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参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。27日(水/午前)は3名、29日(金/夜)は3名、30日(土/午前)は7名、1日(日/午前)は4名、1日(日/夜)は2名の参加でした(主催者含む)。
日曜日の「質問「 」について考える時間。」の質問はこちらでした。
なぜ右利きと左利きがあるのでしょうか
田中未知著『質問』(文藝春秋)
12月17日(火/午前):読みたい本を気ままに読む読書会
よしださん『モラトリアム人間の時代』小此木啓吾
モラトリアム人間とは、立場を示さない、当事者意識のないお客様気質の人間のことと定義されています。中立とも違います。中立とは中立という立場を示しているからです。その場その場で言動を変える日和見的なところがあり、責任が発生しないような振る舞いをする人間のことをいうのだと思います。
さて、これは良いのでしょうか、悪いのでしょうか。僕個人の意見としては、何事も参加した方が(大変だけど)楽しいし充足感も得られるから、モラトリアム人間的でない方がいいとは思います。しかし、「そうですか、でも自分はこれでいいんです」と言われたら返す言葉が見当たりません。
人間の本質や普遍性とはどこにあるのだろうかと思うことがあります。例えば、労働をしていないと後ろめたい気持ちが起こるとします。しかし、それは周りがみんな労働しているからかもしれません。労働をしない人が一定数を超えたら労働をしていないことに後ろめたさを感じなくなるかもしれません。当事者意識があった方が充実感があるし、そうでなければ退屈だからどこかで責任をもって生きていくことになるだろう、という結論は早計なのだろうと思ったりします。これは、沼です。
12月22日(日/午前):読みたい本を気ままに読む読書会
よしださん『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』ハンナ・アレント
歴史的な事実がわかっていないと読み進めづらいなと思いつつ、アイヒマンに何らかの強烈な思想や意図はないのだろうなと思える記述でした。裁判で本人が話すのは、自分の功績めいたことやそれをキャッチコピーのようにまとめた一言の繰り返し。思想が強い悪であればいいということではないけど、何も考えていなさそうな悪に蹂躙されたというのもやりきれないのだろうと思いました。ただ、悪とは、企図する者はほんの一部で、加担する大勢はそういうものなのかもしれません。
過去の読書感想はこちらに載せています。
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