2023.10.14

He that don’t want to worry comes near no haunted places.

読書会のカバー画像にいつもなにを描いているんだろうと眺めさせてくれる参加者の方がいます。今回はその画像を拝借し、説明書きもいただいて掲載してみることにしました。鑑賞しながらあれこれ考えるのはおもしろいなと思いました。

 読書会に参加していた方がカバー画像に使っていたものを掲載させていただきました。なにを書いているんだろうかとしばらく眺めてから聞いてみると、なるほど・いやいやと考えてしまいます。個人的には、人が験(げん)担ぎをするに至った背景みたいなものを感じました。(よしだ)

● 「君子、心霊スポットに近寄らず」(日本語訳)

● なぜ「君子、危うきに近寄らず」を変えたのか?ですが、これは引用です。一度は見た・聞いたことがあるであろう言葉を引用することによって、よりその言葉の意味に興味をもってくれるのではないかと考えました(いやパロディでしょ!という意見もあるかもですが・・・)

● 『純粋理性批判』の要約版の『プロレゴーメナ』を読む読書会で、カントの二律背反(神はいるかもしれないし、いないかもしれない)について話し合っていた時、「自分の事として考えたら、どのようなことに結びつくか」という発想のもと生まれた言葉です。

 私は、心霊スポットには行かないことにしているのですが、理由としては心霊スポットに行った後に、病気や事故等の災いが起きたら、「あぁ、これはあんな場所に行ってしまったから、こんな災いが起きてしまったのだ!」と、関連付けて悩んでしまうからです。心霊スポットに行ったから災いが起きたのか、行かなかったとしても起きたのか、それは誰にもわかりません。ただそんなことで悩みたくないなら、最初からそんな場所に行かなければよかったのです。

 その「行かなければいいじゃない」というのが、カントの「神がいる・いないは、答えがでないのだから考えなければいいじゃない(捨て置けばよい)」と重なったわけです。そして、「君子、心霊スポットに近寄らず」が思いつきました。

 カントはその後「それでもなぜ人は神を求め、信じようとするのか?」という問いを、道徳の問題として『実践理性批判』であげているようなのですが、この部分は実践理性批判に関しての本を読んでいないので、安易に「ここがつながるよね」とは言えないし、改めて考えたいところです。ただ何かつながりがあるような気もしています。

(フクシマケンミン)

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