世界の見方を変えてしまうほどの偉大な発見があります。ただ、その偉大な発見を形作る中心は、とても素朴なひとかけらなのではないかと思うことがあります。
例えば、縄文時代以前の時代である旧石器時代が日本に存在したことを示した発見があります。納豆売りなどの行商で生計をたてていた相沢忠洋氏は、1949年に明治大学の研究チームと共に群馬県笠懸町岩宿で調査を行い、黒曜石で作られた槍の石器を発見しました。歴史で習った記憶があるかもしれませんが、これが「岩宿遺跡」です。
相沢氏が発見したのは、火山灰が降り積もってできた地層である関東ローム層からのものでした。考古学的にはこの層は、火山灰が降りしきる中で人類が生活できたはずがないとされて、調査の対象となっていませんでした。関東ローム層に到達したら調査を打ち切るという、調査の底となるような層だったのです。
相沢氏は実は、1949年に岩宿の発見をする3年前から、この層に細長い黒曜石のかけらなどを見つけてはいました。しかし、それを専門的な研究者に伝えても相手にされなかったのです。そんな層に人類の痕跡があるはずはないというのです。
しかし、粘り強く大学に持ち込み理解者が現れ、縄文時代よりも前にヒトが列島に存在したらしきことが岩宿に発見されると、他の研究者たちも一斉に発掘に乗り出します。そして次々と、日本に旧石器時代が存在したことを示す痕跡が見つかり出したのです。
この発見によって、日本列島にヒトが渡ってきた年代が大きくさかのぼることになったため、日本人はいつ・どこから来たのかという議論に大きな渦を巻き起こしたことでしょう。しかしその渦を引き起こした歴史的快挙は、納豆売りの遺跡好きな青年が見つけた、石のひとかけらだったのです。
進化論で有名なダーウィンは、「ミミズが大地を耕している」ことを発見して発表したことがありました。ダーウィンの知人がこんな話を持ちかけました。「昔石灰を厚くまいた土地があるが、いつのまにやら地面をおおっていた石灰がなくなってしまった。火山の噴火も大洪水も、石灰を消し去ってしまうようなことは起きていないのに」。
そこで、地面を掘り進めてみると、地表から7cmのところに石灰の層が見つかりました。ダーウィンは丹念に観察していきます。すると、それはミミズの仕業だということが分かったのです。ミミズが頭を地中にうずめて土を食べ(厳密には土に付着する微生物を食べ)、おしりから地表に糞を出していたのです。それが土として地表に堆積することで、地表の石灰は次第に地中に沈められてしまっていたのです。
「ミミズが大地を沈めて新たな地面をつくりだしている」とも見ることができる壮大な発見は、その実、ミミズの食事と排泄によるものでした。
他にも、A/T/G/Cというわずか4つの文字(塩基)よって、生物の設計図である遺伝子・DNAが記述されていることが示されたこともありました。それが示される前は、こんな複雑なヒトや生物を記述するものは、もっと複雑なものであるはずだと思われていたそうです。しかしその実は、日本語よりもアルファベットよりも少ないわずか4文字の羅列によって構成されたものだったのです。
世界の見方を一変させてしまうような大発見は、小さなひとかけらに潜んでいることがあるようです。ただ目の前を通り過ぎていってしまいそうなそれが、好奇心と想像力によってさまざまなものを巻き込み、大きな創造物になっていくように感じられました。
〈参考図書〉
岩宿遺跡の発見とダーウィンのミミズの研究については、それぞれ以下の書籍の一部に記述があります。
・岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社学術文庫)
・佐々木正人著『アフォーダンス入門 ー知性はどこに生まれるか』(講談社学術文庫)
(吉田)