自分の足で新たな居場所を探すのは、案外難しいものです。
学校への入学や会社への入社などによって新たな居場所がつくられていきますが、それは自然な流れの中でのこと。能動的に一人で探し始めようとすると、どう動き始めたらいいか分からないし、人のつながりを意図的に作ろうとしてもギクシャクしたりします。
この前のリベルのブックレット『社会関係という土作り 〜人生を支えるもう一つの資本〜』では、人のつながりや社会規範が、長い人生を乗り越えていくための大事な資本になるということを学びました。しかし、そのような資本を具体的にどのように培えばいいのかまでは言及できませんでした。
そこで今回は、いいつながりの築き方をしている人にインタビューをし、居場所の見つけ方について考えていきたいと思います。一部地名などにフィクションを交えながらまとめています。
自己実現というほどでもないけれど
この半年は、トントントーンと、動いた気がする。しかも最後のトーンは結構大きい。なにせ僕が企画したwebサイトが、地元4紙から取材を受けたからだ。そのwebサイトは、新型コロナウイルスの影響で帰省できなくなった人がオンラインで帰省できるようにと思い作ったものだ。誰もが使える地図サービスに、僕の出身地である栄岡市(さかえおかし、架空の地方都市)の名所や思い出の場所を、写真やメッセージと共にプロットしたのだ。
プロットする場所を探したのは僕だけではない。同じく栄岡市に関わりを持ちたい首都圏の人たちにSNSで呼びかけ、写真と短文コメントをもらったのだ。僕はそれを一つ一つコピペしていった。
僕は今、「リトル栄岡」という首都圏在住者で栄岡市に関心がある人がゆるくつながるコミュニティに入っている。オンライン帰省サービスの作成が一気に進んだのも、地元紙に取り上げられたのも、コミュニティメンバーの働きかけがあったからだ。元・新聞記者のメンバーがいて、そこらへんの嗅覚は鋭かった。「そのアイディアは絶対イケる。今、こんな感じで打ち出してみよう。」そうして本当に取材がきた。
コミュニティに入るきっかけは、半年前に「リトル栄岡」が主催したイベントに参加したことだった。イベント後のアンケートで、「運営側として参加したい」にチェックを入れて返したところ、次のイベントから中の人として加わることになった。それから半年と少しが経った。
リトル栄岡の成り立ちは少しおもしろい。実は最初立ち上がった時からメンバーが入れ替わっている。
なぜ入れ替わったのかというと、最初の中心メンバーが栄岡市が好きすぎて、Uターンしてしまったからだ。
コミュニティを立ち上げてそのことを考え続けているうちに、栄岡に身を置きたい衝動を抑えられなくなったのだろうか。人生とは、どこでなにがあるかわからないものだ。
残されたメンバーは少し困った。
二人にまで減ったコミュニティの中心メンバーは、「さすがにリトルすぎるだろ!」ということでメンバーを集め始めた。同時に、新メンバーで活動を再開するにあたって、栄岡市の助成を受けられるプロジェクトにも応募し採択され、その一貫でイベントを開催することになった。それが僕が参加したイベントだったのだ。そのイベント参加者でSNSにグループを作り、地図へプロットする情報も集められた。
リトル栄岡に入る以前も、なんだかんだ数年前から、「栄岡のなんかいい」を伝えたいと思い、周りに話したり、イベントに参加したりもしていた。しかし、仕事が忙しくて運営側に参加できなかったり、なかに入る間口を見つけられないこともあった。でも、時間があるときには、「栄岡のなんかいい」に通じるようなサイトやSNSをフォローして、「なんかいいなぁ」と追いかけていた。リトル栄岡も、以前から知っていた。
サービスや事業としてやっているのかなというレベルのサイトやSNSの質だったけれど、実はそうではなかった。栄岡が好きな人が集まって、仕事とは別でやっていたのだ。それも「なんかいいなぁ」と親近感のようなものを覚えた。運営メンバーは、記者やカメラマン、PRなどを生業にするプロである。みんな仕事以外の時間で、自分のスキルを活かしてリトル栄岡をつくっているのだ。
なにかが動き始めるのは、直線的で右肩上がりではないのだと実感している。
どうにか栄岡に関わることはできないかとイベントに参加しては探り、いい感じの活動をフォローしてはゆるく追いかけていた。そうしたらリトル栄岡に間口を見つけることができた。
ここしかないとドンと飛び込んでみたら、この半年はやりたいことが本当に一気に進んだ感じがする。
ちょっとずつ動いていて、波やタイミングが来るのを待っていればいいのかもしれない。なにがなんでもというほど必死で動き回ったわけではない。負担にならない程度で少しずつ動いていたら、求めていた機会に巡り会うことができたのだ。
今は、「栄岡のなんかいいを伝えたい」という、仕事ではないけれど何となく成し遂げたい目標が叶えられている。
そして、そういう思いを一緒に話す時間が得られているというのは大きい。イベントがある時期は飲まずに休日の午前中に企画打ち合わせをし、ない時期は飲みながらやりたいことを話している。基本、やりたいと出てきたことにNOはない。楽しむ時間が増えて、また一つ生活にアクセントがついた。
まとめ・参考情報
今回は、首都圏に住みながら自分の地元にも関わりを持ちたいと考えていた人にインタビューをしてみました。居場所を探すというよりも、自分の好きなことややりたいことをフォローしたり追いかけたりしていたようです。また、能動的に探しながらも、待つ時間も比較的長く、見つけたというよりも「見つかった」という表現の方がしっくりくるのかもしれません。
最近では、地方創生の取り組みの一貫として、「関係人口を増やす」というのが一つのスローガンになっているようです。関係人口とは、いつか帰りたいと考える出身者や、家族にルーツがあり故郷としての意識がある人、あるいは旅行で何度も訪れてしまう人など、地域への関心が高い人を含めた人口のことです。行政としては最終的には移住してもらいたいようですが、いきなりの移住は環境が大きく変わるためハードルが高いものです。そこで、物理的距離が離れていても関心が高い人と関係性を築いていくことで、将来的な移住につなげていきたいと考えているようです。
行政は関係人口を増やすために、様々なプロジェクトや助成を行っています。総務省のポータルサイトもあるようなので、関心がある地域について調べてみるのもいいかもしれません。
■地域への新しい入口 「関係人口」ポータルサイト
https://www.soumu.go.jp/kankeijinkou/index.html
ただ、今回インタビューで登場した「リトル栄岡」は、行政とは関係なく立ち上がり活動が行われています。
最近では、比較的若い層の人たちが、サイトやイベントを立ち上げSNSで発信しているのも見かけます。自分にとっての居場所を見つけるという点では、同じ気持ちを持ったゆるやかなコミュニティの方が、居心地が良かったりするのかもしれません。
少し余裕が出来た時に探し、フォローし、時にはイベントに参加したりしながら、ゆるやかに居場所が見つかっていくことがあるというのが今回の一つの学びでした。少し長い目線で、動いては待つをくり返してみることは、それ自体が生活のアクセントになりそうだとも感じました。
(吉田)