2022.08.14

読書会の運営方法を変えていきたいと思っています。

 平日と土日に週何度か読書会や話す時間を開いていますが、その運営方法を変えていきたいと思っています。具体的には、これまでは主に私一人での主催でしたが、これからは複数人で主催していきたいと思っています。運営方法を変えていきたいわけや、反対に変えないで今まで通りとしていきたいことについて書いてみます。また、運営への参加を考えていただける方へ、どのように始めていきたいかなども書いていきます。まだ細かいことは全然定まっていませんので、いつもの読書会のような雰囲気で話し合いながら、そしていろいろと試しながら定まっていけばと思っています。

読書会や話す時間について

 まず、リベルで開いている読書会や話す時間について簡単に紹介します。いずれもオンライン(Zoom)で開いており、参加料などはいただいておりません。また、基本的には申し込みも必須としていないので、そのときの気分で参加することができます。
 読書会は、その場で読む形式をとっています。最初に読む本の紹介を軽くして、20〜40分くらい各自もくもくと読書をします。そのあと、感想の共有を30〜40分くらい行っていきます。人数が多い場合はグループ分けをして、3〜5人程度で、なるべくゆっくりと話せるようにしたいと思って行っています。
 話す時間は、30分の短めのものと、1時間半の長めのものがあります。30分の方は、雑談しながら話題が決まる「最近気になっているテーマや本など。」と、1ページに1つ質問が載っている『質問』という本をその場で開いてそれについて話す「質問「   」について考える時間。」というものがあります。一番最近の質問は「その日の気分は天気に関係あると思いますか」でした。どんな話になるのかわからないのですが、その分正解のようなものもなく自由に考えて話しています。1時間半の「読書のもやもやについて話す時間。」は、テーマを任意で持ち寄って1つ選んで話すことになります。読書をしていて生まれたものだけでなく読書の枠を出た疑問なども話されます。

変えていきたいわけ

 読書会を複数人で主催するかたちへ変えていきたいわけを3つに絞って書いてみます。

偏りを減らしバリエーションを豊かに

 実は、始めた頃から一人で主催していくことには後ろ向きでした。主催者が一人だと中心が生まれやすく、その人(つまり私)の趣味趣向に寄っていくような気がしていたからです。それよりも、来た人がみな対等に読書をして感想を交換したり、思ったことや考えたことを話したり聴いたりできる方がいいと思っていました。その方が、私含め参加者のみなさんにとって新鮮な話や考えに触れやすかったり、窮屈さも少なかったりするのではないかと思っていたからです。
 今の時点ではそういったフラットさが大きく崩れているようには感じませんが、それでも持ち寄られる本や話題は寄っていっているのではないかと思うこともあります。ですので、私とは違う好みやバックグラウンドをもつ人と複数人で主催していきたいと思っています。それによって参加しやすくなる人や、実は持ってきたかった本や話題を持ってこられる人も多くなるかもしれません。

 ほかにも、複数人で主催することで、開催の仕方も多様になっていくのではないかと思っています。これまでも、『質問』を使った30分の話す時間は、読書会に『質問』を持ってきていた人がいたことがきっかけで始めました。読書会の感想の共有でその本の質問が紹介されたときに、自然とそれについて考える時間となったのです。それで、行ってみることにして今も続いています。ほかにも、ミヒャエル・エンデの『モモ』は読んでいる人がすごく多くて、一度だけですが『モモ』を使った読書会を開いてみました。ちなみに私も『モモ』を読むきっかけはこの読書会にありました。
 リクエストのようなものをもらいながらできてないことはたくさんあります。たとえば、漫画に限定した読書会や、源氏物語などの長い本をみんなで読む読書会、仏教などのテーマに絞った読書会など。リクエスト通りに開いていくこともできるのですが、私は主催者がそのときに開きたいと思ったものを開くのがいいのではないかと思っています。でもそれは逆にいうと、やっぱり主催者の趣味趣向に寄っていってしまうことを意味します。ですので、主催が複数人になることで、無理なく自然とバリエーションが豊かになっていくのではないかと思っています。

参加できる人数のこと

 2つ目のわけは参加できる人数に関してです。ここ最近は土日の午前中で10人を少し超える人数になることも多くなってきました。グループを2つ3つに分けてちょうどいいのですが、これ以上は多くはしにくいとも思っています。読書会の最初に行う本の紹介は1つのグループで行うので多すぎると付いていけなくなりますし、人数が多いとやっぱり少し緊張するようにも思います。それに人数が多いと遠慮して参加しにくくなるかもしれません。この読書会や話す時間は、主催者がつくってきたというよりも、これまでの参加者の方々がつくってきたものだと思っているので、参加しにくくなるのは避けたいです。
 参加できる人数を多くするためには、開く回数を増やしていくというのが一つの方法です。とはいえ、お互いを知っているというのも話しやすさや居心地のよさにつながりますので、やみくもに回数を増やすのもいいとは思っていません。ただ、なにか方法がないかということで、私以外の人にも加わっていただき回数を増やしてみるというのも行ってみたいと思っています。

主催者の都合

 3つ目は私の都合になります。私には子どもがいまして大きくなってきているので、すぐにというわけではありませんが、土日に定期的に開催するのは少し難しくなりそうだなと思っています。仮にそういった事情がなくても、長く続いていくためには、一人ではない方がいいような気がしています。

 ちなみに、主催者の都合に合わせて頻度を減らしていけばいいという考えもあると思いますが、私自身はこういう時間があることに意味を感じています。読書会や話す時間をなぜ開いているのかは、実は今まとめているところなのですが、考え始めたらなんだかすごいことになって年内に書き終えられないような気がしています。とはいえ大事なことだと思いますので、少しだけこのnoteの最後に書いてみます。

 変えていきたいわけについては以上になります。主催が複数人になることで、バリエーションが豊かになったり、より参加しやすくなったり、長く続いていきやすかったりするのではないかと思っています。同時に、今後は私以外の方が主催したり開き方がすこし変わったりすることが出てくると思いますので、その際はよろしくお願いします。

今まで通り変えないこと

 主催を複数人とすることで今後運営方法が変わっていくこともあると思います。ただその一方で、変えずに今まで通りとしていきたいこともあります。それは一言でいうと雰囲気です。その雰囲気について、こちらも3つに絞って書いてみます。

無理はしないで、ゆっくりと気の赴くままに

 読書会を始めた頃から、そのときの気分で参加できるかたちがいいと思っていました。日常は結構、期日や決まりごとが多いように感じていたからです。イメージしたのは、近所のカフェにでも入るような感覚で参加できることでした。だから、事前申込を任意にして、事前読書が必要な課題図書などもなくこれまでやってきています。今後細かい運営方法は変えていくかもしれませんが、この根本にあるイメージは変えないようにしていきたいです。
 無理はしないというのは、参加者だけでなく主催側にもいえることです。健康的に、というのは第一であるとして、無理をすると互いにその無理を押し付け合うようなことも起きてくるかもしれません。無理をしないというのは居心地のよさをつくるうえでも大事なことだと思っています。

対話的

 対話という概念はこの読書会で教えてもらいました。私の理解では対話とは、相手が自分とは違う他者であるという認識をもったうえで、他者の話をよく聴き、そこに自分の言葉を重ねていくことをいうのだと思います。それによってその場でしか生まれない思考にいたることがあります。
 対話とは日常のなかにあまりないのかもしれません。友人や知人との何気ない会話とも違いますし、結論を出す議論とも違います。しっかりと他者の話を聴いて、想像を巡らせたり考えたりしながら自分の言葉で話してみる。そのときに出てきた言葉に集中する、ということなのかもしれません。普段とはすこし違うコミュニケーションだから、普段とは違う想像や考えが生まれるように思います。学びにもなりストレッチにもなり、なによりおもしろいと思っています。

誰でもいつでも参加できる

 このような時間をどの程度の頻度でとりたいかは人それぞれだと思っていますが、私は生活での疑問や興味関心は尽きないなと思っています。だからイベント的に開くよりも、日常的に参加できるかたちでこのような場があればと思って始めました。できるだけ参加しやすい日程や形式で続けていければと思っています。また、久しぶりに参加する方もいると思いますので、変わらない雰囲気であるのがいいのではないかと思っています。
 そうして開いているといろいろな人が参加してくれるような気がしています。自分とは違う人が参加すれば、いつもとは違う関心ごとや価値観に触れられます。それは自分の世界を広げられる時間であるといえるのではないかとも思っています。

 変えずに今まで通りにしていきたいことは以上になります。ゆっくりと気の赴くままにいつでも参加できる対話的な時間をこれからも続けていきたいと思っています。細かい運営方法は変えていくかもしれませんが、このような雰囲気は変えずにいきたいと考えています。

運営への参加を考えていただける方へ

 複数人で主催していくときにどのようなやり方がいいのか私もまだわかりません。たぶん、そのときに集まった人たちで決まっていくやり方がひとつの正解であるのだと思います。ですので、決まっていくその最初のいとぐちという感じで考えていることを書いてみます。

携わり方はいろいろと

 運営へ参加いただくことになったとしても、これまでの私と同じように行っていただきたいと考えているわけではありません。仮に読書会を主催いただくことになっても、頻度は月に1回とかもっとたまにとかでもいいと思いますし、1人で開く必要もないと思っています。主催者が2人いてもいいと思っています。また、主催まではしないけれども話し合いのときに少し客観的なところから意見をもらえるだけでも助かると思います。ほかにも、複数人になることで新たにやることが出てくるかもしれませんし、話し合いのなかでやってみたいことも出てくると思います。
 つまり、今の私のやり方は今のやり方でしかないので、集まったみなさんでできることややりたいことを出し合って決めていくのがいいと思っています。また、忙しくなって携わることが難しくなることも出てくると思いますので、そこらへんは出入り自由な感じでやっていきたいです。もちろん運営側でありながら純粋な参加者として参加することは当然あっていいですし、携わり方は希望に応じて多様であれればと思ってます。

やりがいについて

 出入り自由で無理はせず、とはいっても主催するとなったらあらかじめその時間は確保しておかなければなりません。また、今回はいい時間だったのかなどと不安に思うことも出てくるかもしれません。参加者であるときよりは大変だと思いますので、その分感じられるやりがいについても私なりに書いてみたいと思います。
 まずひとつには、参加者のあいだで新しい興味関心や考えなどが生まれる、その時間をつくることに携わっていることに充実感を感じられるように思います。また、こういう場がなければ話さなかったであろう人と話せたということもとても貴重なことであると思います。読書や話すこと・考えることに集中できる時間がとれたということも人によっては貴重であるはずです。そうした時間や場づくりに携わっているということは自分にとっていい時間であったと感じられるように思います。
 ふたつには、あくまでも結果論であるとは思いますが、なにかを学んだり探求したりするきっかけになることです。たとえば、その場で話が止まったときに自分が話さないでいると周りの誰かが話し始めてくれたり。グループ分けをしたときに自分がいないグループの盛り上がりを不安に思っていても案外いつもより盛り上がってる風に感じたり。コントロールしようとしない・介在しようとしない方がおもしろい話が生まれることがあることを私の場合は学んだりしました。すこし誇張して言い換えると、自由とはどういうことでそれによってなにが生まれるのかということです。
 ほかにも、似たようなことですが「ただある」とか「ただ居る」ことでなにが生まれるのかということも体験できたりします。リベルの読書会では課題図書はありませんしゲストもいませんし目標の共有のようなものもありません。ただ決まった時間にZoomを開いてそこに人が集まって読書をしたり話したりして終わりです。初めからそれくらいの雰囲気がいいなと思ってやってはいたのですが、とはいえ何もない・ほとんど何もしない人がいるところに人は集まるのだろうかと自分でいぶかしくも思っていました。でも今ではいろんな人が集まっていろんなことが話されています。
 やりがいについては、主催として参加いただける人それぞれのものがあると思っています。参加者であるときとはまた別のことを感じたり考えたりすることになるように思いますので、そうしたことも共有していければいいのかもしれません。

まずは話し合いから

 今の段階でお伝えしたいことは以上となります。 どのように携わりたいか・どの程度携われるのかは人によって違うと思います。また、やってみたいことがあるかもしれませんし、不安に思われることもあるかもしれません。ですので、まずはいつもの読書会のような雰囲気で、いつも通りZoomで話し合いから始めるのがいいのではないかと思っています。そこに集まった人たちのあいだで無理のないやり方をみつけていければと思っています。もしご興味をもっていただける方がいましたら以下のフォームよりご連絡をお待ちしています。質問のみのご連絡でも大丈夫です。ちなみに、私以外に2名ほどご参加いただけるような雰囲気になっております。

読書会運営へご興味をもっていただけた方へ。(Googleフォーム)

おまけ:なぜやっているのだろうか

 最後におまけとして、読書会や話す時間をなぜ開いているのだろうかということを少しだけ書いてみようと思います。いろいろと考えを巡らせてみたのですが、「こころが自由であること」を根本のところで善いことであると考えており、このような時間をつくっているのだという考えにいたりました。詳しい思考の過程や私なりの論理は今別のところでまとめています。ここでは、自由の意味するところをかいつまんで書きます。
 まず、自由を「ある自由」と「つくる自由」に分けて考えています。
 「ある自由」とは、すでにそこにある自由を楽しむことを意味しています。自分の好きなことや得意なこと、やりたいと思えることをただ純粋にやる。あるいはそうした意識をもつまでもなくやるということです。知的好奇心のままに物事を知っていったり、こころの赴くままに想像をしたり思考を巡らせたり、言葉を追いかけたり。それを自分とは違う他者と共有し相手の反応に驚いたり、共感し合えたり、理解が深まったり。誰に言われるでもなくその人が行っていくようなことを「ある自由」と呼び、それを大切にしていくという考えです。
 「つくる自由」とは、仕事を含めた生活のなかで感じる不自由をすこしでも自由へと変えていく行為を意味しています。自分の知らない世界を知ること、自分とは違う他者を知ること、それによって認識が変わっていくこと。よく分からないことや合わないと感じることでも理解を進めれば自分なりの関係性のもち方がみつかるかもしれません。反対に退ければ、そちらの世界を切り捨てることになり選択や思考の幅を狭めることになるように思います。自分自身の問題解決のような側面もありますが、同時に世界や他者との関わりを広げていくことを「つくる自由」として考えています。
 「ある自由」と「つくる自由」は混在していた方がいいように思います。混在とは一つの場における混在と一人の人のなかにおける混在です。特に「つくる自由」という目的をもった読書などにおいては、「ある自由」の無作為さは発想や思考の助けになるように思います。また、そもそもこれらを混在させないということは不自然なことでしょう。なぜなら、目的をもって読書をしているときに目的とは関係のないことに興味が向いてしまったり、ただ楽しく読書をしているときに不意に抱えていた疑問について思いが巡ったりすることがあるはずだからです。そうしたこころのうつろいをどちらかに制限してしまうのはもったいないことだと思います。
 「自由」を目的のように掲げることは自己矛盾をはらんでいます。なぜなら、「自由を目指しましょう」などと言った時点で、行為の意味や価値観を押し付けることになるからです。だから基本的には「ある自由」を大切にする、つまりそのときのこころの赴くままに読書をしたり話したりするということでいいと思っています。「つくる自由」もその人がそうしようと思ってしているという点で「ある自由」であると言えるのでしょうから。
 すこしまとまりがなくなってきましたが、「こころが自由であること」そのための時間をつくるということを読書会や話す時間を通して行っているのだと考えています。そして、「ある自由」と「つくる自由」に分けて自由をとらえていますが、そのふたつが混在していることがつかみどころのないこころにとっての自由なのではないかと考えています。

〈関連するリンクなど〉
・読書会イベント情報:Peatix
これまでにいただいた読書感想
読書会運営へご興味をもっていただけた方へ。(Googleフォーム、再掲)

(よしだ)

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