身近な人に関する噂話から芸能人に関するスクープまで、私たちは日々ゴシップと接しながら生活しています。一見すると情報としての有益性は低いゴシップですが、どうしてもゴシップが近くにあると聞き耳をたててしまします。このような拭い去れない性質を有しているということは、ゴシップは私たち人間にとっての何らかの意味があるはずです。
霊長類学者のダンバーは、大学のカフェテリアや病院の待合室など人が集まる場所での自然な会話を分析し、会話のほとんどが「今ここにいない誰か」についてのゴシップであることを示しました[1,P82]。話し相手や自分のことではなく、そこにはいない誰かについて話していると言うのです。たしかに、言われてみるとそうかもしれません。
そしてダンバーは、人間のゴシップの役割はサルの毛づくろいと同じであるという考えを示しました。すなわち、友好な関係を保ったり、壊れかかった社会関係を修復するのに役立っていると言うのです。
たしかに、あまり良い話ではありませんが、相手との関係に不和が生じた時、他の誰かの悪口を持ち出すシーンも想起されなくはありません。ゴシップが、コミュニケーションのきっかけになったり、共通の話題による共感を生み出すことにつながっているのです。
さらに、ゴシップには別の役割もあります。ゴシップは信憑性が高い情報とは言い難いですが、そのような情報でも積み重なっていくことで、その誰かの「評判」として形成されていくのです。
「評判」が形成されるメカニズムがあることは協調性を生み出す上で重要です。なぜなら、すぐの見返りを期待できないような利他的な行為が、評判のメカニズムがあることによって、いつかの見返りを期待できる行為に変わるからです。たとえ助ける相手が関係性の薄い他人であっても、「今ここにいない誰か」を話すゴシップによって、自分の評判が形成されていく可能性があります。利他的な行為をする本人は評判が形成されることを期待しているわけではないかもしれませんが、このような仕組みが社会になければ「情けは人のためならず」という言葉も生まれず、利他的な行為も生まれにくくなると考えられます。
度を越えたゴシップは、誰かを大きく傷つけることがあります。しかしもう一方で、ゴシップは私たちの協調性を育む役割もあるようです。ゴシップは、相手との関係を維持したり、利他的な行為の動機付けになったりしているようなのです。適度なゴシップとは難しいですが、ユーモアのあるようなゴシップを楽しむことは、私たちが生活する上で必要なことのようです。
〈参考〉
1.亀田達也著『モラルの起源 ー実験社会科学からの問い』(岩波新書,2017)
2.画像元のフリー写真提供者:https://www.photo-ac.com/profile/941422
(吉田)