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なにか人々をまとめるような力が、そこにあると思ったのです。
民主主義国家のイギリスや日本でも、国王陛下や天皇陛下という「君主」が存在します。かつては、絶対的権力を有し国家を動かしてきた君主ですが、社会が民主化するにつれて、その権力は制限されていきました。
しかし、そのような明確な権力や権限を有していない現代においても、君主は存立し、その存在を人々から求められているように感じます。
そのような存在は、国家だけではなく、企業や、企業が生み出すブランド、あるいはスポーツチームなどにも求められているのではないかと感じます。人々が、ボトムアップでその存在を認め、求め、その存在を通して所属感を感じられるような、そんな存在です。
近年は、終身雇用が崩れるなど企業への所属意識を持つことが困難になり、他方ではモノやサービスに所属的感情を抱くような変化も起きていると感じます。人間の本性でもある所属の欲求を、どのようにしたら抱いてもらえるのか、それによって関係する人々へどのように幸せを提供できるのかを、考える機会も増えてきたのではないでしょうか。
そのような背景から、民主主義社会において君主はなぜ存立を求められるのか、人々に対してどのような役割を果たしているのか、学び考えたいと思ったのです。
このブックレットでは、君主の権限や役割の変化を、イギリス社会を参考として概観しています。その歴史を概観することで、人々が君主に何を求めなくなっていき、反対に求めることとして何が残ったのかが、見えてくるのではないかと思ったためです。
イギリスは、民主主義社会を象徴するシステムの一つである、議院内閣制が生まれた国であるため、その民主化の流れを概観することができます。具体的には、歴代のイギリス君主がどのような政治活動を行い、その結果、人々にどのように受け入れられたのか、あるいは受入れられなかったのかを見ていきます。そして、民主主義社会となった近代のイギリス国王陛下の振る舞いから、なぜ現代でも君主が人々に求められているのかを紐解いていきます。
国家と、企業やファンコミュニティでは、共同体の目的などは異なりますが、構成するのは「人」であり、その本性は同じであると考えられます。長い歴史を持つ君主と国民という関係性から、共同体にとっての君主的存在の必要性や、その役割について考える機会になればと思っています。
(吉田)