2022.08.12

読書会の読書感想(8/10-14)

 参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。8月10日(水)は7名、12日(金)は10名、13日(土)は11名、14日(日)は12名の参加でした(主催者含む)。
 日曜日の「質問「   」について考える時間。」の質問は、

その日の気分は天気に関係あると思いますか

田中未知著『質問』(文藝春秋)

でした。天気によって気分もその日の行動も変わるという話や、天気というコントロールできないものとともに生きること、みたいな人生観のような話にもなりました。

8月10日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『破獄』
 刑務所を4回脱獄した人の話。
 一人の囚人に注目して話が進んでいっていましたが、戦争で原爆がおとされて、国中がそれどころではなくなっていく様のところを読みました。米の配給状況、捕虜の処遇、看守の勤務状態など、ふだん考えないことが描かれていました。刑務所を国や会社と捉えたらって後書きにあり、制度の中に組み込まれすぎるのもどうなのかなと自分を振り返ったりしました。
 平日朝の参加は初でした。他の方の読んでいた本,多和田洋子さんやほしよりこさん、有川浩さんの自衛隊3部作もお話が、きけてよかったです。

tetsuさん『クララとお日さま』カズオ イシグロ (著), 土屋 政雄 (翻訳)
 今回は、第二部の途中から第三部の初めまで読みました。ところどころで耳慣れない単語が出てきたり、どうも普通の様子ではない子どもたちや保護者の描写があり、クララたちAFが必要とされる社会には何か想像もしないひずみが生じているように感じます。違和感を見逃すまい!と楽しみながら手探りで読み進めています。
 クララは人工知能ならではの冷静な観察眼と学習能力をもち、言外のサインを察するなど心の機微まで感じ取ろうとすることができます。かといって人間心理を完ぺきに理解できるわけではなく、どこか幼さを思わせる捉え方をしている面もあります。AFであるクララの視点を通すことで、ある種不合理ともいえる人の複雑な心のありようが浮き彫りになっているように思いました。
 (これ、クララの立場だったら相当ストレスたまるな・・・)と考えずにはいられないのですが、その一方で、人ではないAFにだからこそ打ち明けられる本心や、共有できる秘密があるのかもしれないということを考えたりしました。

よしだ『ギヴァー 記憶を注ぐ者』ロイス・ローリー著/島津やよい訳
 雪や色彩を認識してこころが動く主人公。超管理社会では気候が安定するようにコントロールされており、画一的だからか色を認識することもなく人々は生きています。主人公はそういったものを感じる力に優れており、それもあって記憶を受け取るレシーバーの役割を与えられます。その記憶とは、かつては降っていた雪のような楽しいものもあれば争いや収奪といった苦しさを伴うものもあります。
 主人公は色彩の美しさなどを認識することで、もっと人はさまざまなものを感じたり考えたりして自分で選びながら生きていった方がいいのではないかと考え始めます。しかしその考えをすぐに自分で否定します。仕事や付き合う仲間を自分で選ぶなんて恐ろしい、と。失敗したらどうするんだという恐怖です。
 管理して安定させようという気持ちも失敗を怖がる気持ちもわかります。でもその一方で主人公が抱いたような好奇心や自由を求める気持ちも人にはあるのだと思います。そうでなければ人類の世界はここまで広がりをみせなかったように思います。安心と自由。この2つの間でどう生きようかと模索するのが人間の課題のような気がしなくもありません、なんて。

8月12日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『カラマーゾフの兄弟3』
 今日読んだところは、「第9編 予審」の箇所でした。
 ミーチャの目撃者たちの尋問が終わった後に夢を見るところです。「餓鬼」と書いて「がきんこ」とふりがながうってあります。「どうして皆貧しいのか、どうして餓鬼は哀れなのか」。夢から覚めた後、告発の苦しみをなぜ潔い態度で受け入れることができるのか不思議でした。手持ちの金が3千ルーブルだったか否かを長々と聞かれていてどうにもはっきりしない回答だったのに。
 自分が無実の罪で罪人になるより恥辱を注ぐことの方が大事なようでなんだかぼんやりと描かれていました。またミーチャにとっての恥辱が他の人にとってはそうでもないような感じもしました。裁判は終わったかと思いましたが、まだ終わっていないようです。

itoさん『マジック・フォー・ビギナーズ』
 普段は読んだ本の話をあまり人としないのですが、初めて参加してみました。
 この本は本屋で表紙の絵に魅かれて手に取った一冊です。難解なファンタジーでだいぶ戸惑っていたのですが、読書会で感想を話そうとすると何となく客観的に読めたように感じます。わけがわからない部分と、ここは面白いな、と思う点を整理しながら読むようになり、読書会のあとも不思議と読み進めやすくなったのが新鮮でした。

8月13日:読みたい本を気ままに読む読書会

Kameoka Kikoさん『落下する夕方』
 たくさんの人の本の感想が知れて楽しかったです

tetsuさん『クララとお日さま』カズオ イシグロ (著), 土屋 政雄 (翻訳)
 ちょっと前に読みおわったので、今日はふせん回収をしながら物語を振り返る時間にしました。知性と感情を備え持つAFであるクララについてうまくお伝えできなかったのですが、参加者の方からたくさん質問をいただく中で、人を人たらしめているものは何なのだろうという問いが湧いてきました。クララの純粋さに触れ、その半生を追体験するとき、心がざわめく思いがするのはまさにそのことを問いかけられているからのように思います。
 この物語はクララの回想による一人語り、つまり記憶を辿る旅であると言えると思います。記憶は事実そのままではなく、時に抜け落ち、時に美しく主観に基づいて再構成されるものです。まるで人のような感性をもつクララがその役目を終えるにあたって見出そうとした物語だと捉えるとき、その行間に思い巡らさずにはいられないという感慨を抱きました。語られないことによって、語られている。カズオ・イシグロさんの作品に覚える余韻の深さは、そういったところにあるのかもしれないと思いました。

8月14日:読みたい本を気ままに読む読書会

tetsuさん『愛されなくても別に』武田 綾乃(著)
 武田綾乃さんの著書は初めてなのですが、「息詰まる『現代』に風穴を開ける」という紹介文を目にして以前から気になっていました。ある程度共通性の高い息詰まり感が取り上げられるものと想像していた分、女子大生である主人公と、同世代の登場人物たちが置かれている境遇の過酷さに戸惑いを覚えながら読み進めています。いわゆる「毒親」をもつ子どもたちが、どのように自分の人生を取り戻していけるのか。現代に普遍的なテーマとしての広がりにも着目して味わいたいと思います。

つやまさん『食べることと出すこと』頭木 弘樹
 20歳で潰瘍性大腸炎という難病になり、十数年入退院を繰り返す生活をした著者の闘病記です。闘病記といっても、病気の辛さを訴えたい、読んだ人に勇気を与えたい、というような動機ではなく、病気にならないとできなかった体験や、それを通して得られた人間や社会への洞察を「面白い」と思ってもらいたいという動機で書かれているそうで、同じ病気の人でなくても興味深く読めるようになっています。(それでも症状の苛酷さは、読んでいるだけでも辛くなるほどで、このような距離感で書ける著者はすごいと思います。)
 今回読んだのは「食コミュニケーション――共食圧力」という章で、食事が個人の生命活動の維持だけではなく、人間関係にも深く関わっているという事実に、病気になって初めて直面した著者の驚きと苛立ちが書かれています。症状が少し落ち着いて一時退院していた著者は、仕事上の関係者数人と会食に行きます。相手には難病のために食べられるものが極端に限られていると伝えていましたが、おすすめの店に連れて行かれ、食べられない料理を一方的に「美味しいから」と勧められます。「難病で食べられない」と断ると一度は引き下がってくれるものの、「少しなら大丈夫なんじゃないですか」と小皿に取り分け、なぜかしつこく食べさせようとしてきます。著者は結局料理に手をつけることができずに機嫌を損ねてしまったようで、それっきり仕事の連絡も来なくなってしまったそうです。また病院でも、見舞い客が持ってきたお見舞いを無理に患者に食べさせようとしたり、食事の介助を受けるときに美味しそうに食べる人の方が良い病人とされるという圧力を受ける場面にも遭遇します。これらの出来事から、人間にとっての「食」は、自分が差し出したものを相手が受け入れるという関係に大きな意味があり、食べ物を拒絶することは相手や場そのものを拒絶することを意味すると著者は気づきます。「食」で繋がることへの圧力は、難病というハードルを超えて、食べられない者を非難し、排除することがある。話は少し飛んで、「会食恐怖症」の背景にはこうした共食圧力があるのではないかという話や、新興宗教などで戒律で食べてはいけないものを定めるのは、信者同士の繋がりを深めるのと同時に、外部との繋がりを断ち切るためではないかという話もあって興味深いです。
 病人と老人はなってみないとわからないと著者は言っていますが、違う立場の人を理解したり理解してもらったりすることの難しさを感じるエピソードでした。

よしだ『ギヴァー 記憶を注ぐ者』ロイス・ローリー著/島津やよい訳
 今日で読み終わりました。自由というのはリスクや痛みや苦しさや悲しみが伴い、でもその分安全なままでは味わえない興奮や喜びや鮮やかさや骨身に沁みる感、なんといいますか生きている感を感じることができる。そんな結末だったように思います。自由の方がいいと僕は思いますが、それは相応の大変さとセットでね、という前提を掲示されたような感覚です。
 また、管理されるのがいいのか自由がいいのかという問いはそれはそれで大事だとして、管理することが果たして可能なのかという問いも大事だと思いました。物語のなかでは相当な無理や歪みのうえに管理が成り立っているように描かれていました。ヒトは自由にしか生きられない、という前提が実はあるのではないかという仮説も浮かびました。そうなると人生は苦行であるというのもまぁ仕方なく引き受けられるような気がしないでもありません。


過去の読書感想はこちらに載せています。

読書会参加者に投稿いただいた読書の感想です(2024年10月-)。

 

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