカルト宗教に入信した会社の後輩がいたが、説得に失敗して彼は会社を辞め音信不通になってしまった。当時の私は彼を救いたい一心でかなりひどいことを言ってしまったと思う。もしかして私の考える「正しい現実」を彼に押し付けていただけなのかもしれない。
永岡はその後、高校の同級生斉川の地動説セラピー(なんとも怪しげなセラピー)に参加する決意をするのだが、その理由は斉川ような「信仰」している人に自分を洗脳してほしいというもの。永岡は現実から離れ、自分自身も夢を見てみたくなったのだ。
(結末は読んでのお楽しみ・・・)
このセラピーに参加しようとする永岡の気持ちも理解できる。私も自分の嫌な性格が変えられるのなら高額なセミナーに参加してもよいと思った時期があったからだ。
これほど私の心にストレートに刺さってくる小説は久しぶりだ。
*ハオズさんのストーリーテリングの話が印象に残りました。いつかハオズさんのストーリーテリングを聴いてみたいです。
10月8日:読みたい本を気ままに読む読書会
Takashiさん『語りえぬものを語る』野矢茂樹著
著者は日本の哲学者、論理学者。本書は言語と概念がどうやって他人と共有されるのかということについて順を追って解説している。今回は18章の感想だ。
例えば痛みという感覚。痛みそのものは他人と共有できないが、概念は共有できている。金槌で指を叩くという状況は万人に「痛い」という感覚を引き起こすからだ。では私にしか判断できない「E」という感覚と、「E」を表す私的な言語は成立し得るのか?と、こんな感じで話は進む。
本書には書いていないが、私は「E」を「霊感」に置き換えて考えてみた。真偽は別として、五感に属さない「霊感」という感覚を持つ人は少数存在する。しかしその感覚は一般に共有されるものではない。「金槌で指を叩くと痛い」というレベルの典型的な状況がないからだ。さて、それではいったいどうやって共有されない「霊感」という感覚が、共有された言葉として成立するのだろうか。
今日の読書会ではそんな話をしたのだが、案外みなさんの興味を惹いた様で面白い会話になりました。ありがとうございました。
10月9日:読みたい本を気ままに読む読書会
よしださん『コミュニティ』ジグムント・バウマン著/奥井智之訳
今日読んだなかで印象に残ったことは、あらゆる差異は承認を受けられる機会を均等に与えられるべきであるということです。いわゆる公正さに対する議論です。あらゆる差異とは、たとえば近年の例で言えばLGBTQなどを指すのだと思います。
まず気になったのは「承認を受ける」という点についてです。各個人がもつ差異というものははたして承認を受ける必要があるのか。少し考えてみましたが、私のなかでは承認を受けた方がいいのだろうという考えに至りました。
理由は、ひとつには、承認を受けるプロセスは社会の人々に理解してもらう機会となるだろうと思えるからです。承認を受けるプロセスとは、私のなかの想像ではメディアを通した認知や学校や家庭での教育を意味するのだと思っています。ただたんに「今日からこういう差異をこのように名づけし承認します」というような結果通知だけでは理解が進まないように思います。だから承認を受ける機会を得て承認を受けていくというのは必要なことのように感じました。
そして承認を受けた方がよいと考える理由のふたつ目は、社会から理解がされなければ生きづらいのではないかと思ったからです。人はやっぱり他者からの理解を気にする生きものであるように思います。だからできることなら承認を受けるということは大事なことのように思います。そういう意味で、社会的な承認を受けていない差異をもつ人が、それを表に出して活動することはすごいことなのだなと改めて思いました。
その一方で本の中で気になったのは、承認を受けられるか否かの判断を「価値」を基準としている点です。あらゆる差異に価値があると言っているわけではないと本の中では書かれています。無批判に承認をすることは理解をするというプロセスを省くことを意味すると思うので、最初からあらゆる差異を承認するという前提にするのも違う気がします。しかしながら価値とは誰がどのように決めるものなのか、そこは少し、いやかなり気になりました。
過去の読書感想はこちらに載せています。
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