参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。11日(水)は4名、13日(金)は7名、14日(土)は6名、15日(日)は10名の参加でした(主催者含む)。
土曜日の「質問「 」について考える時間。」の質問は、
だますのとだまされるのではどちらが好きですか
(田中未知著『質問』(文藝春秋))
でした。
5月11日:読みたい本を気ままに読む読書会
原 タカシさん『夏の流れ』(丸山健二自選中篇集)
1966年文学界新人賞・芥川賞受賞作品。死刑執行を担当する刑務官の、執行前の数日から、執行当日、執行後の翌日までの「流れ」を描く。テーマは、一言でスパッと言い切れるような、例えば「死刑」や「その是非」と言うようなものに非ず。読後の余韻は<生きて在ることの居心地の悪さ>。2020年に改稿版を出しているので、それも読みたい。
よしだ『ブループリント(上)』ニコラス・クリスタキス著/鬼澤忍,塩原通緒訳
持続する社会にはそのための要素1セットがある、ということを前提に話が進んでいきます。
その1セットは今のところ明記されているわけではないのですが、その方が楽しく読めるような気がしています。船が難破して乗組員がたどりついた島でどういうコミュニティを築いたのかを追ったり、オスとメスの関係を他の動物も取り上げながら考察したり。
最終的にはブループリントのタイトルの通り、持続的な社会の”青写真”が示されるような気がしていますが、それを知ったとして良いと思えたとして素直に実行することがヒトに可能なのかとも思ったりします。いやいやいやと別の方向に行きたがるのもヒトの性だったりはしないでしょうか、なんて。
5月13日:読みたい本を気ままに読む読書会
ナツメマサルさん『キャサリン・マンスフィールド 園遊会(ガーデンパティ―)』
この短編の最後がカミュの「異邦人」の最後のように主人公たちが人の死を神秘的で未知のものとして捉えるシーンで終わるのですがそこが宇宙的な静謐を感じる素晴らしいエンディングだった。
としさん『HSPと発達障害』高田明和
本文の一部を抜粋します。
HSP(Highly Sensitive Personの略)は、日本語では「人一倍敏感な人」とか「過敏性症候群」と言われています。
アメリカの心理学者エレイン・アーロン博士が提唱したもので、どんな社会にも一定の割合(15~20%)で存在していて、人類だけではなく犬や猫、なんと昆虫にもある気質で、生物が生き残るための生存戦略の一環として身に着けたものらしいです。
本文中では、それと発達障害(ADHDやアスペルガー)などと比べており、精神科や心療内科へ受診すると、HSPは心理用語でここ数年で出てきた言葉であるため、知らない医師には、精神障害やうつと診断されやすいようです。
生きづらさを抱えた現代人。実は、あなたもHSP気質かもしれません。子供にも多いようで、子供の場合だとHSC(CはChild)と言われます。まず自分がどんなことが得意でどんな症状に困っているかを知ることが非常に大切だそうです。なぜなら、一人ひとり症状が違うから。これは、病気があるない関係なく言えることかもしれません。
自分のことが分かると、生きる指標になるかもしれません。どんなものでも、それを個性として受け入れ、皆が生きやすい世の中になるといいなと思います。
他にも数冊読みましたが、「繊細な心の科学~HSP入門」が研究者目線で書かれており、興味深く読めました。会の開催、いつも有難うございます^^
5月14日:読みたい本を気ままに読む読書会
Takashiさん『旧約聖書 ヨブ記』(岩波文庫)
読みたいと思わせる本には迫力がある。私はキリスト教徒ではないがヨブ記にはとんでもない迫力を感じる。
どうしようもないことに人はどう向き合うべきか。正しいとはどういうことか。心の咎と犯した罪はどう違うのか。幸せに理由があるなら災いにも理由があるのか。そんなことが書いてあるような気がする。
原有輝さん『100分de名著 パスカル「パンセ」』
無為が耐えがたいというパスカルの考えは、今の僕に非常によく当てはまります。人から尊敬されないと生きづらいという考えも、非常に納得できるものです。
5月15日:読みたい本を気ままに読む読書会
Takashiさん『語りえぬものを語る』野矢茂樹著
(本書の内容とは異なります)
「AIは自我を持つか。」という問いに対して私は「わからない」と答える。チューリングテストが示すように、AIに自我があるように見えてもそれが本当の自我かどうかを判断したことにはならないからだ。理由は「自我」という言葉の曖昧さばかりではない。
AIがAIの概念枠を持つと仮定すると、それは人間の概念枠とは異なるに違いない。なぜなら人間の概念は個別の人間のあいだのすり合わせによって成立するが、AIの概念は論理の積み上げであって個別のAI間のすり合わせは存在しないからだ。
仮に個別のAI間で概念を共有することがあっても、概念の変化による書き換えと共有は一瞬で終了し、齟齬もないだろう。
人間の概念はそれぞれに必ずずれがあり、個体間や集団間で常に齟齬を伴ったすり合わせが行われている。それが社会であり、社会は論理の積み上げとは異なる次元で成立している。
AIはおそらく社会という概念を持たないだろう。AIの自我を扱った映画や小説がディストピアを描くことが多いのも、ここに人間が恐怖を感じるからかもしれない。
よしだ『ブループリント(下)』ニコラス・クリスタキス著/鬼澤忍,塩原通緒訳
今日もいろんなところに話が及びましたが、変わるってなんだろうと思ったところで終わったような気がします。読んだ本とは関係ありませんが、未消化なことを自分のなかで整理してみます。
歴史に関わる本が多かったこともあると思いますが、すこし壮大に社会が変わることについての話題が持ち上がりました。明治維新や太平洋戦争によって日本は変わった、でも震災ではおそらく変わらなかった、というのが前提として話されていたような気がします。
変わることは暗黙のうちに良いこととされているような気がしますがそれは本当にそうなのでしょうか。どういう変わるを期待してるのでしょうか、個別具体的な何かではなく社会全体をガラガラポンすることなのでしょうか。変わるというと劇的な何かを期待するような気がしますが、本当にそれがいいことなのでしょうか。社会が変わるということは大きな事であり、ストレスや痛みが伴い、個人が期待してもそう起きることではないように思います。それよりも個人として自分や周りと向き合い、実感できるいいと思えるものを作っていくことなんかが大切なのではないかなどと思ったりもしました。大きなものを目指すにしても一足飛びにそこには行けないと僕は考えます。
過去の読書感想はこちらに載せています。
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(吉田)