ミシュランガイドの星は、超一流のシェフ達を熱狂させます。いや、取り憑かせると言った方がいいのかもしれません。
ミシュランの星の基準は以下のように明確な形で公表されています[1,kindle349]。
・一つ星 そのカテゴリーで特に美味しい料理
・二つ星 遠回りしてでも訪れる価値がある素晴らしい料理
・三つ星 そのために旅行する価値がある卓越した料理
三つ星の基準を満たすレストランやシェフは、よくよく考えるとすごいことです。旅行先を決める基準は人それぞれだと思いますが、おおむね文化遺産や地域自体が持つ文化的雰囲気、または自然を楽しむことを目指して決めていくのではないでしょうか。それらは、長い歴史や多くの総合的な蓄積があって築かれてきて、人を惹き付けるものになってきました。
それを、一つのレストランが実現するのです。シェフとしては、これほど名誉なことはないでしょう。
だからシェフを取り憑かせます。地元産の食材にこだわり、ときには売買が禁止されているジビエ料理を出すこともあるフランスにある「オーベルジュ・デュ・ヴィユー・ピュイ」のオーナーシェフ・グジョンは、二つ星に昇格した時、うれし涙を一日中流していました[1,kindle150]。
そして、こう言うのです。
「僕にとって、ミシュランは聖典だよ」
超一流のプロが、ミシュランを名誉や満足の拠り所にするのです。
もっと過激な、こんなエピソードもあります。
1991年に念願の三つ星を獲得したロワゾーは、その後も猛烈な働きぶりを続け、支店を出し高評価を得るなど順風満帆でした[1,kindle606]。
しかし、事業を拡大するにつれて次第に肝心の本店の評判が怪しくなっていきました。実際に、ミシュランとは別のガイド『ゴー・ミヨー』は、ロワゾーの評点を19点から17点に下げていました。
ロワゾーは、すこし落ち込んでいました。
そして、ミシュランの星の発表を待たずに、猟銃で自殺したのです。
間もなく発表されたミシュランガイドでは、ロワゾーは三つ星を獲得していました。(ただし、これは自殺があったから二つ星への降格を急遽取りやめたという噂もあるようです)
星の魔力はすさまじいものがあります。
しかし、三つ星の基準を改めて思い出してみてください。それは、「そのために旅行する価値がある卓越した料理」です。人が、安くないお金を払って旅行の目的地に自分の店を選んでくれたら、どんなにうれしいことでしょうか。
しかしその一方で、星の獲得に疑問を感じてレースから降りていくシェフもいるようです。
星のようなものがなければ、あっと驚かせるような料理は生まれにくいのかもしれません。
しかし、料理人冥利に尽きるとは、もっと別のところにあるのではないかとも感じました。星を目指しながらも、美味しそうに食べるお客さんの顔に満足をするという両立は難しいのでしょうか。
〈参考〉
1.国末憲人著『ミシュラン 三ツ星と世界戦略』(新潮選書,2012)
(吉田)