2021.01.24

読書会の話。搾取を嫌う人としてのマルクス。

 昨日は読みたい本を気ままに読む読書会でした。自分の読んだ本の話になりますが、少しだけ紹介したいと思います。

 今は『人新世の「資本論」』を読んでいます。『資本論』とは、社会主義や労働運動に強い影響を与えたカール・マルクスの著作です。資本論や社会主義に関してあまり詳しくないのですが、資本主義社会においては資本家による労働者からの搾取が起こりやすく、労働者は過酷な労働を強いられ資本家と労働者の格差は広がっていくことが懸念されたため、マルクスは資本主義からの脱却を目指して『資本論』をつくっていったのだと認識しています。参加者の方が言っていたのですが、「マルクスは避けた方がいい」というようなことが学問の世界でも言われていた時代もあるそうです。私自身も、国家の崩壊を学校の授業レベルではありますが学んではいたので、ポジティブな印象は持っていませんでした。しかし、崩壊した国家の主義・思想に実はマルクスの考えは純粋には組み込まれていなかったり、また資本論の解釈自体も誤っていたりと、世間一般で持たれているマルクスや資本論の印象とは、また違う部分もあるようです。

 今日読んだところでは、マルクスの持つ根幹的な考えが変化していったことが示されていました。その変化とは、経済成長を肯定する立場から否定する立場への変化と、西ヨーロッパを社会の先進とする立場から必ずしもそうではないとする立場への変化でした。
 マルクスは資本主義からの最終的な脱却を目指しながらも、資本主義の価値を認めてもいました。その価値とは、「競争によってイノベーションを引き起こし、生産力を上げてくれる。この生産力の上昇が、将来の社会で、みなが豊かで、自由な生活を送るための条件を準備してくれる」[1,kindle1570]というものでした。これは資本主義社会の下で生きる人々にとっては、実感のあることではないでしょうか。例えば最近では、新型のコロナウイルスの流行からわずか1年にも満たない段階で、打開策としてのワクチンが出来たことは資本主義というエンジンが働いたからなのかもしれません。
 しかしながらマルクスは、次第に経済成長や生産力向上への肯定的な見方を変えていきます。きっかけの一つは、地球や自然環境というもっと全体を考慮した、人間の持続的な生存や豊かさの維持に関心を寄せていったことにあるようです。例えばマルクスは、フラースという人が書いた、メソポタミア・エジプト・ギリシャなどの古代文明の崩壊に関する著作に強い関心を示したと言います。フラースの著作の中で、それらの文明が崩壊した原因は、過剰な森林伐採のせいで気候が変化し、生業である農業が困難になってしまったことにあると書かれていたそうです。他にも生物種の絶滅の問題にも関心を寄せ、次第に経済成長や生産力の向上をはかることは、人間の生活の持続や豊かさを奪ってしまうのではないかと考え始めます。
 マルクスは自然環境や生態系の他にもう一つ、共同体についても研究を深めていったそうです。マルクスが知った共同体の中には、土地を共同で所有し、生産方法や売買の先まで規制をかけながら、持続性を保っているものがありました。かつて崩壊していった古代文明とは違う社会のあり方であり、資本主義や自由主義とは対極にある社会システムでありながらも、そこに持続可能性をみたのです。そこでマルクスは、経済成長をしていない共同体は、できなかったから成長していないのではなく、あえて成長を目指さなかったのではないかと考えるようになっていったと言います[1,kindle2005]。このような研究からマルクスは、経済成長を志向しない、持続性や定常性を重んじる考えに変わっていきました。また、西ヨーロッパが先進国であり、そこに至っていないいわゆる後進国は、自分たちが通ってきた道である資本主義を経由して次の段階である社会主義へ移行していく、という考えも初めは持っていました。しかし、この考えも変えていくことになります。資本主義を経由しない移行の仕方もあるし、そもそも資本主義や経済成長自体、人間社会の豊かさや持続性に危機をもたらすものであると考えるようになりました。

 このようなマルクスの考えの変化に触れた時にまず思ったことは、マルクスは搾取や収奪を嫌悪する人であったのではないかということでした。『資本論』でも、資本家による労働者からの搾取を嫌悪し、問題を投げかけていたのではないかと思います。その根底的な価値観が今度は、地球からの搾取にも目を向けることになってしまったのではないかと感じました。
 また、経済成長を肯定する立場から否定する立場への変化は、自身の研究に大きな影響を及ぼします。論理を組み立てる上での大きな前提を、自分自身で覆してしまったからです。このような姿勢には頭が下がるという言葉では言い尽くせない気持ちを抱くとともに、その時のマルクスの心境も気にはなりますが、聞いてみても理解することなど到底できない苦悩だったのではないかと思いました。『資本論』は全三巻を予定していたのが、第一巻を刊行した16年後に、続きを出せないままマルクスはこの世を去りました。現在、世界中の研究者が協働でマルクスの草稿などを集めながら、資本論の正しい理解へ向けたプロジェクトが進んでいると言います。没後150年近く経ってから再び他者の手によって再構築されようとする思想であり人物だったということです。
 本のテーマ自体からは、まだ読んでいる途中ではありますが、合理性が意味することがこれから変わっていくのではないかと感じました。現状では合理性というと、経済的利益や成長に対する合理性を言い、低コストで多くのものを生み出すことが合理的であると言うことが多いのではないかと思います。しかしながら、持続性を重んじ、成長を絶対視しない、むしろ定常性を重んじる主義へと変化していくと、合理性が意味することも変わっていくのではないかということです。「それは持続性や定常性に対して合理的であるのか」という問いであり、根本的なところで、考え方を変えていかなけれないけないのではないかと感じています。
 個人的にはこのような変化に対しては前向きです。戦後、両親や祖父母世代の猛烈な働きによって、今のような衣食住に困ることが少ない社会に生きることができています。その時代では経済成長を一つの目標とすることが人々の原動力となり、社会インフラを整えるエンジンとなったのではないかと思っています。しかし、社会の状態が変わった今は、また違う考えや価値観を持ち、生存の維持や生きる豊かさを得るための仕組みなどをつくっていく必要があるのではないかと思っています。少し重たい話になってしまいましたが、『資本論』の重厚さそのままに、そんなことを考える時間となりました。


〈参考図書〉
1.斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書)

〈読書会について〉
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(吉田)

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