この時期はそこかしこにセミの亡骸を見かけます。セミは短命なのです。
セミのような短命な生き物をみたときに、少し可哀想に思ったり、人間で良かったなんて思ったりするかもしれません。
しかし、短命であることのメリットもあります。それは、進化のサイクルを早く回せることです。生き物は世代が変わる時の稀に起こる突然変異が環境に適応していた時に生き残り、次のスタンダードとなる小さな一歩を踏み出します。
どんどん変わるわけでも、戦略的・合理的に意志を持って変わるわけでもないため、進化のスピードはとてもゆっくりです。それでも、寿命が短いことで次の世代にどんどんとパスを回せるため、進化のスピードや柔軟性は短命の方が高いと考えられるのです。
短命であるがために、進化の点では私たち人間よりも優れているとも言えるため、可哀想だなどと思うことはお門違いであるとも言えます。
しかし、注意しなければいけないのは、セミの場合は成虫としては短命ですが、幼虫時の長い地中生活を入れると実は長く生きています。アブラゼミは6年、北アメリカに生息する素数ゼミは長いもので17年もの寿命をもつのです。
今ほど自然環境に人間の手が及んでいない時は、長い地中生活はあまり問題ではなかったかもしれません。幼虫として地上に生まれ地中に潜る時と、成虫として地上に出てきた時に大きな変化はなかったでしょう。
しかし現代は、特に都市部に産み落とされた幼虫は、6年後地上に上がった時その光景は一変していることでしょう。親ゼミがしがみついて鳴いていた木はもうなくなっているかもしれませんし、地中から這い上がろうとしたら地面がコンクリートで固められていて頭がつっかえてしまうかもしれません。素数ゼミなどは17年ぶりに地上に上がったら、地球温暖化により気温も気候も変わってしまっているかもしれません。人間のように、コンクリートをぶち破る重機や周囲環境を快適にするエアコンを持っていないセミにとっては死活問題です。
それでも人間よりは短命なセミは6年や17年というサイクルで進化のPDCAを回していくのでしょうか。おそらく、そのようなペースでは進化による環境適応は困難であると考えられます。
気候変動は人間が引き起こしたものなのか、それとも地球のサイクルの一端なのかが長らく議論されてきていました。しかし、そこまで大局的な見地にたたなくても、セミの立場からすると、人間は自然現象では起こり得ないスピード感で環境変動を及ぼしています。「勘弁してくれよ」では済まされないのだろうなと、夏のピークのこの時期にセミの鳴き声を聞き亡骸を目にしながら思ってしまいました。
〈参考〉
1.画像元のフリー写真提供者:https://www.photo-ac.com/profile/834383
(吉田)