今日はリベルのブックレット『未進化な心の混乱 〜現代のコミュニティ生活のあり方を考える〜』を使った読書会でした。
ブックレットの概要ですが、まず前提として私たちの心などの遺伝的特性は、狩猟採集の社会環境に沿って形成されたものであるとしています。私たちの心や脳、四肢などの身体、五感などの感覚などは、人類が生きてきた環境に合わせて進化してきました。もっと正しく言うと、環境に合った特徴を有する個体は生き残り、そうでないものは淘汰されてきました。環境が私たちの進化の方向性を決める一方で、私たちの遺伝的特性・形質は、そこまで目まぐるしく変わることができるわけではありません。進化のスピードはとてもゆっくりなのです。
人類の社会環境は、およそ1万年前の農耕革命、300年前の産業革命によって大きく変化しました。しかし、そのわずかな期間に合わせて進化できるほど柔軟ではないため、私たちの特性は人類が数十万年・数百万年を生きてきた狩猟採集の社会環境に適応していると考えるのが妥当なのです。
狩猟採集の社会環境は、集団の規模が最大で150人程度であり、人口密度は現代に比べると非常に小さかったため集団は点在しており、生まれた集団でほぼ一生を終えていきました。つまり、一つの集団内の他者は一生を共にする一蓮托生の仲間であり、日常の所作から全て観察されているため、信頼の判断基準は人としての誠実さにありました。このような環境を「進化適応的環境=内側」と呼んでおきます。
それに対して現代の社会環境は、集団の規模は、例えば大企業であれば数千人・数万人であり、SNSではもっと多くの人と間接的につながっています。転職や引越しなどによる集団の行き来は一般的であり、一つの集団の仲間は一蓮托生の仲間というほどでもありません。大きな集団では、一人一人の所作をつぶさに観察することもできないため、信頼の判断基準はお金・契約・フォロワーなどになっていきました。これを「文明特有の環境=外側」と呼んでおきます。
もちろん現代社会の集団が全て文明特有のドライなものになったわけではなく、家族や親しい友人関係など、進化適応的環境も残っています。または終身雇用が維持されていた頃の会社も、進化適応的環境に近かったのではないかと考えられます。しかし、その混在が一つの問題であると考えられるのです。
私たちは、自然にしていると進化適応した内側の心を満たすような環境を求めます。しかしながら、狩猟採集の頃に比べると莫大に増えた人口で生きていくためには、文明特有の外側の合理化された環境が必要なのです。
しかし、心を満たそうと思っているところに、集団内の他者は一蓮托生の仲間ではない、契約やお金の多寡で信頼性を判断しますと言われると、ストレスや不安を感じるのです。このような狩猟採集の時代に最適化された心のままで、文明特有の合理化された環境を生きようとすることが混乱=ストレスにつながっていると考えられるのです。
混乱を解消する一つの解決策は、現代社会には内側と外側の両方の環境が存在することを認識し、適切に心持ちを切り替えることであると考えられます。内側の環境に身を置くことで私たちの心は満たされます。
しかし、内側の環境だけでは今日の私たちは生きていけません。だから外側の環境のルールも認識し、それに合わせた振る舞いをすることが重要であると考えられるのです。
ただ、そこまで意識的に切り替えられるのかは正直分かりません。また、外側の環境の代表例は会社ですが、本当にドライに振舞うことで充実感を感じられるのか、またはイノベーションのような感情の抑揚を必要とするような仕事に適しているかも疑問です。正しい振る舞いや心の持ちようは、人それぞれの置かれた環境や性質などによって異なるのだと思います。環境の違いと私たちの心の特性を理解して、自分の中で少しずつ模索していくことがより充足した毎日へとつながっていくのではないかと考えています。
読書会でも、内と外の境界はどこにすべきなのかという話題が出たので、改めて振り返ってみました。生活する・生きるとは単純なものではないと思いますが、今回のブックレットで紹介した一つの見方が明日からの毎日をまた少しいい方向に変えるものであればと思っています。
明日は各々が持ち寄る読書会です。お時間がある方、気が向いた方はお待ちしています。
■8月10日(月) もくもくオンライン読書会(聞くだけ参加もあり)
・午前10:00〜11:30
・各々が読みたい本を持ってきてその場で読む読書会です
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(吉田)