2022.03.26

読書会の読書感想(3/24-27)

 参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。24日(木)は5名、25日(金)は5名、26日(土)は4名、27日(日)は5名の参加でした(主催者含む)。
 土曜日の「質問「   」について考える時間。」の質問は、

暗闇でしか見えないものは何ですか

でした(田中未知著『質問』(文藝春秋))。

3月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

匿名希望さん『こちらあみ子』
 参加者さんと多面的にものを見るデビルズアドボケートの話になったけど、私が読んだ小説も「ズレた主人公」側から見るのか「それに振り回され人生を狂わされる」側から見るのかでまったくちがう。あみ子が明るいのが唯一の救いだけど、その無垢さが刃物のように周りを切り裂いてる。苦しいながら一生懸命あみ子を守ろうしてきたお兄ちゃんを思うと切なくて苦しくなる。熱愛されてきた同級生の子のこころの傷も一生残るんかな。どの人も決定的には悪くないのに。

Soi Tomsonさん『地球 (ガイア) のささやき』龍村 仁 著
本について:
ドキュメンタリー映画「地球交響曲」シリーズを作成した映画監督のエッセイ。映画のこと、映画に登場する人物、場所、旅行などについて書かれている。

本日は”心で想う”という章を読んだ。
心で想うことが現実になるということを、著者は作家である宇野千代さん、そしてアフリカ象のエレナから教えられた経験が書かれている。アフリカ象エレナは著者の作品”地球交響曲”の中で野生動物保護活動家であるダフニー シェルドリックの回で登場する。孤児象だったエレナはダフニーに育てられ、その後野生に還る。その後も二人の関係はつながったままで、ダフニーが3歳くらいまで育てた孤児の象たちをエレナが養母となって野生で生きるさまざまな知恵を教えているというのだ。さらにエレナが自然の中でミルクが必要な孤児を見つけるとわざわざダフニーのもとへ連れてくるという。そのエレナの撮影中に著者が心の中で強くエレナへの感謝の気持ちを想ったところエレナが長い鼻で抱擁し、挨拶をしてくれたという。彼の想いがエレナに伝わったのだと感じたそうだ。種の違い、言葉、時、空間を超えて確かに伝わると。

本の感想:この章を読んだだけで著者の熱いエネルギーを感じた。地球交響曲シリーズどれもが自分の心に響いたのは登場人物が素晴らしいということもあっただろうが、彼の作品への深い想いがあったからなのだろう。今も映画のワンシーンである、ダフニーが草原の真ん中でエレナ!と呼びかけ、遥彼方からエレナがやってくる光景が思い出される。森のイスキアの佐藤初女、写真家星野道夫、宇宙物理学者フリーマンダイソンetc.. インターネットがまだ普及していない時代に私は彼の作品を通して世界を知ることができた。

読書会の感想:毎回感じますが、今回も皆さんが紹介してくださった作品、テーマ、感想がどこかでリンクしていてどれも大切なことに感じた。天災、戦争などによる社会不安がある中でこのように考えをシェアできる場、時間があることがとてもありがたいです。
本日もありがとうございました。

よしだ『はてしない物語(上)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 読書会全体を通して、人はイマジネーションとどう付き合っていけばいいのか考えさせられました。
 未来にどんなことが起こるかを想定して議論しておくことや、あの人は今なにをしてるか・思っているかを想像すること。これらは、今ここにないものを想像する力がなせることなのだと思います。
 しかし時に、イマジネーションは過激な行動を生むことも。その時周りは、あの人は妄想に取り憑かれているなどと揶揄をする。こっち側にいるときはそう思う以外にないし、そんなことはやめてほしいのだけれど、イマジネーションの結果であることにはおそらく変わりはないように思います。
 良いイマジネーション・悪いイマジネーションを分けるものは何か、そもそもそんな分け方ができるのか、そんな疑問が生まれ、同時にすこし怖さも覚えました。

3月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『チョコレートコスモス』
 
オーディションや演劇の話。小説。印象に残っているのは「いきなりできるのはだめ」ってこと。人間の片鱗ってなんだろう。生きていく上での葛藤や苦しみってその人の何に影響するのだろうと考えたりしました。
 あと、ソクラテスの望む2つの死の世界の話も孤独の話もなんだか繋がっているような気もしました。頭の中で考えていない静かな境地が無であり孤独なのかな?

よしだ『いつも「時間がない」あなたに』センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール著/大田直子訳
 目標や欠乏は集中も生み出すけど散漫も生み出すというところを読みました。
 消防士さんは交通事故死が多いのだそうですが、その理由はシートベルトをしていないから。なぜしないのかというと、現場まで急いでいるし、着くまでに段取りを済ませておく必要があるから。つまり移動の間も消火・救難活動に集中しているので、それ以外のシートベルトを締めるなどといったことには散漫になってしまうということです。こういった効果をトンネリングというのだといいます。
 期日があると頑張れます。期日がないとだれてしまいます。こう比較すると期日がある方が良いように思います。でも期日という目標(時間がないという欠乏)は、それ以外のことへの散漫を生じさせているのだと思います。そして何に散漫になっているのかはトンネリングしている本人はおそらく気づいていません。目標や欠乏の、表と裏なのだと思います。

3月26日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』東畑開人
 第6章の「スッキリとモヤモヤ」、心の守り方について書かれている章を読みました。
 生きている中で遭遇する辛いことや理不尽なことで傷つくのを避けるために、人はそれぞれに心を守る戦略をとっている。例えば対人関係で傷つけられるような場面では、論理的に反論してやり込めたり、感情的に怒ったり泣いたり、まるでなかったことのように扱ったり、自然体で受け流したりなどがある。それはほとんど無意識的に起こる心の反応なので、その人の性格の一部であるとも言える。しかし心の守り方を意識化して色々な戦略を身につけておくことで、状況に応じて使い分けることが可能になり生き方に柔軟性が出てくる。
 心の守り方を考える上で、「スッキリ」と「モヤモヤ」という補助線を使って整理すると見通しがよい。「スッキリ」は、現在の自分にとって違和感のあるものを外部に「排泄」することで心を守る戦略である。不満や愚痴を誰かに吐き出したり、嫌な人間関係を解消することなどがこれにあたる。一方「モヤモヤ」は、違和感のあるものを「消化」して内部に取り込むことで心を守る。自分の短所を改善することで成長したり、過去の傷に向き合うことで捉え方が変化したりすることがこれにあたる。
 現代社会では、時間と労力をかけて重荷に向き合う「モヤモヤ」より、手っ取り早く身軽になれる「スッキリ」の方が好まれがちであるが、二つに優劣があるのではなく、その配分と順序がポイントである。著者は、まずは信頼できる相手に話すなどして「スッキリ」した後で、一人でじっくりと「モヤモヤ」に向き合うことを勧めている。また、状況によってどちらの戦略が有効かの見極めは大切で、パワハラなどの明らかな「毒」の場合は無理に「消化」しようとせずに速やかに「排泄」するべきであるとも言っている。
 先日、「悩むことと考えることの違い」について対話したことを思い出しました。ちょっと乱暴かもしれませんが、「考える」は「スッキリ」、「悩む」は「モヤモヤ」なイメージです。「排泄」と「消化」が支え合ってうまく機能しているから体が健康でいられるように、心にとって「考える」ことと「悩む」ことの両方が必要なのかなと思いました。


 過去の読書感想はこちらに載せています。

読書会参加者に投稿いただいた読書の感想です(2022年10月-)。

 

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(吉田)

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