2022.08.05

読書会の読書感想(8/3-7)

 参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。8月3日(水)は5名、5日(金)は11名、7日(日)は9名の参加でした(主催者含む)。

8月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

tetsuさん『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』
 ケアとセラピーはどちらかにすっぱりと分けられるものではなく、「成分」のようなものでるというお話が印象的でした。対人援助の支援のスタンスを指して「寄り添う」と表現されることがよくありますが、そこにはケアを土台とした関係性の大切さが示唆されているように思います。言い換えると、現状に対する肯定なしに地に足の着いた変化は立ち上がってこないということです。よりよい変化を求めているのは本人なのか、それとも支援者側なのか。「ただ、いる、だけ」に意味があるのかと変化に駆り立てる内なる声に気づき、対話できるようにありたいと思いました。

よしだ『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』東畑開人著
 今日は「シェアとナイショ」という補助線のところを読みました。
 不眠に悩むエリート会社員をモデルとして描かれています。眠るということは誰かがそばにいると思えるからできる。大人になれば一人でも眠ることができるようになるけど、それは安心させてくれる誰かが自分に内在化されたから。そんなことを前提として書かれていました。つまり不眠の原因は独りであると本人が思ってしまっていること。その不眠の原因がシェアとナイショの関係ですこしずつ取り除かれていったということなのだと思います。
 シェアの関係とは気の合う友達との関係のようなもので互いに傷つけ合わないし助け合う。でもそれだけでは不眠は解消しませんでした。
 ナイショの関係とはシェアの関係でも出さないようなナイショを共有する、家族や恋人などとの関係のこと。最終的にはナイショの関係によって不眠は解消されていくのですが、ナイショの関係は傷つけ合うことがある。壮絶な経緯があってその人たちなりのナイショの関係に落ち着いていく過程が描かれていました。
 補助線はあくまでも架空の線で、実際にはこんなにスッパリと線を引けるわけではないと思います。シェアの関係でナイショが共有されることもあるし、ナイショの関係でもナイショのことはたくさんある。シェアからナイショの関係になることもある。読み切れない波のなかを航海するとき、いろんな関係があることで安定を保つことができるということなのかなと思いました。

8月5日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『100分de名著 ドストエフスキー』
 5代長編を解読する集中講義でした。
 カラマーゾフの兄弟の部分をすこし読みましたが、作者は反体制的な会合に参加したとして死刑になりかけて生涯に渡り政府から監視されてて、はっきりとしたことを書けない境遇にあったことで、こうも物語が複雑になったようです。層が4つに分かれていて長男と次男三男の母親が違うことにも意味が隠されていました。

 他の方のよんでいる、長い1日という何気ない文章も日本人の心象を言葉にしていて読んでみたいなと思いました。

tetsuさん『禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄』藤田一照/伊藤比呂美 (著)
 今回は序章の途中まで読みました。伊藤比呂美さんの疑問に、藤田一照さんがかみ砕いた表現で答えるというやりとりが続きます。「仏教」「仏陀」「ダルマ」「如来」「縁起」・・・と、藤田さんの答えが伊藤さんの次の疑問を呼ぶ形で水平・垂直に話題が展開していくのですが、もやもやしつつもなんとなくわかったような気がするという感じです。
 また、印象的な個所は「あなたが詩人なら一枚の紙に、雨、雲、木、大地、太陽、そういったものが全部見えるはずだ」というティク・ナット・ハンさんの言葉を引いて、「此れ有れば、彼有り」という縁起を説明されていたところです。前段に、人や物がそれぞれの個別に点として存在しているのではなく、最初からすべてがつながっている、全方向性の関係性のネットワークの中にあるという縁起についての説明があってあまりピンと来なかったのですが、「生きている」のではなく「生かされている」とも表現できる思想ではないかと今おもいました。
 「読むと坐りたくなる、坐禅のススメ。」という触れ込みに惹かれたので、その瞬間が訪れるのを楽しみに読み進めたいと思います。

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 文字というのは目に見えて意味もはっきりしているものなのだけれど、なんでそれでその意味として捉えられるのかよくわからないとも思う。隣のあの人が同じ文章を読んでいて自分と同じように頷いていても実はまったく違う解釈をしているかもしれない。
 それに比べると、音楽を聞いてこころが安らぐとか、怒鳴られて怖いと思うとか、朝日を見て元気になるとかいう方がよくわかる。文字とははっきりしているようでよくわからない。
 今日読んだところには文字を読めるようになった瞬間に世界が変わる、みたいなことが書かれていた。それはよくわかるような気がする。動画視聴と読書は違うと思うし、聴くことと読むことは違うと思う。それはなぜなのかはまだわからないけど、文字は自然界に存在しないものだから異世界感があるのかもしれないと漠然と思った。そして人間にとって異世界感は大事だとも思っている。つまり妄想や空想であり、それが世界というものを作っているように思う。文字を扱えるようになったことで人間の妄想力が上がったのではないかなどと妄想する。

8月7日:読みたい本を気ままに読む読書会

としさん『東日本大震災 3.11生と死のはざまで』金田諦應
一言でいえば、重かった。
本は、著者である金田さんが震災前に活動していた自死問題を、僧侶という立場で経験した話で始まった。

時系列で、話が進んでいく。
震災前、震災前日、当日、そして、その後。
短編のような形で、寄り添った被災者の物語が紡がれていく。
沢山の物語が、この本には書いてあった。言葉では言い尽くせない感情が沢山沸き起こった。

図書館で借りているため、限られた時間で読まなければならない。
けど、早く読み進めることが、どうしても出来なかった。
それ程、物語の一つ一つが重かった。
自分の中でその一つ一つをかみ砕いていかないと進めなかった。

著者がこの現状を世界に伝えていかないといけないという使命感を持って、様々なメディアの取材を受けてきたことも書いてある。
日本にとどまらず、アメリカ、イギリス、etc…
金田さんの活動をNHKの番組やロンドンタイムスで知った方もいるのではないでしょうか。

東日本大震災をきっかけに、被災者の心に寄り添う傾聴カフェ活動「カフェ・デ・モンク」を始めた。
その活動が繋がり、広がり、行政も巻き込んで大きくなる。
震災10年を振り返り描かれたこの本は、金田さんの成長も描かれている気がした。
使命感の強い宗教者は鬱になりやすいと、苦しみもがいてる姿もとても印象的だった。

震災前に、在宅医療(緩和ケア)の岡部健医師と出会い、医療の場に「生と死」の専門家(宗教者)が必要だと聞く。その意思を受け継ぎ、宗教の枠組みを超えた「臨床宗教師」という活動にも繋がっていく。
また、その出会いもドラマチックで、岡部医師は癌で余命1年もなく、震災もはさみ、彼の遺志も受け継いで東北大に臨床宗教寄付講座が開設した。
個々だったものが思いが一つになった瞬間だった。

金田さんは禅僧でもあるので、息子さんの話から禅僧の成長も分かり興味深かった。
とても内容の濃い本でした。
ここまで被災者に寄り添ったものは、今まで読んだ中でありませんでした。
心からお勧めしたいと思えた本でした。
会の開催、いつもありがとうございます。

tetsuさん『クララとお日さま』カズオ イシグロ (著), 土屋 政雄 (翻訳)
 
イシグロさんの著書を読むのは、『日の名残り』、『わたしを離さないで』に続いて3冊目です。2作品と同様に、物語はクララによる一人称の語り、もしくは回想で展開していきます。クララたち「AF」が必要とされているのはどのような社会なのだろう、他者への語りであるとしたら誰なのだろう、クララの「今現在」はどういう状況なのだろうと、探り足で読み進めました。
 作品を読み終えた参加者の方から、クララたちが抱える人工知能の特性についてヒントがありましたが、これから登場人物とのかかわりの中でどう影響していくのか、そして、クララの主観的である語りにどのように反映されているのか、これからの展開が楽しみです。

原有輝さん『「生きがい」と出会うために』
 
「生きがい」は、スポットライトが当たるような、きらびやかな場所にもあるかもしれない。しかし、市井の苦しみぬいた無名の人が詩などを書くことによって、はじめて発見される生きがいというものもあるようです。苦しみも悲しみもなければ、ほとんど生きがいなど考えずに平和に暮らせるかもしれない。しかし今、苦境に喘ぐ人も生きがいを見失っているだけで、生きがいはもともと各個人に宿っていて、なくなりはしないとすれば、いつか救いはあるかもしれないよ、というメッセージがこもっているようにも思えます。また、生きがいを失っている人の役に立つことをしても焼け石に水で、その人が役に立つことをしなくても、あなたは必要な人ですよ、という気持ちが大切なようです。

匿名希望さん『もう一度読む山川政治経済』
 今日もありがとうございました。

 資本主義経済と社会主義経済の特徴について学ぶことができました。
 それぞれの経済体制がどのような経緯でできたのかについて知ることで、国家間の争いや経済政策について知れる機会になれたらと思いました。

資本主義経済 
 ・機械や現材料などの生産手段の私有が認められる(私有財産制)
 ・利潤の追求のための自由競争OK(経済活動の自由)
 ・あらゆるモノ・サービス(労働力)が商品に
社会主義経済 
 ・工場や農地などの生産手段は国有または公有
 ・生産は政府の立てた計画に基づく(計画経済)
 ・その成果は労働に応じて分配される
 ・すべての国民は労働者と農民(生産手段を私有する資本家はいない)

よしだ『ギヴァー 記憶を注ぐ者』ロイス・ローリー著/島津やよい訳
 少し前にタイでマリファナが解禁されたという話になりました。日本ではマリファナは禁止だし、ここ数年でたばこも社会的な規制が一気に進んだような気がします。でもそうやって規制が進むと、今度は「酒は毒だ」という話も出てきます。つまり、あるグレーな部分が黒とされてしまうと次のグレーがターゲットにされるということです。昨日飲んだくれたから言うわけではありませんが、酒は規制しないでほしい!
 『ギヴァー』は超管理社会を描いた近未来小説です。管理とは嫌な気持ちになりますが、意外と安全で安心で悪いばかりではないなと思えてくる。でも人間には欲望がありそれを抑えられないのではないかと思うかもしれませんが、そこは安心してください、薬で抑制します。というそんな世界観です。明らかに過剰な設定なのですが、今の社会でもそれなりに実装されていると思える世界観です。管理社会は何がいけないのか、潔癖すぎる社会はどんな負が生まれうるのか、そんなことを思いながら読み進めたいです。


 過去の読書感想はこちらに載せています。

読書会参加者に投稿いただいた読書の感想です(2022年10月-)。

 

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(吉田)

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