2024.01.13

分配という名の世界の造作。

歴史的に、いろいろなことを考えていた人がいたのだなと『労働の思想史』から思いました。そして考えた世界観を現実に落とし込もうとしているのだろうなとも。世界の造作であると同時に場合によっては侵食にもなるのだろうなんてことも考えてしまいました。

 僕は最近読書会で『労働の思想史 哲学者は働くことをどう考えてきたのか』という本を読んでいます。時代ごとの哲学者・思想家が、時代時代で労働についてどう考えてきたのか連ねられている本です。著者の中山元さんは様々な本を翻訳している方なので、その過程で得た知識をもとに編集しているのだと思います。なのでただの紹介に留まるのではなく批判的な指摘も入ってきますし、なにより分かっている方の紹介というのは分かりやすいものだなと思いながら楽しく読んでいます。

 さて、僕も読書会では「今日はこんな人が登場しました」と紹介しているのですが、そこで「ロバート・オーウェン」という人を紹介したことがありました。フランス革命(1789年)前後の頃を生きた人で、哲学者ではなく実業家です。実業家なのですが、自分の商売に集中するだけではなく、なんと言えばいいのか分かりませんが様々な社会的な活動にも取り組んだ人のようです。
 たとえば、労働時間の改善や教育には力を入れていたようです。当時の労働環境はとてつもないブラックで1日15時間労働までは法律で許されていたなどと書かれていました。しかも10歳前後の子供も同じ条件で働いており、徹夜のシフトでも容赦なく15時間労働が許されていたようです。
 オーウェンが生きた時代は産業革命により労働の機械化が一気に進んでいた時です。労働が機械化されてどうなったのか。それまでの労働を機械がやってくれるのだから人間が楽になった、なら良かったのですがどうやらそうはならなかったようです。依然として人間の労働時間は長かったようなのです。おそらく、より大量に生産するために労働環境は変わらず、むしろ機械などを所有する資本家に給与や仕事を握られることでますます環境が悪くなったのではないかと本からは推察されます。さらには、人間は機械にも劣る労働力しか持たないということで、地位が低められていたようなのです。
 そんな中でオーウェンは労働環境の改善や労働者の教育に努めます。労働者の能率が悪いのは十分な教育がされていないからだと考え、盗みなどの悪さをするのは労働環境が劣悪だからだと考えたようです。オーウェンは、人間はその人がもって生まれた資質に左右されるのではなく環境に左右されるのだと考えていたようです。
 そしてついには資本主義から切り離した共同体を作り始めます。本には簡単にしか記されていませんでしたが、貨幣ではなく労働時間を媒介物として衣食住の供給がされる共同体です。個人ごとの労働時間をノートで管理して、この食べ物は労働時間何時間分などとして交換をします。誰かが多くを所有することをなくし、労働による成果をきちんと分配する狙いがあったようです。ただ、この共同体は外の資本主義の世界とのつなぎ合わせが悪く、うまくはいかなかったようですが。

 オーウェンは、当時搾取をする実業家が多かったなかで分配の方向へ動きます。このようなことを読書会で紹介したときに他の参加者から「今こんな人いるかな?」という質問が出ました。そんな質問を受けてなんとなく浮かんだのは、ビルゲイツが病気・貧困への挑戦を目的とした財団をを作っていたり、有名実業家がオンラインサロンでノウハウをシェアしたりしていることでした。余剰の分配は為されているような気がします。
 しかし、読書会から少し時間をおいて今改めてそのことを考えているのですが、分配とも言えるけど自分の世界を現実のなかに落とし込もうとしているとも言えるのではないかと思いました。
 オーウェンのことをWikipediaで調べていると、なにやら10代で奉公に出たということで高等教育などは受けていないようです。それで先に記したような共同体、言い換えると小さな社会を構想し作り出したのだから驚きです。実業家としても成功していますが、それらはすべて独学で知識やスキルを身につけていったということになります。また、一度だけ母親から折檻を受けたのだそうですが、そのとき、罰は、する側にとってもされる側にとっても良くないものだという考えをもったようです。これらの価値観は、オーウェンのやってきたことと符合します。労働者や子供たちへの教育に関心が高かったようですが、それは自分が勉強によって成長したという経験が影響しているように思います。悪さをする労働者をただ罰するのではなく環境改善によって好転させようとするのも、母からの折檻に苦々しい思いをしたからなのかもしれません。
 ビルゲイツが支援をするときも自分の価値観に合わないもの、たとえば科学的ではない合理的と思えないものには投資はしないのだろうと思います。オンラインサロンも、主宰する人の価値観に沿う部分は少なくないはずです。そんなことを考えると、自分では使いきれない余剰を分配しているという側面はたしかにあるのだけど、同時に自分の世界を現実に落とし込んでいっているとも言えるのではないかと思いました。
 だから何?と言われると困るのですが、その世界が広がっていったとき別の世界とぶつかるのだと思います。影響力のある人は、そしておそらくそれぞれの個人も、自分の世界をもちどこかで別の世界とぶつかっている。オーウェンもイギリスという資本主義の中心地に生きていましたが社会主義的な思想の持ち主でした。また社会主義思想者のなかでも、マルクスなどは科学的社会主義者と言われていたのに対して、オーウェンは空想的社会主義者でありユートピア的であると捉えられていたそうです。国家同士の争いでは国という単位とか国境とかがあるからある意味では分かりやすいのですが、そこに生きる個人という単位でもそれぞれに世界をもち互いにせめぎ合っている。激しさや大きさはさまざまであれ、見えにくいところでそれは確かに起こっているのではないかなんてことを思いました。

(よしだ)

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