2019.10.02

毒のある人。

 「あの人は毒気がある」「あの人は組織にとって劇薬だよね」など、私たちは人の個性を言い表す時に「毒」の意味をもつ言葉を使います。毒とは有害で悪いものですが、その表現の中には「なにか魅力的」「なにかやってくれそう」というような、ポジティブなニュアンスも含んでいます。私たちは「毒」のなかに、何を見ているのでしょう。

 生物に有害な作用をもたらす毒は、本来、植物や動物がもつものです。
 たとえば、ケシの未熟果実から摂られるモルヒネは、血圧低下や呼吸抑制などの強い毒物作用があり、動物がケシを大量に摂取すると死に至ります。ほかにも、植物由来の「ビンカアルカロイド」や「パクリタキセル」などは、細胞分裂を止める作用があります。

 このような物質が毒として作用するのは、生物に作用して何らかの生体反応を起こさせる「生物活性」と呼ばれるメカニズムによるものです。これは、たとえば、動物の神経伝達を遮断して動けなくする、細胞の分裂や成長を阻害するなど、生物が本来持っている機能を、毒がもつ化学的な作用によって阻害する、あるいは時には過剰に活性化させるものです。
 つまり、毒とは、相手が本来もつ機能を利用して、自分がもつ独自物質を作用させて働かせることによって害を与えるものです。

 そして、その毒は、私たちが使う「薬」にもなります。
 モルヒネは、鎮痛薬としてガン患者の痛み緩和や、心身の苦痛を除去する治療に使われます。また、「ビンカアルカロイド」や「パクリタキセル」は、ガン細胞の異常増殖をおさえることに利用できるので、抗がん剤として利用されています。

 このように、「毒」は「薬」にもなるのです。
 しかし、その成分がもたらす作用は基本的には同じであり、生物の機能を利用した生物活性によるものです。つまり、その成分がもつ同一の作用が、使い所や使う量によって、毒にも薬にもなるということです。

 毒気のある人の個性の裏側に、ポジティブなニュアンスをみるのは、同じような理由によるのではないでしょうか。
 相手のもつ個性は、自分の中の何かに作用して、ときには劣等感や嫉妬を、ときには可能性や刺激をもたらすことがあります。毒気がある人が魅惑的にうつるのも、同じようなことを感じるからではないでしょうか。それは、自分にとって毒であり薬にもなります。それは劇薬であることが多いのかもしませんが、人はそれをどこかで求めているのかもしれません。

 芸術家の岡本太郎氏は、『自分の中に毒を持て』という著作を出しています。それは、決して安住することなく、何かに囚われることなく生きていくためには、自分の中に毒を持ち、それを自分に対して作用させ続けることが必要なのだと、そう言っているように思いました。
 毒をもつことが自分を危険に追いやる一方で、魅惑的な何かを生み出すことにもつながるということでしょうか。また、それをきちんとコントロールしてくれる人がいれば、それは薬としての有用に作用させることもできるのかもしれません。
 自分の中に毒を持ちたい。

(吉田)

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#主体性 #個性・多様性

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