昔の社会の習慣を聞くと、しばしば驚かされることがあります。
たとえば、中世から17世紀頃までのイギリスでは、こんなことが日常的に行われていたようです[1,kindle2223]。
比較的豊かな人びとは、部屋の中に室内用便器(おまる)をもち込み、朝になると、道路の中央を走る溝またはどぶまで運んで捨てた。二階から上に住む連中は窓から外に捨て流した。川沿いに住むものは、汚物を直接川に投げ込んだ。
にわかには信じがたい行為ではないでしょうか。排泄物を、道端の排水溝や川に直接捨てていたというのです。
日本でも、かつては電車内の床はゴミだらけだったと言います。お客さんが、躊躇することなくゴミを床に捨てていたのです。この習慣は、1964年の東京オリンピックをきっかけにゴミ捨て禁止が徹底され、収まっていきました。
ほかにも、工業排水を川に直接垂れ流す行為(公害)も、法律などによって抑制されていきました。また、その後の学校教育でも四大公害病などが大きく扱われ、今では「とんでもない行為」として心に刻まれています。
人間の習慣は変わらないとよく言われますが、意外にも(?)マクロな視点で見ると変わっています。
個人が一人で変わるよりも、社会みんなで変わる方が変わりやすい側面もあるのではないかとふと思いました。誰しも「一人だけ」習慣から外れるのは嫌だからです。
もちろんインフラ・教育・法律などの周到な整備は必要ですが、人間の習慣は、変わるようです。
〈参考〉
1.角山栄・村岡健次・川北稔著『生活の世界歴史〈10〉産業革命と民衆」(河出書房,1992)
(吉田)