参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。1日(水/夜)は4名、4日(土/午前)は9名、5日(日/午前)は10名、5日(日/夜)は5名の参加でした(主催者含む)。
土曜日の「質問「 」について考える時間。」の質問は、
今まで世界中でいくつ質問が生まれたでしょうか
田中未知著『質問』(文藝春秋)
でした。
3月1日(水/夜):読みたい本を気ままに読む読書会
yuさん『クオーレ』 デ・アミーチス
1886年出版のイタリアの児童文学のようです。「母を訪ねて」の原作が収録されています。
今日読んだのは、「フィレンツエの小さな代筆屋」です。日記のように何月何日とあります。貧しい一家の物語で12歳の少年と家族の話です。少年は家族のために自分の善行を隠すのですが・・・直接目に見えることだけで物事を見てしまうなと思ったりしました。少し教訓めいている気もしました。小人と靴屋を私は思い浮かべました。「ごんぎつね」を連想したという感想もいただきました。
3月4日(土/午前):読みたい本を気ままに読む読書会
てらもっち7等兵さん『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』
人々の統計的な集団、遺伝傾向としての振る舞いが、今の企業活動に影響を与えるというのが興味深い。まだ途中までしか読んでおらず未読了なので、しっかりと読み込みたい。
3月5日(日/午前):読みたい本を気ままに読む読書会
原有輝さん『湯殿山の哲学』
本書の感想ではなく、他の参加者の話の感想ですが、うつや引きこもりやニートにもいろいろ種類があって、本当に無気力な人ももちろんいるけど、隠れた情熱や、エネルギーに満ちあふれていて、災害などのボランティアに精を出す人も多いというのが印象的でした。
yuさん『クオーレ』 デ・アミーチス
イタリアの子供向けの小説です。1886年に出版されたそうです。その頃の子供は大人の5分の一の賃金で平均15時間労働していたそうです。日記のように日付と出来事が書いてあります。今日は3月のところを読みました。病気の左官屋の子供に物語を届けるために書き写された物語。「ロマーニャの血」。おばあさんと孫が強盗に押し入られた話でした。この話を病気の子供に届ける感覚を当時の人に聞いてみたいなと思いました。
また、小川洋子さんの「猫をだいて像と泳ぐ」を読み始めたかたがいて読んだことある本だったのにあらすじを忘れているなあともう一度読みたくなりました。会が終了後も残って話をしました。
Takashiさん『道徳の系譜』ニーチェ
ニーチェはとにかくサービス精神が旺盛なので、強い言葉が多くて眩暈がする。しかし、何度か読むうちに頭の中が整理されてくるのだ。これは一種の快感であり、ニーチェの文章は特にこの感覚を強く味うことができる。
本文を一部要約したものを紹介する。
・上位の者が下位の者にもつ支配的感情が「よい」と「わるい」の対立の起源だ。
・惨めなる者のみが善き者であるという教えは「道徳上の奴隷一揆」だ。
・奴隷精神はまず「悪人」をつくり、次にその対照として奴隷自身が「善人」となる。
・刑罰は悪人に苦痛を与えることであり、非力な者に何の躊躇もなく自己の力を放出できるという残虐な愉悦であり、それはご馳走である。
こんな感じのどきどきする言葉が次から次へと現れる。そりゃあ眩暈もします。
3月5日(日/夜):読みたい本を気ままに読む読書会
yuさん『クオーレ』
6月の今月のお話し「遭難」以降、読書会後も少し読んで読了しました。子供達の可愛らしい様子や親子のやり取りなど書かれていて、教室で訓話みたいな話を月一で聞くような構成でした。訓話の最後が友達のために命を投げ出した少年の話。ええ。話としては立派だけど辛いなあ。あとがきでナタリア・ギンズブルグが「今日では読むに耐えない」と批判しているのは、現実感という点においてかなあなどど考えたり批判も絶えないけど読み継がれてきているっていうのも気になる本であるってことかなあと考えたりしました。
あとのかたは文化人類学や研究の本を読んであり、後書きの参考文献に著者がいちいちコメントを入れているというのをみてみたいなと思いました。
過去の読書感想はこちらに載せています。
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