さきほど、『遺伝的探訪 〜挑戦するすべての人へ〜』というブックレットをリベルに置いておきました。ここでは、ブックレットの「あとがき」を書くことによって、内容の紹介に代えさせていただきます。
才能とはどういうものなのかを考えてみました。何かに挑戦しようと思う時、漠然とでも目指すものがある時、自分にそれはできるのかという気持ちを抱くことがあります。自分よりも早くそこに到達している人がいたり、同じスタートラインに立っていた人がいつの間にか先に行っていたり。自分を焦らせ、疑わせる材料はいくらでもあります。
世の中には、いろいろな才能の有り無しを決めつけるような議論があり、根拠のない主観的な主張でも時に強力なパンチ力を持つことがあります。今回は、そこから脱して考えてみたいと思いました。楽観的にでも悲観的にでもない、中立的で客観的に考えてみたかったということです。
…というのはすこしウソでして、中立的にはなかなかなれず、才能は特定の人に宿るのではなく、様々な才能が人には宿っているという立場は変え難いものでした。ただ、客観的にそう言えるのか、なぜそう言えるのかという論理には気を配ったつもりです。そういう意味では、一定程度の中立性も担保されていると言えるかもしれません。
人生はいくつのステージに分けられるのでしょうか。
一つには、働き始める前の高校生・大学生までと、働き始める二十歳前後から65歳くらいまでと、退職後のおよそ20年から30年というように分けられるのかもしれません。
ほかにも、20代までは挑戦も許容されるけど、30代くらいからは安定を求められたり。働き盛りの何十代と言われたり。年齢による枠組みというのは、社会に存在するように感じます。
しかし、遺伝的な視点から才能というものを考えた時に、才能の発見というのは一生ずっと求め続けた方がいいものなのではないかと思いました。そしてそれが見つかった時が、また新たな一歩を踏み出す時なのかもしれません。
かの有名な孔子は言います、「五十にして天命を知る」と。当時の平均寿命を考えると、意外と遅いのだなと思いました。その時を迎えるために、固有名詞的な才能の発現に向けて努めていきたいと思います。
このブックレットの作成にあたっては、慶應義塾大学文学部教授の安藤寿康先生にご協力いただきました。ありがとうございました。
(吉田)