質問「汽車に乗り遅れた経験はありますか」
『質問』田中未知著
「汽車」という言葉の確認から始まりました。汽車とは電車とは違うもの。そこまで厳密に定義などはされなかったけれど、住んでいる場所によってあの連結した車両に抱くイメージは違うように思いました。
都会に住んでいれば電車とは違ってゆったりと運行されるイメージのものが汽車だけれど、地方に住んでいれば電車だろうと汽車だろうと1時間に1本とかゆったりと運行されるもの。僕は地方から東京に出てきたし、北海道にもスキー合宿で行ったりしていたからどちらもイメージが湧きました。北海道では事前にしっかりと時刻表を調べないと、その日のうちに目的地にたどりつけなくなります。
就職活動で東京に来たときに、東京の人がホームの階段を駆け上がっているのが不思議で仕方がなかったことを思い出しました。5分に1本は電車が来るのだから別に1本逃したところで次がすぐ来るだろうと思い、なぜ急いでいるのかなぞでした。そのなぞを東京出身の大学の先生に言ったところ、笑いながら「東京の人はそういう時間で生きているから」と言われました。
今ではその東京タイムに少し慣れた、慣れてしまったような気もします。あるいは東京に来たからというだけでなく、アプリで最適な乗り換え案内が出せてしまうからそれに合わせて足を速めるようになったような気がします。それはそれでいい、時間は大事です。でもそうやってアプリで検索して足を速めて電車を乗り継いでいく自分を思い起こしたときに、その最適とされる時間に自分が支配されているような気もしてきました。自分で検索して行動を選択しているはずなのに。
だから、なんといいますか、頻繁に電車が来てアプリで即座に最適なルートを割り出せる環境は待たされることがないのだけど、時間を支配しているようでいて実は支配されているような不思議な感じがするなと思いました。
(よしだ)
(カバー画像出典元)
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