前編では、変温動物から恒温動物への進化によって、体や緒器官の働きが早くなり安定したということを紹介しました。それによって時間あたりにできることが増えたため、相対的に新たな時間を獲得したことを意味するということを述べました。
しかしその一方で、時間を獲得するためにエネルギーとしての餌も必要になり、食料獲得に奔走しなければいけなくなったことも分かりました。つまり、恒温動物は時間を獲得することには成功しましたが、決して暇になったわけではないのです。
では、私たち人類の場合はどうでしょうか。
ホモサピエンスとしての人類は、ここ数万年・数十万年という時間軸で生物的にはほとんど進化していないと考えられています。
しかし、生活は産業革命以後の数百年で大きく変化しました。石油や石炭を使い、自動車・電車・飛行機を動かし、時間あたりに移動できる距離が大幅に増えました。最近では、ECサイトやテレビ電話によって、自分が動かなくても買い物をしたり人に会ったりすることができるようになりました。時間あたりにできることが格段に増えたのです。
これは、テクノロジーと石油・石炭などの一次エネルギーの活用によって、時間を獲得することに成功したと言えるのではないでしょうか。変温動物から恒温動物への進化によって成し遂げたことを、人類は既に成し遂げているのかもしれません。
しかしながら、時間を獲得することに成功した私たちは、時間をたっぷり持っているという感覚を得られているでしょうか。なんだか、余計に忙しくなっている気はしないでしょうか。
私もなんだかんだで、趣味の自転車に乗る時間や、料理をじっくり楽しむ時間は後回しになりそうです。時間を生み出す術は得ているのに、時間を使うのはあまり上手くなっていないのかもしれません。
おそらく今の私たちは、時間をたっぷり持つことには成功しているように思えます。したがって、必要とされる時間術は、時間をさらに生み出す「節約術」ではないのではないでしょうか。どんな風に過ごしたいかを考え、そのような時間を生活に組み込んでいくようなデザイン力ではないでしょうか。
世界が回る速さを変えることは困難です。生活の一部にそれを組み込んでいくことが現実的なのではないかと感じています。
〈参考〉
1.本川達雄著『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書,1992)
2.画像元のフリー写真提供者:https://www.photo-ac.com/profile/430898
3.『時間はたっぷりあった方がいい? -前編-』
(吉田)