5月6月は、テーマを「読書」においた読書会をおおむね隔週で開いていきたいと思っています。ここでは参加者に任意でいただいた読書感想を載せていきます。
〈読書会について〉
事前読書のいらない、その場で読んで感想をシェアするスタイルの読書会を開いています。事前申込をあまり求めない、出入り自由な雰囲気です。日程などについてはPeatixなどをご覧ください。
・Peatix
2022年6月12日
原 タカシさん『本が死ぬところ暴力が生まれる』(バリー・サンダース著・杉本卓訳、1998年初版)
本は紙媒体で読むものと考えるので、電子図書を読むことを避けている。なぜ、そのようなこだわりがあるのか、ヒントがあるではないかと思って、上記の本を読んでみた。
「はじめに」で、次のように切り出している。
「私たちが人間であることのとりあえずの基礎として当然のこととみなしている『批判的で自ら方向づける人間』という考え方は、読み書きという厳しい試練を受けてはじめて開発されるものだ、ということを本書で論じる。私たちが知っている意味での『人間』は、識字の産物なのである」(p. i)。
この言説に賛同するかどうかは棚上げにして、後半で次文章に出遭った。
「アメリカ合衆国憲法に並んだ単語は合衆国市民の憲法を記述するだけでなく、その憲法を存在するものとするためにある。識字を理解するためには、文字を超えなければならない。読み書きを学ぶことは、隠喩的な活動である」(p.228)。
中学3年生の担任(社会科)の先生を思い出した。
4月の授業で、先生は「1年間かけての宿題を出す」と言った。その宿題とは「ノートに日本国憲法を書き写して、卒業式の前までに提出せよ」というものであった。夏休みが終わるころには、わたしはその宿題をやり終えていた。いまにして思えば、憲法の単語や文字を学んだだけでなく、それらを超えたものを学んだのではなかったかと、感じ入っている。
よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
この本の副題は「読書は脳をどのように変えるのか?」です。文字を読むことと動画を観る・音声を聞くこととでは何かが違うと感覚的に思っているのですが、その正体を考えたくて読んでいます。
今回わかったことは、文章を理解するとはかなり複雑なプロセスを経て行われているということです。例えば以下のような文章があったとします。
「システム思考家は、世界を「フローの操作によってその水準を調整するメカニズムが付いているストックの集合体」として見ています。」(『世界はシステムで動く』P53)
この文章を読むときにたとえばこんな思考をするように思います。システムとは機械のこと?システム思考家とは機械の設計者?フローってなんのことだろう?「その水準」ってどの水準?そうかストックの集合体なのか、で何が?→文章を戻ると→ストックの集合体とは「世界を」そう見なしているということか。「その水準」っておそらくストックの水準のことか。「フロー…付いている」は「ストックの集合体」を修飾しているパートか。システムとは機械のことではなく物事を仕組みとみなすもっと抽象度の高いものだな。。などと。つまり、単語のひとつひとつの意味を保留にしながら文章を読み進めて、最後の方までいってその意味がわかっていきます。さらにそれらの意味ひとつひとつはその文章の前の文脈からも絞り込まれていきます。本などを読むときは、これを本のなかにある一つ一つの文章に対して繰り返し行なっていくということです。
今回分かったことはまず、本を読むというのは疲れるということです。これだけ右往左往しながら文字を読み進めなければならないので脳をフル回転させているはずです。もう一つ思ったことは、この複雑なプロセスは自分のペースでないと実行しがたいのではないかということです。読書は自分のペースで先に進めるけど、動画や音声は相手のペースで進みます。この点はやはり大きな違いだと思いました。その一方で音声には声の抑揚が情報として乗っており、動画は色彩や表情なども情報として乗っています。またその進みの速さ自体も編集や演出の産物なのだと思います。そう考えると、本、音声、動画、加えて静止画というのは、それぞれにもたらす効果が異なり、それをうまく使い分けていくことが大事なのだろうなと改めて思いました。この本はまだ序盤なので、引き続き読み進めていきたいと思っています。
2022年5月21日
Takashiさん『ギリシア・ローマ神話』岩波文庫
学術書や哲学書を読んでその論理展開に感動することはあるが、それは理解のフィルターを通った後の心の動きだ。しかし物語は直接心に響く。
本書は物語の古典中の古典と言える神話を紹介している。
ここで語られる神々の能力はスケールの大きなものばかりだが、神と神が紡ぐ物語は極めて人間臭い。それぞれの物語の何が私の心に響くのか。確かめながら読みたいものだ。
よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
漠然と、読書と動画視聴のなにが違うんだろう、実感としては違う気がするというのがあり、買って積読になっていた本です。副題は「読書は脳をどのように変えるのか?」で、脳科学や認知科学といった科学視点の本です。
印象的だったのは、ホモ・サピエンス(=今の私たち)は文字が読めるように進化してきたわけではないという前提です。文字が誕生したのは数千年前で、それに対してホモ・サピエンスの誕生は数十万年前です。そのほとんどの歴史をおそらく乏しい言語で過ごし、文字が誕生したのはほんのごく最近です。文字が誕生したからといっていきなり遺伝子レベルで脳を含めた身体が変わるわけではありません。すでにもっていた身体を、文字を読む・書くという行為に応用していったのだと考えられるのです。
人のすごいところは、その変えられるところにあるのだなと改めて思いました。文字がまったくなかった時代を過ごしながら、それ自体を生み出し使いこなせるように変わっていくなんてやっぱりすごい、信じがたいとしか言えません。
過去の読書感想はこちらに載せています。
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(吉田)