2020.06.26

生活と切り離せない美。

 縄文時代の土器を初めて見た時、どのようなことを思ったでしょうか。多くの人はおそらく、学校の授業の資料集などで見たのではないかと思います。

 「火焔土器」に代表される土器の縁や側面に施された複雑な文様は、人の目を惹きつけます。それに対して、弥生土器は火焔土器のような複雑な文様は取り除かれ、縁も水平に整えられ、側面も凹凸がなく平らで、シンプルです。
 一見すると、弥生人には美を重んじる感性が欠如していたようにも思われますが、そうではありません。土器とは別の銅剣や青銅器などに、光り輝く美しさや人や社会を表す文様という美を求めていたのです。

 私たちは機能だけではなく、美をどうしても生活に求めるようです。そして美とは想像によって形成されるものであると考えられるため、作り手にとっても受け手にとっても無限大です。

 先日、パソコンを買い換えました。MacBookを使っていたのでまた同じくMacにしようと思っていたのですが、5年ぶりの買い換えなので家電量販店で最近のパソコンを見てみることにしました。
 すると、WindowsSurfaceのデザインも思った以上に、いい。タッチパッドやキーボートの使いやすさもMacBookと遜色がなさそうでした。コスパもSurfaceの方がいい。Macという既定路線から脱却して、自分にとっては新しいSurfaceの世界にいくべきか。

 しかし、結局MacBookにしました。決め手は「Think Simple,Think Different」。精神的な部分で、長い目線で自分に進歩をもたらせてくれるのではないかと思ったのです。
 そう思い始めると、MacBookのシンプルな筐体デザインも、何ができるのか分かっていないタッチバーも、先駆的なものに見えてきました。今ではMacBookを選択して良かったと噛み締めながらキーボードを叩いています。

 私たちはどうしても生活に美を求めてしまいます。そして、美とは想像によって膨らんでいくものなので、無限大であるとも言えます。生活のなかに美があるということは、私たちに大きな豊かさや広がりをもたらしてくれるということなのかもしれません。


〈参考〉
松木武彦著『美の考古学 ー古代人は何に魅せられてきたか』(新潮選書,2016)(このコンテンツを書くにあたっての刺激となった本として)

(吉田)

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