2024.12.16

読書会の読書感想(12/11-15)

 参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。11日(水/午前)は2名、13日(金/夜)は3名、15日(日/午前)は6名、15日(日/夜)は2名の参加でした(主催者含む)。

12月11日(水/午前):読みたい本を気ままに読む読書会

よしださん『モラトリアム人間の時代』小此木啓吾
 モラトリアムの意味とその変遷みたいなことが書かれているところを読みました。
 モラトリアムは一般的に「猶予」というような意味があるらしく、人間に当てはめると、社会に出るための猶予期間ということのようです。元々は、医者や弁護士など、仕事に就くために事前の十分な勉強が必要な人に対して与えられる社会人になるまでの猶予期間という意味合いが強かったということです。
 それが、時代とともに変わってきました。工業化が進むにつれて、医者や弁護士と同じように大学で勉強してから社会に出る必要がある人が増えてきて、モラトリアムを与えられるべき人が増えてきました。つまり、より一般的になったということです。
 さらには、昔は師弟関係のように、基本的には年上の人から知識や技術を学ぶことが一般的でしたが、新しい知識や技術は年上の人から学ぶことができません。そうなると、いくぶん吸収力のある若者が重宝され、モラトリアムの地位が向上していきます。昔のモラトリアムは、その期間にいるのは一人前になる前の半人前の期間であり、認められないばかりでなく恋愛なども自由にできなかった。だから早く抜け出して一人前になりたい期間だったそうです。それが、モラトリアムの必要性のなかでその地位が向上し、なかにはそこに安住して抜け出そうとしない人も増えてきたとのことです。もう少し付け加えると、モラトリアム人間とは、単に社会に出ない・仕事に就かない人を言うのではなく、立場を示さない人・決めない人・(提供を一方的に受けその都度態度を変える)お客様気質の人を言うとのことです。これは定義の問題ではありますが、そのように記されています。

 別の方が読んでいた本の話の流れで、責任の話にもなりました。何をやらかしても「それはあなたの責任じゃないのよ」と言われるような、責任が個人に帰属しない世界に生きるのはどうなのだろうということです。僕は前に少し想像してみて、それはさすがにハリがなさすぎて嫌だなと思いました。責任は押し付けられると嫌なのですが、自らもつのはそこまで嫌なだけではないような気がしています。モラトリアムという期間も必要だと僕は思いますし、それは働きながらでもこころの何割かはモラトリアムであるというのもいいなと思っています。でも、責任はもてていた方が尊厳や充足という意味でいいのではないかと思っています。


過去の読書感想はこちらに載せています。

読書会参加者に投稿いただいた読書の感想です(2024年10月-)。

 

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