2021.03.13

〈あとがき〉『遊動する生 〜ちょうどいい自由をさがして〜』

縄文の思想から、生き方について考えてみました。極端にも思える視点であるからこそ、俯瞰的に考えられたような気がします。ブックレット『遊動する生」のあとがきです。

 新しいブックレット『遊動する生 〜ちょうどいい自由をさがして〜』をリベルに置いておきました。ここでは、「あとがき」を内容の紹介と兼ねて書いていきます。

 切り詰めたような毎日を送っている時に縄文の文化に触れると、落ち着くような感覚になることがあります。旅行で言えば、沖縄に行った時のような感覚かもしれません。縄文の文化は、合理性や効率化からは少し離れた、あいまいさと、自然を畏敬し自らをその一部と捉える全体感をもつものであると感じています。そこに、今にはない自由があるように感じました。今回は、縄文に感じた自由を解明していくような心持ちでブックレットを作成しました。
 自由とはいっても、決して「楽」という意味ではありません。本当の縄文時代は、狩猟・漁労・採集を生業としており、計画がたてづらく危険が伴うものでした。また、今のような医療体制がないので、死に直面する場面も多かったはずです。
 そういった生業や生活、生き方を知ると、「かわいそう」とか「今の方がいい」と思ってしまうかもしれません。しかし縄文の思想で生きる人たちは、おそらく今の私たちとは全く異なる観念や、自然や人に対する理解をもって生きていました。その時代の人たちは、その時代での思想や考えをもって、生きているのです。
 今とは対極にあるようにも感じられる縄文の思想は、生き方を考える際の一つの極点となってくれるのではないかと思います。今とは違うものに漠然とでも良さを感じたのであれば、そこには今をよりよくするためのヒントが隠されているはずです。右肩上がりの直線というよりも、円的に生きるという表現の方が近そうな縄文の文化や生活は、いかがだったでしょうか。

 まったく異なる文化や環境で生きている私たちが縄文の思想を実践してみようというのは、少し無理があるのかもしれません。そもそも今回のブックレットのスタンスは、それを完全に受け入れようというのではなく、一つの座標軸や視点のようなものとして持ってみてはどうかというものでした。それでも自然と一体となって暮らしていた縄文の人々の視点をもってみようとしても、彼らとは体験が違いすぎます。そこで今回提案してみたことは、生き物や人の社会、あるいは人間そのものについて学んでみることでした。それによって、あいまいでありながらも方向性だけはもって生きられるようになったり、大きなものと反発せずに自分らしさを発揮できたりするのではないかと思いました。
 現代のような速さと明解さを求められる社会においては、縄文の思想100%で常時生きていくことは困難であるように思われます。また、速さ・明快さ・経済性を求める方がいいことも、もちろんたくさんあると思います。ですので、そこは使い分けてもいいと、個人的には思っています。シャープさや計画性をもって生きる時と、あいまいさやその時々に焦点を当てて生きる時と、両方を携えてみて、調整しながら自分にとってちょうどいい生き方を探っていくのがいいのではないでしょうか。その調整軸の片方の極点として、今回のブックレットが参考になればうれしく思います。

 今回のブックレットの作成にあたっては、札幌大学教授の瀬川拓郎先生にご協力いただきました。対極であると感じつつ、どこか現実感も感じられながら、振れ幅をもって生き方について考えることができました。ありがとうございました。


〈ブックレット『遊動する生』の置き場所〉
 リベルサイト内に配置しています。現在は無料で公開しています。
https://liber.community/not-fixed-living/

〈『遊動する生』を使う読書会について〉
 3月21日(日)の午前10:00〜11:30に行います。もしご都合がつかない場合は、ご質問・ご要望フォームまでご連絡ください。何度でも開催致します。
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(吉田)

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