(文量:新書の約10ページ分、約5000字)
社内政治という言葉があります。会社内に派閥が存在すると聞くことも珍しくありません。どうやら、会社内には政治的なものが存在するらしいのです。それは、暗黙のうちにあたり前なこととして、多くの人が認識していることではないでしょうか。会社だけではなく、地域や学校など、人が集まるところには政治的なものが存在することを、私たちは経験的に知っています。
先週のリベルのブックレット『個の時代の政治 〜私たちが生きる二つ目の世界〜』(配信停止中)では、ビジネスと政治の世界では、根本的な前提やメカニズムが違うということが紹介されました。そして、その違う世界では、持つべき姿勢や考え方を変えた方が良いのではないかということも提案されました。
冒頭で述べたように、会社内にも政治があるのであれば、私たちの会社における活動では、ビジネスと政治という違う世界が並存していることになる。つまり、一つの会社という場で、二つの姿勢や考え方を併用しなければいけないのかもしれないということです。
今回は、先週のブックレットの内容をすこしだけ振り返りならが、その考え方が並存する世界で、どのように生きていけばいいのか考えてみたいと思います。そして、そのような違う考え方を器用に使い分けなければいけない状況を避けるための、方法や考え方も考えてみたいと思います。そのような使い分けは、なんだか疲れそうだからです。
私たちが生きる二つの世界
ビジネスの世界では、マーケティング手法が一般的に用いられます。マーケティングの定義は様々あると思いますが、ここでは、ターゲット顧客を定めて、適切な製品やサービスを作り、顧客が購入するまでのプロセスを、企画・設計・実行していくことであるとしておきます。
ここで重要なのは、ビジネスにおいては「ターゲットの絞り込み」が必然的に伴うということです。インフラに近い事業は別かもしれませんが、多くの製品やサービスは、ターゲットを絞り込み、顧客像を鮮明にして初めて良いものが作れると言われています。
他方で、政治の世界では、ターゲットの絞り込みは適切ではないと考えられます。富裕層にとっていい政治や貧困層に寄りそいすぎた政治、あるいは人種等で差別するような政治を行った場合、いずれかの群衆の反発を生み、平和で良い社会であるとは言えなくなるでしょう。政治の世界においては、その共同体を構成するみんなにとってベターな意思決定が、良しとされると考えられるのです。
言い換えると、ビジネスは「誰かにとってのベスト」が、政治は「みんなにとってのベター」が良い考え方であるとされる世界なのではないでしょうか。
会社においては、「誰かにとってのベスト」の誰かとは顧客であり、「みんなにとってのベター」のみんなとは社員(社内)であるといえないでしょうか。つまり、向き合う相手も、ベストを求めるのかベターでいいのかという思考の仕方も異なるのです。私たちは、そのような異なる考え方の世界が並存している場に身を置き、一つの場所なのに、なにか違う世界を切り替えながら会社活動をしていると言えるのかもしれません。
顧客のためのビジネス、社員のための政治
前述したように、ビジネスでは「誰かにとってのベスト」という思考が先行します。マーケティングの代表的な手法であるSTPも、いかに他社・他サービスと差別化するかを基本としています。STPとは、消費者をそのニーズごとに分類するセグメンテーション(Segmentation:S)、そのセグメントの中から訴求する対象を選択するターゲティング(Targeting:T)、その上で競合との違いを明確にして優位な立ち位置を築くポジショニング(Positioning:P)の3プロセスを言います。この3プロセスで、顧客にとってのベストを追求していくのです。サービスのコンセプトやプロモーションなど、顧客視点で物事を考えている時、徹底的にビジネス思考で、特定の人をイメージした「誰かにとってのベスト」を追求していると言えるでしょう。
他方で、社員のことを考えるとき、特に人事制度などは政治思考が重視されるのだと思われます。つまり、社員みんなにとってベターを考えなければいけないのではないかと考えられるのです。
そもそも、会社内の制度は、利益の社員への再分配(給与、福利厚生等)も含めて、経営層が決めることになります。これは、「価値の権威的配分」に該当し、政治的な考え方であると言えます。その制度設計などに社員は考えや思いを伝えることはできるかもしれませんが、基本的には決定権はないことが多いでしょう。だから、特に経営層は、社員のことを考える時は政治的思考が求められると考えられるのです。一部の人に富が偏るような考え方は避けるべきで、多様な視点から物事を考え、バランスのとれた意思決定をするべきであると考えられます。ただし、努力した人は正当に報われるべきで、年功序列のような年齢等で価値分配の多寡が決まるのは、妥当ではないと考えますが。
ビジネスと政治の使い分けは、簡単なようでいて、実は難しいように感じられます。
顧客視点、ビジネス思考では、顧客のためにベストを尽くして考え、実行していきます。顧客がどんな人柄かとか、自分と合うか合わないかなどは、とりあえず棚にあげておきます。もし定義した顧客層から合わなければ、それは対象から外せばいいだけです。
また、社内会議などにおいて、サービスコンセプトや戦略など、顧客視点で物事を考えている時は、顧客にとってベストだと思えば、その責任者が反対を押し切って半ば独善的に意思決定しなければいけない時もあるでしょう。社員みんなが気持ちいいかたちで、意思決定することは優先されないということです。利益という明確な指標が、その判断の正しさを示してくれるのです。
比較的、合理思考で進めることができ、なにか顧客に向けて思考を先鋭化させていくようなイメージの頭の使い方になるといえます。このようなビジネス的な思考を、ここでは「先鋭的思考」と呼んでおきます。
他方で、社員視点、政治思考では、いろいろな人がいることを受入れなければならないはずです。モチベーションの高低、ワークライフバランス、能力の種類の違いなどです。それらを絞り込んだターゲティングは適切ではなく、その会社という共同体にいる既存社員の、みんなにとってのベターを探すことが求められます。
もちろん、合わない人は解雇してしまう方法もあるのでしょうが、日本では解雇は難しいと言われていますし、近年では少子化により新たに人を採ることも難しいでしょう。また、構成社員があまりに一様すぎると、何らかの環境変動に対応できない可能性が高いので、多様性は保っておくべきであるとも考えられます。
今は働かない人も、危機に瀕した時、動き出す場合もあるでしょう。それらも踏まえて、いかに社員のモチベーションを上げるのか、その総体としての力をいかに最大化させるかを目指していくのです。
こちらは、合理思考だけではなく何か人間的態度のようなものも必要であり、社員に対して包容的な思考であると言えるのかもしれません。このような政治的な思考を、ここでは「包容的思考」と呼んでおきます。
テレビなどで見る、やり手経営者はキレキレな風貌だが、政治家はどこか大らかな感じがするのは、普段の頭の使い方が違うからなのかもしれません。そのような風貌にも表れるような思考の違いを、会社内の活動においては、両輪で求められている可能性があるのです。
この視点の切り替えは特に経営層には必要な局面があるのだろうし、一般社員もその切替ができなければ、やりきれなさやストレスを感じると考えられます。
しかし、そのような切り替えは簡単ではなく、それ自体がストレスとなりますし、その半ば相反する態度は、社員同士の信頼関係に影響を与える可能性があるとも考えられます。なにか別の良い考え方はないのでしょうか。
顧客か社員か、ではなく中心にミッション
ここまで右往左往しながら考えてきた問題は、顧客か社員か、という対立のもとに考えているために生じているものなのではないでしょうか。これを、ミッションを中心とした考え方に切り替えれば、そのような対立が解消するのではないかと思うに至りました。ミッションを中心に据えて、社員も顧客も含めた、「みんなにとってのベスト」を追求するという考え方です。
以下の図が示すところは、ミッションに対して創り手として関わっているのが社員であり、使い手や買い手として関わっているのが顧客であるということです。ただ、社員も顧客も共通しているのは、そのミッションや世界観、価値観が「いいな」と思っているということです。つまり、「みんな」とは、ミッションに共感する社員と顧客みんな、ということになります。
(ちなみに、この図や考え方は、「北欧、暮らしの道具店」の方が、とあるイベントで紹介したものに大きくヒントを得ています。)
このような考え方に立てば、社員はミッションに共感する顧客でもあるので、顧客主義か社員主義かという議論は起きにくいと考えられます。いちいち顧客か社員かという向きを変える必要はなく、ミッションに対して忠実かだけを考えていればいいのです。
実際に、明確な世界観を打ち出している企業やプロダクトでは、一顧客から熱狂的なファンになり、そのまま転職して社員となったという話も聞きます。このケースでが、顧客の延長線上に社員があったということです。ミッションに共感している前提で、「みんなにとってベスト」を目指すという一方向的な考え方は、決して非現実的なものではないと考えられるのです。
社員第一主義の意味
経営理念において、顧客を優先すべきか、社員を優先すべきかという議論があります。
会社はビジネスを行うためにあるのだから、顧客を優先すべきだという方が、一見妥当とも思えます。
しかし、LCCの先駆けであるサウスウエスト航空や、継続的に高い利益を上げているスターバックスコーヒーは、顧客よりも社員を、大事にすべき対象として上位に掲げています。社員にとって良い内側の環境を整えることが、結果的に顧客のためにもなり、会社の利益にもなるという考え方なのでしょう。つまり、経営者は、いろいろな能力、事情、モチベーションを持つ社員のみんなにとってのベターを考え、そのための制度を設計し、権威的に働く環境を整えているということです。経営理念において、社員を上位に掲げるということは、経営者の仕事も必然的に社内環境を整えることに大きな割合が割かれることでしょう。
これは前章の考え方に基づけば、ミッションに近いのは社員なのだから、顧客よりも社員を優先すべきというのは納得感の持てる考え方になります。ミッションに対する貢献度が高い社員を優先するのは、当たり前のことです。ただし、社員がミッションに共感しているということが前提になるとは思います。
別の言い方をすると、経営者やリーダーの役割は、ミッションを定義し、それを社内に浸透させる、あるいは共感してくれる仲間を集めるということだとも言えるのかもしれません。ミッションの定義自体がかなり困難なことだと感じられますが、それができれば、ミッションだけを見据えた組織づくりが可能となるのではないでしょうか。
今回は、半ば感覚的な話になってしまいましたが、顧客か社員かという分離や対立をなくしミッションを中心に据えることで、「ミッションに共感するみんなにとってのベスト」という一つの考え方で生きていくことが、可能になるのではないかと思うに至りました。
ブックレット『個の時代の政治 〜私たちが生きる二つ目の世界〜』では、私たちが生きる社会には、異なる前提を有する二つの世界が存在すると考えられました。それは、ビジネス(経済)と政治の二つの世界です。
しかし、近代的な国家システムが出来上がる前、日本では古墳時代頃までは、経済と政治を隔てた考え方はなかったように思われます。つまり、人類の営みはもともとは一つだったのです。そのような歴史をみると、それらを分離しない社会システムも実現可能であるとは考えられますが、それでも時代を経て分離してきたということは、そこには何か大きな理由があるはずです。可能性として、どのような社会システムの選択肢がありうるのか、今後も考えを深めていきたいテーマだと思いました。願わくば、ミッションに忠実である集団のなかで生きていきたいし、そのような集団を成していきたいと思ったりもしました。
(吉田)