実家の農業を手伝っているとき、この作業をもっと機械化できないものだろうかと思うことがあります。たとえば、りんごの重さごとに箱に振り分ける作業では、計りが発する音声に合わせて人がりんごを各箱に振り分けていきます。この箱への振り分け作業は非常に単純です。右から左へりんごを流しているだけで、この作業を行う僕の手は指先は多少器用だけど知能はさほど必要としないロボットのようです。しかも機械の音声に言われるがままに箱に振り分ける。機械に命令されているようで何だか気に入らない。その機械の言いなりになっている間中、もっとこうすればいいのではないかなどと考える。
しかし同時にこんなことも思いました。仮にここで僕が画期的なアイディアを思いついたとして、どういう結末になるだろうかと。人の手を使わずとも作業ができるようになったら、それに費やしている時間分だけ暇ができるかもしれない。ゴロゴロしながらテレビが観られるかもしれない。なのですが、仮にそのアイディアが製品になったとしたら、他の農家もそれを導入し同じように余剰時間ができる。製品にならなかったとしても田舎なのでそのアイディアは噂で広まるかもしれない。そうなったら同じように余剰時間ができる農家が増えていきます。
みんな暇ができて仕事以外のことをしていれば一件落着なのですが、そのなかに働き者がいたら大変です。なぜ大変なのかというと、その人が余剰時間を使ってさらに優れたりんごやりんごの作り方を編み出したら、その農家のりんごがどんどんと売れて他の農家が脅かされます。だから余剰時間ができたとて遊んではいられない。今のままであればみんなそれぞれ適度に儲かって平和なのではないか。そもそもりんごは既に十分おいしいし。画期的な誰かのアイディアは、あるいはそんなことを考えている今の僕は何か意味のあることをしていると言えるのだろうか。
余剰時間ができたらその時間を使って新たな競争が生み出される、そんなことを思ったとき、改めて僕は競争社会に生きているのだなと実感しました。しかしながら、競争があるからこそ「さぼっているとヤバそうだな」というのがあって、何かよりよくする方法はないかと腰を上げるというのも確かです。それがあるから社会の利便性が高まるというのもあるだろうし、そうして働いている人自身も充足感を得られるというのもあるのでしょう。
では、競争の何が嫌な感じがするのか。そんなことを考えてみると、速さを強いられるのがちょっときついなと思いました。誰かが画期的なアイディアを実践しているからといって、自分もすぐにそれを取り入れたり、超えるものを作ったりしなければいけない。消費者は待ってくれないから、睡眠時間を削ったり寝ている間も考えたりしなければいけない、みたいなバクバク感がちょっと嫌です。疲れるし健康を害するみたいなこともありますし、自分の思考や理解が追いつかないみたいなのも嫌です。生きることへの主体性が遠のいていくような気がします。
言い方を変えてみると、競争の同時性が嫌だということなのだと思います。その人がこうしたから自分も急いでやらなければいけない、という同時に同じ土俵で競い合うことを強いられるというのが好きではないのだと思います。ちょっとそこから降りたいなという気持ちになります。
では、その嫌な状況を避けるためにはどうすればいいのか。それは同時に競争しなければいいということになります。なんだそれは、となるかもしれません。競争とは同じ土俵に上がっているから競争なのであるし、商売であれば消費者は常に比べながら選んでいるのだから常に競争にさらされている。競争イコール同時なのである。どうすればいいのでしょうか、あるいは本当にそうなのでしょうか。
ひとつには、以前テレビであるサンドイッチ会社の社長が、焦るとか忙しくなるとかそういうことが嫌だから先回りしていろいろとやっている、みたいなことを言っていました。楽をしないでいつもいろいろと考えて動いている、そうすると追い立てられるような忙しさは避けられるのかもしれません。その人は勤勉に動いているのだけど、その分競争の同時性にはさらされていない。少し違う時空で生きている、という感じでしょうか。
ふたつには、戦略をもつことなのでしょうか。戦略に関する考え方はいろいろとあるのだと思いますが、僕がいいなと思うのは戦うのを避ける(略す)ための計略であるという考え方です。やっぱり僕は競争は嫌なのだと再確認します。
競争というか他の人がいいものを生み出すのは刺激になるし、消費者としてはうれしく・ありがたいことです。しかし自分はその競争の波になるべく巻き込まれたくない。その具体的な方法はまだまだわかりませんが、スタートを早めに切るとか、ゴールのタイミングを後ろにずらすとか、そんな「時間軸をずらす」という考え方ではどうかと思ったりしました。ゴールのタイミングを後ろにずらすというのは、「俺はまだゴールをしていない」などと言って勝ち負けの判断をあいまいにしてしまうということです。うさぎとかめの競争でいうと、どちらかといえばかめ寄りの考えということなのかもしれません。かめのように、コツコツとやっていく・しかもゴールを切らないという競争への向き合い方もあるのではないかと思いました。
(よしだ)
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