ナチスによるユダヤ人の大量虐殺は、ダーウィンのいとこであるゴールトンの「優生学」に影響を受けたものだと言われています。
優生学とは、生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促せることを示そうとした学問です。資本主義が台頭し世界大戦が起きる中で、富国強兵が要求され、より優れた人間を生み出そうとする思想に社会が傾倒することは自然なことでした。
ダーウィンが進化論を示したことで、猿から、いやそのもっともっと前から進化の系譜をたどってきた人類は、まだ進化の途上であり、もっと進化できるのではないかということが示唆されました。ゴールトンは、ダーウィンが生物全般に対して示した進化論を人間の能力に焦点を絞り込み、優秀な人物は優秀な家系からより多く輩出されやすいことを統計学を駆使して立証しようとしました。そしてナチスはゴールトンの優生学を追い風にするように、ユダヤ人だけではなく、遺伝的疾患と定義づけた疾患を持つ人々を治療と称して監禁したり、挙げ句の果てには虐殺したりしました。
ダーウィンは学者肌であり、純粋に生物の不思議を探究していたイメージがあります。純粋な気持ちで築いた「進化論」を、血の繋がりのあるゴールトンが、倫理的に許されがたい優生政策へ通じるような理論に昇華させてしまったことにさぞかし遺憾の念を抱いたことでしょう。
しかし、案外そうとも言い切れないようなのです。ダーウィンも、『人間の進化と性淘汰』の中で、遺伝的・先天的な性質のみが人間の全てではないと付言しながらも、「肉体や精神に欠陥のあるときには結婚を差し控えた方がよい」と記しているといいます。
つまり、ここで言いたいことは、進化論という一つの新概念を前にしたときに、多少なりとも成長や発展を望む人間であれば、優生思想的なことが頭に浮かぶのは自然なことなのではないかということです。ゴールトンが優生学を導かなかったとしても、他の人が探究し同様の結果を示したことは容易に想像されます。
このような社会像を想像していくと、理論は理論であり、技術は技術でしかないのだと逆に思い知らされます。使い方や思想という色が付加されることによって、人間にとっての意味が大きく転換するということです。それを良いものとするのか悪いものとするのかは人間次第なのだと、改めて考えさせられる歴史的事例でした。
〈参考〉
1.安藤寿康著『心はどのように遺伝するのか ー双生児が語る新しい遺伝観』(講談社,2000)
2.画像元のフリー写真提供者:https://www.photo-ac.com/profile/1767931
(吉田)