2020.08.05

つながる先が未知な目的的学び。

 学びというと、「〜〜のために」学ぶという手段的学びが頭に浮かびます。たとえば、受験勉強は大学合格やその先の就職のための学びであり、資格の勉強は資格取得やその先のキャリア形成のための学びです。本も、仕事などで直面している課題に結びつくからという理由で読むのは手段的な読書・学びであると言えます。

 「〜〜のために」とは、目的を達する上でとても重要です。たとえば私は大学までアルペンスキーをやっていましたが、結果を出そうと思ったら、ただ楽しくスキーをやっているだけではいけなくなる時期がきます。夏には筋トレやランニングなどによって体づくりをし、冬には単調な基礎練習もします。退屈に感じても、その先の結果を求めるためには必要です。

 「〜〜のために」という手段的行為には、一つの特徴が伴うと考えています。それは、目的に収束していくということです。手段は目的のためにあるのですから、あたり前のことであるともいえます。

 しかし、目的自体は最初から収束しているものなのでしょうか。

 たとえば、〇〇大学の〇〇学部を目指そうと思って受験勉強を始めたとします。目的は定まっているので、逆算して高校3年間なのか中学からの6年間なのか、そのための勉強に邁進することになるでしょう。しかし、途中でもっと面白いと感じてしまう学問分野が見つかるかもしれません。あるいは、面白いと感じてしまったことや、面白いものを発見してしまう機会自体を、邁進しすぎるがあまり避けて通ってしまうことになるかもしれません。仮に学校での勉強を受験のための手段だと割り切ってしまうと、目的の広がりを得られなくなることにもつながると考えられます。

 それに対して目的的学びは、それ自体を面白いと思ったり強い関心を持って行います。私はこちら側の学びに着手することが苦手なのですが、意識的に「おもしろそう」と思ったことを学んでみると、次につながる感覚を覚えることがあります。
 決して目的につながるわけではありません。頭の中でいろんなことが広がり、予想外の方向に思考が進んでいったり、逆に自分の内的動機に気付いたりすることがあります。未知の方向へ誘ってくれる学びが、それ自体を楽しむような目的的学びであるように感じるのです。

 人にはそれぞれ、直面している課題や課せられたミッションのようなものがあると思います。それらに対峙するには手段的学びを行う必要があります。また、目的に近づくための手段的行為は達成感につながり、日々の生活を充実させてくれます。

 しかしながら、目的自体が決して最初から収束しているものではなく、個人個人にとって異なり且つ広い可能性を秘めているという前提に立つのであれば、まだ見ぬ世界に誘ってくれる目的的学びも幾らかの割合で組み込んでみるのも有意義なのではないかと思っています。

(吉田)

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