参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。24日(水)は3名、26日(金)は6名、27日(土)は10名、28日(日)は11名の参加でした(主催者含む)。
8月24日:読みたい本を気ままに読む読書会
よしだ『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム著/日高六郎訳
今日はこの本の流れで自由の話にもなりました。印象的だったのは、自由には時間がかかるのではないかということでした。
この本は1941年に刊行されたものです。著者のエーリヒ・フロムは、他に手がける研究がありながらナチズムの台頭によってその研究を切り上げてこの本を書くことになった、ということを書いていました(解釈含む)。18〜19世紀に君主制から脱して人々は自由を手にしたはずなのに、ナチズムのような思想に迎合して個を失っている。これは一体どういうことなのだろうか、人々は自由を求めて手に入れたはずなのにそれを自ら捨てようとしている。20世紀のこの頃はそんな困惑のなかにあったようです。
民主主義へ移行する前、中世の時代が君主制であったのは、人々に知識がなかったり権力を固定化させる制度であったりという問題があったからだと考えられていたようです。もちろんそうした側面もあるのでしょうが、人々は民主主義という制度ができあがったからといってそのまま自由に生きようとするわけではないということがこの本からはみえてきます。人は一体どのような自由を望んでいるのかということへの考察がおそらく現代でもまだ足りないのだと個人的には思っています。
話はすこし変わって、『学問のすすめ』で福沢諭吉は江戸幕府の支配が終わって自由な時代になったけど、それは個人が自分で考えて商売をしたり政治を監視して腐敗を防いだりしなければいけないことを意味する、だから勉強しなければいけないということを書いていました。それを読んだ時に、ずいぶん大変な要求だなと思ったのですが、個人の自由を前提とする社会とはきっとそういうことなのだと思います。制度が変わったりお上が何かしらの方針や思想を喧伝したりしてもそれだけでは変わらず、本当の意味で浸透していくには大変な労力と時間がかかるのだと感じました。
8月26日:読みたい本を気ままに読む読書会
うさじさん『マインドフルネスストレス低減法』
対人ストレスを感じた時、その相手とのコミュニケーションに注意を向けること、その状況や自分が感じたことや考えたことを意識化することで、相手との関係を友好的に保つ手がかりをみつけることができるそうです。
対人ストレスに対して、衝突を回避してしまったり相手のことをあるがままに受け入れることが難しかったのですが、一つ一つの状況に対して、自分の気持ちや思考と向き合うことで、相手とのつながりのとらえ方を変えることができるのではないかと感じました。
本日もありがとうございました。
yuさん『自転車泥棒』
台湾の小説。第二次世界大戦の時には象がいる部隊があった。13頭いた象は7頭しか残っていない。兵士たちにとって象は象徴だった、ヒルに噛まれ膿が出た足。運搬するための薬物注射。何にも関係ない象まで巻き込んで戦争って・・・
他の方と3人で対話について人の話を聞くことについて。聞くというのは相手を解りたいという姿勢がないと耳に入ってこないのではないかなあなどぼんやり考えました。
tetsuさん『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』井庭 崇・長井 雅史 著
精神疾患の治療方法であるオープンダイアローグから、日常の対話にも活かすことのできる心得を30個の「対話のことば」として体系化して紹介されています。30個のことばを構成する大きな枠組みとして、「≪体験している世界≫を内側から感じる」、「≪多様な声≫が生じる場にする」、「≪新たな理解≫を一緒に生み出す」の3つがあり、今日は1つ目のところを読み進めました。
対等な人と人として出会い、じっくりと耳を傾けて応答し、相手の世界を深く感じていく。これはカウンセリングにそのまま通じるあり方であると思いました。このように自分のことを理解しようとして聞いてくれる人が目の前にいること、ただそれだけでも救いであると思いますし、その人の中にあるよりよく変化しようとする力が立ち上がってくるように感じました。どれ一つとして不要な「ことば」はないのですが、No.6「そのままの言葉」(相手の言葉を使って話す)に取り組んでみたいです。もはや癖だと思うのですが、言い換えて伝え返すことがとても多いように感じています。「それってこういうこと?」と相手と自分の理解を照合させるために用いているつもりだったのですが、頁を繰る手を止めて思い巡らしているうちに、自分の世界の枠組みで相手の世界を捉えようとしていたのではないか、「相手にこうあってほしい、あるべき」という価値観を抱合した上での言い換えをしてそちらに誘導しようとしていたのではないか、というゆらぎが湧き起ってきました。「○○と感じておられる」と、ぽんと2人の間に言葉を置いて眺めるだけでも十分かもしれませんし、素直に「○○っていうと?」と開かれた質問を投げかけて教えてもらったほうが相手の内側から見た世界を垣間見ることにつながるのかもしれません。
わかりやすいようでいて、とても奥が深い。何度も何度も読み返したい本です。
よしだ『新版 動的平衡』福岡伸一著
「すぐに役に立つ」成果を求められることに対する批判が今日読んだところでは見られました。創薬や産業につながるからこの研究をやっているということが求められるということです。生命現象や世界の成り立ちをただ解き明かすという研究は予算の面からも行うのが難しいと書かれていました。漠然と、そうだろうなぁと思いました。
生命観や世界観は生きていくうえで必要のないことなのだろうかということに考えが巡ります。いやそんなことはないと、直感的には思います。そういうのがないとき孤独というものを感じやすかったりするのではないかと思ったりします。精巧にできているようでいて偶発的でもある生命や世界のことを知ると、その器のうえで生きていくという感覚であれるような気がします。
8月27日:読みたい本を気ままに読む読書会
tetsuさん『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』井庭 崇・長井 雅史 著
昨日に続いて、3つの枠組みの残る2つである「≪多様な声≫が生じる場にする」、「≪新たな理解≫を一緒に生み出す」のところを読みました。
「多様な声」では、メンバー全員で声を出し合うこと、気持ちを分かち合うこと、気づきを生じさせることを可能にする場とその中での振る舞いが示されていると認識しています。最近私の中に「居心地のよい居場所とはどういうものだろう」という問いがあるのですが、直接的に関係しそうなエッセンスがここにはあると感じました。中でも、No.16「全員の発言」(ひとり一人の声を大切にする)は、そのための大前提であると思います。No.18「応答の連鎖」(みんなで声をつないでいく)は、(知っていることを言いたい)、(白黒つけたい)、(自分が正しい)という陥りがちな誘惑から解き放ってくれる、モノローグからダイアローグへの転換点であると感じました。また、No.21「リフレクティング・トーク」(会話を外から見てもらうことで、新たな気づきが生まれる)はオープンダイアローグと言えば、という感じの代表的な技法なのによくわかっていませんでした。自分が会話を外から見る立場のシチュエーションを想像すると、相手は自分のことをどんなふうに理解してくれているのだろうと目の前で交わされる会話に興味津々になりそうです。「じっくり聴く」という行動を機能させるための工夫なのだと理解しました。
「≪新たな理解≫」は、3つの中で最も抽象度が高い内容だと感じます。多様な意見が共存する混沌とした状態から新たな意味が生まれ、未来に向けた物語が立ち上がってくる過程とはどのようなものなのか。これは実際に体験してみないことには理解が及ばないのかもしれません。そのプロセスに身を置いたところを想像しつつ、残りの部分を読み終えたいと思います。
よしだ『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム著/日高六郎訳
今回は読み始めのこんな文章に引きつけられました(P17)。
「抑圧された衝動は、文化的に価値のある努力にかわり、こうして文化の人間的基盤となる。」
最初は呑み込めなかったのですが、考えていくとすこしずつわかっていきました。たとえば今の社会では、学校や会社に行くときに朝決まった時間に起きることを求められ、行った先では期日や成果といった目標を求められます。そうした社会だから、規則正しく生活することや目標達成のための努力が生まれ、それらを価値とするような美徳が生まれるように思いました。そして、そうしたことを人間の基本とするような見方も、さもそれがあたり前であるかのように社会を覆っていくように思います。
著者のエーリッヒフロムは社会心理学という、ヒトや個人が生まれながらにもつ気質によってのみ人間の心理がつくられるわけではないという学問に軸足をおきます。大雑把にいうと僕の理解では、社会によっても人間性というのはつくられていくという前提のもとに社会との重ね合わせのなかで人間を研究する学問です。フロムは、食欲などはヒトが基本として有するものだが、愛や憎しみなどは社会のもとにつくられるものだと言います。だから今の私たちがもつ人間観やヒトの本性などというものは、どこまでが基本的なものなのか判断が難しいというのが社会心理学のスタンスです。
これは言い換えると、人間はこういうものだから変えられない、ということを疑う視点であるとも言えると思います。基本が崩れるのは怖いことだし、基本が違う他者がいると近寄り難いとも思うかもしれません。でも基本とはかなりあいまいなものだとすれば、自分自身のそれを疑ってみることも、他者の話を聴いていくこともしやすくなるのではないかなどとも思ったりします。そう簡単なことではないとは思いますが、変えられないと思っているより、変えられるかもしれないと思っている方が身軽な感じはします。
8月28日:読書のもやもやについて話す時間「本との付き合い方」
今回のテーマは「本との付き合い方」でした。
〈持ち寄られたテーマ〉
・老害を害とする境界は(知識や経験が煙たがられるのはどのようなときか)
・読書が楽しいのか苦しいのか。読書が苦痛になるときがある
・読書はフローかストックか
・本との付き合い方。タイミング。生きているうちにあと何冊読めるのか。どこまでして読み終えたことにしようかな。
・本読んでいても覚えていないことがある
・読み返したくなる本がある
・思考を変えたくて手放した本がある
tetsuさん
「読書のもやもやについて話す時間。」に初めて参加させていただきました。あらためて、本との付き合い方についてふりかえることのできる有意義な時間を過ごさせていただきました。読書に対して「メンターを求めている」と表現をされた方がおられ、たしかにそのような一面があるなと反芻しながらお聞きしていました。哲学などの学術や自伝・伝記、物語などさまざまな形で表現される考え方や在りように触れることは自分の人生を生きることにつながっているのだと思います。また、終わりの方で「結局は自分自身の中に答えがある」とのご意見があったことも印象的でした。
読書をすることで、心が動いたり、視野が開けたり、想像が作り出す美しさに身を委ねたり。読書は、おそらく私にとって身近で、手軽で、自分のペースで「体験」を起動してくれる装置なのだろうと思います。そして、その体験に「ひらく」ことができるかは時機が大切であると思います。それは必要に迫られたからかもしれないし、その時の周りの人や環境の中で生じるものなのかもしれません。無理矢理にひらこう、よく噛んで咀嚼しようとしなくても、何も起きないときは起きない。限りあるこの先の一冊一冊の読書体験にできるだけ丁寧に向き合いつつ、いずれ準備ができたときにはあらためてお会いしましょう、ぐらいのスタンスで肩の力を抜いてみようかなと思いました。ありがとうございました。
としさん
読書が苦痛になることはある。
以前の私なら、理解出来なくても読んでいたが、
理解出来る私に変わりたくて、
疑問を飛ばさず、理解しながら読み進めることにした。
勿論、全然進まない。
なぜなら、今まで理解しなかったツケが回ってきているのだ。ここでやめたら戻ってしまう、という恐怖心から、私は苦しみながら本を読んでいる事に今回気がついた。
人生は自分を理解する旅だと最近思うようになった。
今まで分かっていなかった自分、
何が嫌いで何が好きか、
最近になってやっと分かるようになった。
文章を書くことを学んだのも数年前。
それまでの私は文章を書くことから逃げていた。
感覚人間なため、言葉なんて重要に感じていなかった。
占星術を読んだ時に書いてあったのは、
前半(若いうち)にし残したことを
後半になって回収するようになっているという事だった。
人間は、惑星の影響を強く受けている。
ただ、それは、そういう流れの中にあるけど
自分の意思でどうとでも変えられるという。
読書は娯楽。苦しみながら読む。
理解しなきゃいけないと思い込んでる。
そう。考えたこともなかった。
実は私はメンターと思える人にあった事がある。
色々な事情があって疎遠になった。
その人と同じような人を探しているのかもしれない。
新たな発見のあった会でした。
いつも有難うございます。
よしだ
いろいろな話が出て、振り返ってみると「読書をしているとき何をしているのか」というテーマだったようにも個人的には感じました。
何かをわかるためという人もいれば、そうでもないというような人もいます。ひとつの目的をもって読書をしているわけではないのでその時々ですが、僕自身はなんとなく何か(たぶん自分)を動かすために読書をしているような気もしました。もう何がなんだかわからない状態だと動きようもないので、何かをわかるために読んでいるともいえますし、でもそれで何かがわかったと思うわけでもない。でも求めている何かには近づくような気がするし、別のやりたいことが出てくるときもあります。ゴールがあるわけでもないしそれを欲しいともあまり思っていないけど、どこにいくのかわからないから本を読みながら考えているような気もします。
https://note.com/embed/notes/nc83d83de1ff2
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