2022.04.01

読書会の読書感想(3/29-4/3)

 参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。29日(火)は5名、31日(金)は5名、2日(土)は6名、3日(日)は5名の参加でした(主催者含む)。
 土曜日の「質問「   」について考える時間。」の質問は、

誰からピラミッドの話を聞きましたか

でした(田中未知著『質問』(文藝春秋))。

3月29日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『いつも「時間がない」あなたに』センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール著/大田直子訳
 今日は欠乏が思考力に影響を与えるというところを読みました。
 知識量などではなく推論力などを測るテスト(IQテスト)をするのですが、その間に質問をはさみます。質問1は「自動車が壊れて修理費用”3万円”がかかる。費用は保険会社と折半になるが、その修理を行うか判断してください。」というもの。質問2は修理費用を10倍の30万円に変更したもの。これを1人の被験者にぶつけます。すると、質問1の後のIQテストよりも質問2の後のIQテストの方が結果が悪くなるというのです。しかもその悪くなり具合は優秀(質問1後)から平均(質問2後)に落ちるほどの影響具合なのだとか。学力偏差値でいうと50台後半から50まで落ちるイメージなのだと思います。
 1万5千円(3万円の折半)は頑張れば払えます。しかし15万円は工面する必要が出てくる金額です。だから被験者は質問2の後は工面の仕方にあれこれ頭を巡らせてしまいます。そちらに気を取られている分、IQテストに割ける処理能力が減ったという説明でした。テストにどのような精神状態で臨むかでここまで差が出る可能性があることには驚きでした。

 他の参加者の方でマインドフルネスの本を読んでいる方がいました。マインドフルネスとは身体が受け取った刺激や内部で起きている反応そのものをそのまま受け取ることと解釈しました。今ここに集中する、という言い換えもよく耳にします。
 私が読んでいた本の他のところでは、消防士は、現場に駆けつけること・救助の段取りをすることに集中しすぎるあまり、現場への移動中にシートベルトをし忘れて交通事故の死亡率が高いという事例も紹介されていました。マインドフルネスに対する理解は浅いのですが、消防士の現場への急行もマインドフルネス的であるような気もします。しかし結果は交通事故での死亡率が高まってしまいます。
 生活はいくつもの出来事が並行して起きていることも多いような気がします。その分マインドフルネスであれる時間というのは貴重だといえるのかもしれません。そういう時間を大事にしたいと思いました。

3月31日:読みたい本を気ままに読む読書会

JPさん『詩を書くってどんなこと?ーーこころの声を言葉にする』
 「縄文時代に生きた人びとには「自己」という観念がなかったのでは」という他の方の仮説について興味を持ちました。本当にそうだったとして、「自己」が集団からもぎ取られる瞬間てどんなときだったんだろう、とか、そもそも「自己」が観念できないってどんな感じだろうと考えようとしました。自転車が乗れなかったときの自分に戻れないような感覚になりました。

yuさん『変身』
 古典新訳文庫で読んでいる所です。
 虫になったら虫の目線から、物事を見るようになる所が、与えられた環境に適応するってこと?かな。書かれていることのそのままの意味ではないような。誰にどう思われるとかそんなの人間のちっぽけな悩みなのだろうなと思いました。ユーモラスです。

 詩についてや生きがい・哲学、目に見えないし意味は掴めないけどないところにあるものがあることを考える時間でした。言葉にすると無くなってしまうもの。

よしだ『14歳からの哲学』池田晶子著
 この本はとてもわかりやすく書かれているのですが、読んでも自分のものになることはないように思います。知識や情報が載っているわけではありませんし。でも読んでみて、自分で考えなきゃ、と思わせてくれる本です。今日は「自分とは誰か」という章を読みました。勝手に自分で想像を巡らせながら。
 「自分とは誰か」に一足飛びにいくまえに、自分というものがなければ生きていくことはできないのか、ということを考えていました。たとえば現代では、「自分で考えなさい」などと言われ思考や言動には個人の責任が問われます。法律でも、罰則などは個人に与えられることが前提です。「自分って何ですか?」などとは、本当はそう思っていても現代では通用しません。
 それに対して、たとえば狩猟採集時代ではどうかと、あくまでも想像ですが考えてみました。夜、たき火を囲みながらこんな話をします。「最近、猪が獲れなくなってきたなぁ」「木の実とかも獲れなくなってきたし猪が食うものもなくなってきたんでねぇか」「そろそろ、時期かねぇ」と話し、そのまま寝ました。翌日起きると、大人たちは石斧などの良くできた道具だけを束ねて次の地への移動の準備をしていました。前日の夜に「明日はこうするぞ」と誰かが言ったわけでもないのに。
 いつも一緒にいる人たちだけで生活しているとき、個人の意見や意思決定などといったものはなくてもいいのではないかと思ったりしました。また狩猟採集時代、人間は協力し合いながらでなければ自然界を生きていけないので、他者は一蓮托生の仲間であったといいます。そのような「あいつが死ねが俺も死ぬ」状態であれば、自分と他人という分けもあまり意味のなさないものであったのではないかとも思ったりしました。
 狩猟採集までさかのぼると少し行き過ぎに思われるかもしれませんが、ムラの寄合などで見られたであろう合議制や空気による決定などもそこまで「自分が」というのは問われなかったのかもしれません。みんなで状況をともにしているから、なんとなく答えは決まっていく。
 「自分」というものは絶対的に存在してきたものなのではなく社会環境によって生み出されたもの、そんな風に思えてきました。自分というものへ少し近づけたような気がします。

4月2日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『クオリアと人工意識』茂木健一郎
 昨今の人工知能の目覚ましい進化を背景に、人工知能の知性が人間並みの水準に到達したとき人間と同じような意識やクオリア(感覚や体験に伴う質感)が芽生えるのか、知性の面で人工知能が人間を圧倒したときに人間の存在意義をどこに見出だすかといった問題に対して、脳科学や量子物理学や情報工学、哲学や心理学や文学など様々な学問分野の知識に基づいて探究されています。以下は特に印象的だったところです。

・人工知能が人間の知性を遥かに凌駕したとき、人間の存在意義を支えるのは「知性」を持っていることではなく、ただ「私」が「今、ここ」に「意識」を持って在ること、になる。
・人間は、今知っている範囲の外にある「真理の大海」の存在を想起する能力によって知性を発展させてきたが、人工知能がこのような能力を持てるかは現時点ではわからない。
・「意識」や「クオリア」についての認識は人によって大きく差がある。あまりに当たり前の現象であるため、メタ認知の能力が必要になる。
・事物を様々な質感で表象する「クオリア」と、特定の事物に注意を向ける「志向性」は意識の基本的な性質である。クオリアには「感覚的クオリア」と「志向的クオリア」があり、私たちが何かを認識するときには、両者が結びついて意味づけがなされる。
・私たちはクオリアの「オーバーフロー」の中に生きており、そのほとんどは認識や記憶をされずに消えていく。意識は脳全体の情報をクオリアを通して「私」という枠組みの中で統合する役割を果たしている。
・人工知能の研究者の中には、人工知能の知性が向上していくと、自然に意識が「創発」すると考えている人も多い。しかし、意識の本質は生命がもつ「いきいき」とした感じにあり、それは身体性をもつ生命が現実の時間と空間に適応して生き延びようとする生命力に由来する。人工知能の前提になっている抽象的な計算には「いきいき」のクオリアは宿らない。意識は「生命」の随伴現象であるが、「計算」や「知性」の随伴現象ではない。
・私たちが自分で様々な選択しているという「自由意志」の感覚は、脳が作り出している壮大な幻想である。意識が物質である脳に介入してコントロールすることは、現在の科学の常識では不可能である。
・人間は身体性と結び付いた直観という形で判断基準を曖昧にできており、「無意識なる偽善者」であるがゆえに正気を保てている面がある。
・覚醒している間は、「心理的現在」がつながって「意識の流れ」が生じることによって「私」の継続性が保たれる。睡眠などで意識が途切れてもその前後で「私」の継続性が保たれるのは、記憶を手がかりとした統計的推定が無自覚に行われた結果である。
・脳全体をコンピュータ上で完全にシミュレーションできたとしても、それは意識が発生することを意味しない。気候変動のシミュレーションで実際に異常気象が発生するわけではないのと同じ。
・哲学者のベルクソンは、過去のイメージの痕跡を「純粋記憶」と呼んだ。これは、意識が体験するクオリアうち、明示的な記憶としては脳に残らなかったものの、それを体験したという事実は存在したということを指していると解釈できる。
・人工知能の研究者の間では人間的な領域から離れていく極端に「否定神学」的な論調が目立つが、人間の生命や身体性、意識について掘り下げていく「肯定人間学」的な態度が大切。
・一人ひとりの意識が別々にあるというのは幻想で、この宇宙にはたった一つの「意識」(の「在り方」)しかない。

 サイエンスの本というよりは哲学書を読んだような読後感でした。。読書会での対話も興味深かったです。

小澤さん『人類が進化する未来 世界の科学者が考えていること』
 本書は世界の科学者に自身の専門分野も含めて、今後の未来をインタビュー形式で話してもらっている。もともと雑誌のインタビュー記事を集めた物なのでさっくり読むことができる。

 本日読んだ章は「目に見えない」宇宙の秘密、人類は「自己家畜化」に陥っているの2つ。後半の章を話をすると、著者はジョセフ・ヘンリックさん。人類学者。「文化-遺伝子共進化」という考え方を出している。(著書を読んでいないので誤読しているかもしれないが)文化(環境)と遺伝子のどちらが重要か?という二元論ではなく、相互作用をしているという考え方。

 最近ではクリスパー・キャス9といったゲノム編集の分野で進歩があり、人類に対するさらなる変化が出てきているように見える。しかし、ヘンリックさんからすれば人類ははるか昔から「文化-遺伝子共進化」をすすめてきているという。たとえば、アーチ状になっている「土ふまず」は狩猟時代にできた進化である。そこから考えるとゲノム編集などもその延長といえるというのがヘンリックさんの考えのようだ。

 個人的にもそういった技術はできてしまう以上、進歩させてしまったのがこれまでの人類の歴史だし、うまく付き合う方法を考えたほうがいいのだろうなと思った。

yuさん『変身』
 印象に残っているのは、煙たがっていた存在の虫になった長男がいなくなった時の家族の反応です。隠したい存在だけど大事な存在。世間体とか社会とかなかったらそういう反応にはならなかったのでは?と思いました。そして読んだことあるようなきがしていましたが細部にわたって覚えていなかったことです。

4月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『はてしない物語(下)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 主人公が現実世界からファンタジーの世界に飛び込んでいった後のところを読んでいます。
 主人公は求めるものをなんでも叶えられる力を手にしています。「汝の 欲する ことを なせ」という言葉をもとに前に進んでいるところです。
 印象的だったのは、助言役として居るライオンが、望む通りに生きることはむずかしくて危険な道であると言っているところでした。こんな言葉を主人公に対して発します[P69]。

「この道をゆくには、この上ない誠実さと細心の注意がなければならないのです。この道ほど決定的に迷ってしまいやすい道はほかにはないのですから。」

 自分が望む道とは、誰かが望む道ではないという意味で、周りから自分を引き離すことが伴うように思います。孤独が伴うことであるように思いました(だからシチュエーションが砂漠だったのか…!)。なにかに惑わされることも多くなるし方向を失うこともあるということなのではないかと思います。エンデがこの後どのように描いていくのか楽しみです。


 過去の読書感想はこちらに載せています。

読書会参加者に投稿いただいた読書の感想です(2022年10月-)。

 

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(吉田)

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