参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。30日(月)は4名、6月3日(金)は6名、4日(土)は5名、5日(日)は7名の参加でした(主催者含む)。
土曜日の「質問「 」について考える時間。」の質問は、
海にも年齢があると思いますか
(田中未知著『質問』(文藝春秋))
でした。
5月30日:読みたい本を気ままに読む読書会
Soi Tomsonさん『氷の城』タリアイ ヴェーソス著
本について:ノルウェーの小さな村が舞台 作家はノルウェー人
シスとウン、二人の少女の物語。
冒頭はシスが暗闇の中ウンの家へ向かう場面からはじまる。北欧の晩秋の日没は早く、突き刺さる寒さと暗闇の森の中を恐怖と勇気をもってウンは歩いていく。
転校生であるウンにシスは話したこともないのに惹かれていく。ウンもまた同様にシスに特別な感情を抱いている。
感想:森の中で、シスの描写が森の暗闇と対になって絵画を見ているような感覚になった。
冒頭部分で曖昧な付箋と思われるような情報がちりばめられているがまだよくわからない。
読書会の感想:あらゆるいきものに心があるのか、というテーマについて興味深い考えを知ることができた。他の方が仰っていたように心という言葉が何を指しているのか自分の中にもはっきりと定義できない。近い将来自分も是非読んでみたいと思う。
自分の考え、信念は絶えず揺らいでおり、意識、無意識のアップデートの大切さを再確認させてもらった。
今回もありがとうございました。
よしだ『ダンゴムシに心はあるのか』森山徹著
この本はおそらくダンゴムシに心はあるという結論があり、その結論へ導くなかで心とは何かを考えていくものなのだと思っています。内容は思いのほか哲学的で、そこに生物学・科学的な知見も織り交ぜられていくもののようです。今日から読み始めですが、著者が考える心の正体にいきなりせまっていました。
著者は心の正体を「隠れた活動部位」であると考えているようです。隠れた活動部位とは、外に出すことができている言動や表現の裏でうごめいている外に出すことができていない言動や表現の源のようなものなのだと今のところは解釈しました。例えば、カフェで友人の悩み相談を聞いているとします。真剣に聞いていてきちんと応えたいと思っているのですが少し長くなり疲れを感じはじめました。そこに、隣の席に人が座りストロベリーフラペチーノを飲み始めました。疲れた脳は糖分を渇望しています。しかし真剣な話をしているのに「私もストロベリーフラペチーノ飲みたい」とは言いにくいですし、見知らぬ隣の人に「ちょっとちょうだい」とも言えません。こうして真剣な表情の裏で隠れているような言葉や行動、欲望などが心なのではないかというのです。今のところはそう解釈しました。そしてその隠れた活動部位(=心)は気配となって表れており、五感以外の第六感で感じることができるとも。
隠れた活動部位が心なのだとすると、表に出ているものは心ではないということになります。悩み相談のときに表に出ている真剣な表情は心ではないのでしょうか。なんとなく思うのは、受け手の立場からすると真剣な表情をしているから真剣に聴いてくれていると感じるのではないと思いますし、真剣な表情をしている側も自分は真剣な表情をしているから真剣に聴いていると思うわけでもないと思います。心とは外に表れているものではない、私たちはそれを心とは呼ばないというのもなんとなくわかるような気がしました。
6月3日:読みたい本を気ままに読む読書会
yuさん『クララとおひさま』
向上措置って何をするのだろう。なぜ病気になったのだろう。AFってなんだろう。元エリートのお父さんの今関わっている集団ってなんだろう。貧富の差と階級の差。時代が変わってもSFの世界でもあまり変わらないのかもしれない。クララはなぜあんなにおひさまを信じていたのだろう。おひさまがエネルギーだから?感情はあったの?
前提条件が語られることのない物語だけに色々と考えました。
イトさん『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』
対話も難しいというお話をしました。
6月4日:読みたい本を気ままに読む読書会
Takashiさん『超国家主義の論理と心理』
最近の太平洋戦争のテレビ特集は誰も彼もが戦争に反対していたという内容が多くて違和感があった。しかし、本書によるとそれは強ち間違いではない。当時は軍のトップでさえ本気で戦争に反対しつつ戦争推進に加担していた。本書はこの矛盾を明晰に分析している。
日本軍組織の欠陥を書いた「失敗の本質」という本があるが、これは軍を批判する立場で読めばよかった。しかし「超国家主義の倫理と心理」は日本全体の話なので、批判的立場を取ろうとすると自分自身への批判も避けて通れない。
読み易いとは言えないが、かなり刺激的な本だ。
よしだ『ブループリント(下)』ニコラス・クリスタキス著/鬼澤忍,塩原通緒訳
人間に限らず生き物は個体では生きていない、みたいな話をされているような気がします。
例えば、ある原虫に寄生されたネズミは、ネコの尿を嫌悪する気質を失いネコに食べられてしまう、しかしそのおかげで原虫が次の寄生先であるネコに移れるとか。つまりその行動は個体自らが起こしたものではないということですが、人間の咳なども実は細菌がその行動自体を制御しており細菌が次の感染先に移りやすくなっているのではないか(あくまで仮説)、とか。他にも、遺伝子もそれをもつ個体単体では何ら役に立たないものもあり、周りの個体の遺伝子との協調によって生存に有利になるとか。例としては、言葉を発するのに適した形質をもったヒトが突然変異で現れてもそれが一人だけでは会話ができないので生存に有利にはならない、しかし二人以上現れた途端に情報伝達の面でものすごく有利に働くとか。
生かされてるなぁと思いました。
6月5日:読みたい本を気ままに読む読書会
原 タカシさん『飼い喰い・三匹の豚とわたし』(内澤旬子)
「はじめに」で著者は次のように語る。
「この本は、2008年10月から2009年9月までの1年間をかけ、三頭の肉豚を飼い育て、屠畜場に出荷し、肉にして食べるまでを追ったルポルタージュである。
(中略)彼らをかわいそうだという感情を抱いたことはない。・・・」
挑戦的な書き出しです。はたして、300頁の本を、私は最後まで読み通すことができるだろか。そのような思いをもって、読み始めています。
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追伸:
シンカイさんの図書『私小説書きの日乗』から西村賢太という作家を知り、ネットで経歴を検索して、この作家に関心を持ちました。『苦役列車 』を読みたくなりました。
過去の読書感想はこちらに載せています。
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(吉田)