2021.04.10

見えないところで脳が。

新しいステージにいく時に、脳がうまく働かなくなるような感覚を覚えるときがあります。「スキーマ」というものを知ることで、そんなストレスも肯定的に捉えられるような気がしました。脳にある構築物。

(文量:新書の約13ページ分、約6500字)

 なんだか物事がスムーズに進まないことがあります。例えば、簿記などの資格取得でしっかりと勉強したにも関わらず、実務となると混乱してしまったり。挫折のような経験をしたあとの日々の活動において、ひとつひとつに立ち止まってしまったり。頭では分かっているはずなのにうまくできなかったり、今までと環境は変わっていないはずなのに自分の中に何かつっかえるものを感じたり。こういうときは、頭にも心にもストレスを感じてしまいます。しかし、このようにペースがどうしても上がらずギクシャクしてしまうのは、脳や心の中で構造的な変化が起きているからなのかもしれません。
 今井むつみ氏の『学びとは何か ー〈探求人〉になるために』(岩波新書)[1]の中で、「スキーマ」というものが紹介されていました。私たちがステージを変える時に生じるストレスの要因が、「スキーマ」を理解することによって分かるような気がしました。そしてそれを分かることで、ストレスは疲労の原因にはなるものの決して悪いものではないなと思えるように感じたので、紹介していきたいと思います。


自分の中の常識の更新

 まずは例え話から始めさせてください。
 ある人は、モチベーションの源泉は「自分の意志」にあると考えていました。やるかやらないかは自分次第。だから、例えば勉強をしない人や部活で練習をしない人がいると、「なぜやらないんだろう」と思ってしまいます。嫌悪を感じることはありませんでしたが、不思議で仕方なかったのです。勉強してなるべくいい大学へ行った方がいいはずですし、部活も結果が出た方がうれしいはずです。やるかやらないかのはずなのに、やらないという選択をしていることに、ただただ不思議だったのです。
 しかし、ある時期、部活でやってもやっても結果が出ないことが続きました。自分なりに試行錯誤して、いろいろと頑張ったつもりでしたが、結果がまったく伴わないのです。そんなことが続くうちにやる気を失っていきました。
 その人は困惑します。なぜなら、やる気が自分の中からなくなるなんて思ってもみなかったからです。自分の中では決してやりたくないわけではない。やりたい気もするけど、なぜだかやる気が出てこない。そうしたギャップがストレスであり混乱のもとでもありました。モチベーションの源泉が「自分の意志」という一点にあるのであれば、やろうと奮い立たせる自分と、やる気が出てこない自分というギャップは生まれないはずです。自分の意志ひとつでやる気は出るはずだからです。
 そこから、やる気がいまいち出てこない理由を少しずつ考え始めます。逆にこれまでやる気が出ていた要因はなんだろうか、という振り返りをしてみました。すると、やる気が出ていたのは、良いコーチとの出会いがあり成績が急激に伸びたこと、そして成績を出すのに十分なサポートがあったこと、また良い先輩やライバルに恵まれていたことなどが、思い起こされたのです。自分の意志でモチベーションを高めていったというよりは、周囲の力が自分に呼応し、成績も伴うことでモチベーションが上がっていったのだと気づきました。
 つまり、モチベーションの源泉は「自分の意志」の一点にあるのではなく、周囲の働きかけの力が大きく、それらがうまく噛み合っていたからモチベーションが高く保てたのだと思われたのです。良いコーチとの出会いのタイミングが運動能力が大きく向上する年齢でもあったりと、偶然や運の要素が大きいとも言えました。

スキーマについて

 話を戻します。物事に対する自分なりの常識・概念・理論を、「スキーマ」と言うのだといいます。紹介した例え話でも、モチベーションの源泉に対して、当初は「自分の意志」であるという自分なりの常識をもっていました。そして、その常識をもとに周囲や自分に対する認識をしていました。しかし、その後、常識がそぐわない別の経験をすることにより、源泉は「周囲の力や運にもある」という新たな常識に書き換わりました。これらのモチベーションの源泉に対する常識や考えは、いずれもスキーマであると考えられます。スキーマとは、世の中一般の常識や絶対の真理のようなものではなく、あくまでも自分の頭や心の中になる主観的なものなのです。ただし、学習や探求によって、主観を客観に近づけていくことはできると言えます。
 『学びとは何か』の中では、さまざまなスキーマが紹介されていました。例えば、文章を読むときには、一字一字を追うのではなく、スラスラと斜め読みをすることも多いのではないかと思います。これは、書かれている内容の少なくない部分は既に知っていることであり、また文章の構成や書き方も馴染みのあるものであるからだと考えられます。つまり、既にもっている知識で行間を補っており、このような行間を補うために使う常識もスキーマであるといいます。反対に、普段読み慣れない類の文章、例えば論文や純文学などは、論理や芸術に寄っているので、読みにくいと感じられることも多いのかもしれません。また、論文では前提知識が必要になりますし、文学では背景などの理解も必要になります。文章や本などと一言ではいっても、それを読むにはさまざまなスキーマが必要となり、そのスキーマ越しに私たちは文章を読んでいると言えるのです。
 他にも将棋の例も紹介されていました。将棋は詳しくはないのですが、将棋にはさまざまな定石や、過去の対局から生まれた打ち手の蓄積があると思われます。棋士は、そのような定石や打ち手がきちんと頭に入っているがために、対局において相手の打ち手の意味を瞬時に理解し、自分の打ち手を考えることができます。この時、頭に浮かぶ打ち手の候補は、わずか数手なのだそうです。あらゆるパターンを想定するという意味では、それこそ無数に候補は挙がると考えられます。しかし、将棋の戦略に関するスキーマが熟達している棋士は、瞬時に筋が悪い打ち手は切り捨てられ、筋が良い数手だけが頭に残るのだといいます。
 他にも言語の習得にもスキーマが関わってきますが、それに関しては『学びとは何か』の中で詳しく触れられていますので、興味のある方は本を手にとっていただければと思います。

スキーマのメリットとデメリット

 スキーマが構築されることには、メリットとデメリットがあります。
 まずメリットとしては、認識や理解のコストが下がり、対処するスピードが上がることにあると考えられます。さきほどの文章を読むスピードや、棋士の打ち手の絞り込みのスピードはスキーマが構築されているからこそできることです。特に棋士の場合は、その場で膨大な選択肢を一つ一つ吟味していては、時間オーバーになってしまいます。コストが下がることやスピードが上がることは、「知識として使える」ということも意味するのでしょう。
 また実際に、脳の活動も変わるのだといいます。ある行為の過程において、初心者と熟達者を比べると、熟達者の方が脳の活動量が少ないのだといいます[1,kindle1737]。初心者は脳全体が活動的であるのに対して、熟達者は脳の活動部位も絞られており、活動量全体も少なくて済むようになるのです。これは、なにか新しいことを習得するときに、脳全体がざわざわしてすぐに疲れてしまうという日常経験とも関連しているのかもしれません。熟達までの過程で、その行為を成すためのネットワークが築かれ、脳の働きが最適化されていくのです。
 
 次に挙げられるメリットとしては、スキーマがあらかじめ構築されていることで、それに重ねて物事を考えられるようになることです。例えば、アンパンマンが飛んでいることを小さい頃は不思議に思いませんでしたが、大学などで流体力学を勉強すると、飛べることが不思議で仕方なくなってきます。アンパンマンがヘリコプター型か飛行機型かといわれると飛行機型だと思われますが、アンパンマンには浮く力を生み出すよくがありません。また、飛行機はジェットエンジンによって水平方向の速度を生み出し、それによって翼の上面と下面の圧力差が大きなり機体を浮かすほどの浮力を生み出します。しかし、アンパンマンの場合は初速を生み出すのは足のキック力だけです。また、丸い頭は四角などに比べて抵抗が少なめの形状ではありますが、流線型に比べると抵抗は大きくなります。また大きさも大きいため抵抗は大きくなると考えられます。さらには、胴体よりも大きなあんこがたくさん詰まった頭は、おそらくかなり重く、これも飛行に不利であると考えられます。
 さて、変な例を出してしまいましたが、モノが飛ぶ原理に対する一応の知識をもっていると、それに重ねて考えることができます。アンパンマンを批判的にみることだけではなく、スポーツカーの設計の際にも飛行機とは反対に車体を浮かないようにするために、地面とタイヤとの間のグリップを確保するダウンフォースを考慮していると思われます。これも、モノが飛ぶ原理という一つのスキーマを備えた技術者によって生み出されたのではないかと推察されます。
 スキーマとは構造的な知識であると言えると考えられます。翼が付いていれば飛べるとか、ジェットエンジンがあれば飛べるとか、そういった断片的な観察や情報だけでは本当に飛べるものは作れません。翼があるだけでは不十分で翼の形状が重要であることや、ジェットエンジンの目的は水平方向の十分な速度を生み出すことにあるなどの全体を理解してはじめて、飛べるものを設計できるのです。そういった構造的な知識がなければ、平たい板をもって飛び立とうとしてしまったり、アンパンマンをまねてマントをつければ飛べると思ってしまったりするのです(小さい頃は飛べる秘密はマントにあると思っていましたが…)。

 次にデメリットについてです。私たちは日々、スキーマを通して物事を見たり考えたりしています。しかし、そこに落とし穴があります。それは、スキーマにないものは見落としたり注意が働かなかったり、スキーマに合わせるように歪曲して見てしまったりすることがあるのです。
 最初に挙げたモチベーションの源泉の例では、当初は源泉は「自分の意志」であるというスキーマがあったために、周囲の力や運によって、自分のモチベーションが徐々に高められていったことを見落としていました。自分の中に確たるものがあるほど、それ以外のものは目に入らなくなってしまうのです。今井氏は『学びとは何か』の中で、スキーマとは経験則のようなものであり、子どもの頃に構築されるスキーマは特に、複雑な要因を考慮しない「思い込み理論」であると言っています[1,kindle980]。
 大人になるつれてスキーマを構築するための材料となる経験・知識・情報も多くなり、思い込みは少なくなると考えられます。また、科学的考察や批判的思考などの考え方を学ぶことでも、極端な偏りが少なくなっていくことでしょう。しかしそれでも、スキーマが既存の経験や知識をもとに自分の中で構築されていくものである限りは、思い込みを完全に排除することは困難でしょう。私たちは常に思い込みを抱えて物事を見ているということも、頭の片隅に置いておかないといけないと言えそうです。

スキーマと自分

 私たちの日々の生活や仕事は、スキーマに大きく助けられています。学ぶ過程を通して構築されたスキーマが、ある状況になると立ち上がり、効果的に物事を処理してくれているのです。考える土台になったり、直観や大局観を浮かび上がらせたり、記憶や認識することを助けたりしてくれます。しかしながら他方で、スキーマから思い込みを完全に取り除くことは困難なのでした。間違ったスキーマなんかいらないと思われるかもしれませんが、スキーマが自分の力で自分の中に構築されていくものである限りは、客観的に正しいとされるスキーマが仮にあったとしても、それをそのまま本人に植え付けるようなことはできないのだと言います。したがって、正しいあり方としては今井氏によると、「誤ったスキーマをつくらないことではなく、誤った知識を修正し、それとともにスキーマを修正していくこと」だと言います。
 有名な話としては、太陽が地球の周りを回っているという天動説と、地球が太陽の周りを回っているという地動説とで、どちらが正しいのか論争になった時代がありました。当初は地球を中心に捉えた天動説が定説でありましたが、天動説では説明できない事象が確認されており、地動説がそこに根拠を示し始めます。しかし、なかなか覆ることはありませんでした。さまざまな感情的・宗教的な背景がありそうですが、天動説というスキーマを地動説に修正することは並大抵の脳内作業ではなかったことも要因のひとつなのではないでしょうか。それまでの考えや論理は、地球が中心で太陽がその周りを回ることを前提に組み立てられていたはずです。それを一度壊して、地動説として組み直さなければならなかったのです。
 現代では、地動説が真実として置き換わりました。おそらく大事なことは、スキーマには思い込みがはらんでいるという自覚を持つとともに、何がより適切なスキーマなのかを見定めるスキルなのかもしれません。今井氏は、「仮説や理論は様々な方面から検討・吟味・評価された上で最も論理的に一貫し、頑強なものが選ばれなければならない」[1,kindle2177]としています。

 熟達者はスキーマの構築に余念がないようです。永世竜王の羽生善治氏は、十代の頃、江戸時代につくられた非常に難しい詰将棋の問題に取り組んでいたといいます。何ヶ月もの間、考えては分からなくてあきらめてを繰り返し、あるときふと分かる瞬間がきたのだといいます。土台となるような大きなスキーマであるほど、分からない状態を抱えながら、学び、考え続けることが必要なようです。
 学習において、何か一つの概念や理論を学ぼうとするときに、一冊の体系的な本を読むだけでは足りず、次から次へと自分の内に湧いてくる疑問を、ネットサーフィンをしながら(出典元の信頼性に注意しながら)解消していくことで初めて理解できることがあります。一つのまとまった知識としては誰かがまとめたものを使わせてもらうにしても、自分の知識・スキーマとするためには、自分で調べたり、生活経験と照わせたりしながら、主体的に学ぶ過程が必要になりそうです。

 スキーマが修正されるタイミングとは、「自分で自分の理論と矛盾する現象を経験して、自分の思い込み理論がおかしいことを納得できたときである。そのためには、まず、現象が自分の理論と矛盾することに気づかなければならない。」のだと言います[1,kindle1374]。スキーマがたとえ思い込みだとしても、自分の生きる環境においては適切であり何ら問題がないのであれば、そのままでいいのかもしれません。しかしながら、そこに何らかの問題や違和感を感じたり、そのスキーマを適用することで心的なストレスを感じたりするようであれば、新たなスキーマの構築に乗り出した方がいいのかもしれません。
 スキーマの再構築の作業は、とてもストレスなのだと思います。でもそのようなストレスを感じているということは、脳や心の中で、ネットワークや概念の組み替えが行われている証であると言えそうです。その先にまた新たなものの見え方があることを期待して、スキーマを柔軟かつ適切に組み替え続けていきたいと思いました。大変そうではありますが、ひとまずそういった心構えだけは持っておきたいと思います。


〈参考図書〉
1.今井むつみ著『学びとは何か』(岩波新書)

(吉田)

関連するタグ

#認識・理解 #身体・心・脳 #長めのコンテンツ

このページをシェアする

読書会

 本を読んだり、なにか考えごとをしたり、ゆっくりと使える時間になればと思っています。事前読書のいらない、その場で読んで感想をシェアするスタイルの読書会です。事前申込はあまり求めていませんので、気が向いたときに来てください。

詳しく見る >>