2021.09.11

空気の振動に乗せてきたもの。 ーテーマ「話すこと」の読書会

 糸電話の、糸の振動に乗ってやってくるものは、情報だけではありません。だいたいの場合は、わるふざけの心も一緒に乗ってきます。いきなり大きな声を出したり、声色を変えたり、昔の恥ずかしい話を持ち出したり。あるいは、ここでしか聞けない秘密の質問をしてみた人もいるかもしれません。はた目には、コップに口と耳を互いにくっつけて間に糸が引かれているだけなのですが、そこには不思議な空間のようなものが生まれていたような気がします。

 7月のはじめから8月の末まで、「話すこと」をテーマにおいた読書会を開いていました。いつものことながら漠然としたテーマで読書会を開いていると、いろいろな本が持ち寄られ読まれます。どんな本が読まれたのかを振り返りながら、話すこととはどういうことなのか、考えたことをまとめてみたいと思います。話すことは人類が大昔に発明したプラットフォームなのだ、なんてところまで考えてしまいました。

「話すこと」の読書会

 読書会ではいろいろな本が持ち寄られて読まれました。タイトルを紹介してみます。

日の名残り/ロジカル・ディスカッション/人間の建設/超一流の雑談力/日本的霊性/「私」を生きるための言葉/「私」を生きるための言葉/コンピューターは人のように話せるか?/ザ・レトリック/スチュアート・ホール/彼岸の図書館/ザ・レトリック/対話のことば/対話のない社会/シーグラス/哲学の先生と人生の話をしよう/ヒトの言葉機械の言葉/善の研究/できる大人のモノの言い方大全/哲学入門/「聴く」ことの力/その他の外国語/対話のことば/超雑談力/MC論/i/ワイルドサイドをほっつき歩け/バフチン/菊と刀/きけわだつみのこえ/失敗の本質/現代イタリアの思想を読む/人は語り続けるとき、考えていない/「聴く」ことの力/善の研究/今どきの大人と子どもの本/話すための英文法/和解する脳/話し方入門/品よく美しく伝わる「大和言葉」たしなみ帖/ザ・レトリック/人を動かす対話術/異文化理解力/オセロー/人は語り続けるとき、考えていない/山椒大夫 高瀬舟/質問 questions/無意識の構造/デザインの輪郭/「聴く」ことの力

 一言でまとめることなどできそうもありません。スキルや作法のことから、言葉に目を向けたもの、話すことではなく聴くことに目を向けたもの、いい話す場をイメージさせるものまでさまざまでした。哲学の先生に相談する本も、文学者と数学者が対談する本も、考え出したら止まらなくなるようなユニークな質問がひたすら載っている本も読まれていました。
 ひとつ発見だったことは、私たちは話すことでただ情報伝達をしているにあらず、もっと多様な体験をしているということです。すこし飛躍的な例かもしれませんが、フィンランドで発達した「オープンダイアローグ」という対話手法があり、精神疾患に対する治療法として薬物治療よりも高い成果があげられていることが紹介されている本も読みました[1]。話すことの上に乗っているのは、デジタルなビット情報だけではないようです。

その昔、人類は話すことを手に入れた

 人は話すことで何を手に入れたのでしょうか。何ができるようになったのでしょうか。話すことで出来ていることの多様さを知ると、人類にとっての話すこと、のような根本にも目を向けてみたくなってしまいました。

 『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリは、その著書の中で、およそ7万年から3万年前頃に、ホモ・サピエンス(現代の私たちを指す種名)はそれまでとは違う新しい思考と意思疎通の方法を手に入れたと言っています[2,kindle441]。それまで、というのは、ホモ・サピエンスとしての歴史は数十万年前を始まりとしていますし、アウストラロピテクスやネアンデルタール人などのヒト属全体の歴史は数百年前を始まりとしています。ヒト属の歴史が始まった頃でもホモ・サピエンスの歴史が始まった頃でもない、すこし中途半端な7万年前頃に、「認知革命」と呼ばれる思考や意思疎通の画期があったのです。
 他者と意思疎通をはかる言語的な手段は、サピエンス以外ももっています。サバンナモンキーは「気をつけろ!ワシだ!」と「気をつけろ!ライオンだ!」という異なる情報を、鳴き声で伝え分けられるようです[2,kindle441]。他にも、ミツバチは「8の字ダンス」という特殊な飛び方で、同じ巣に暮らす仲間に良さそうな新しい巣の場所を共有しているとされています。
 しかし私たちサピエンスは、どんなに謙遜したとしても他の生物よりも複雑な意思疎通ができていると認めざるを得ないでしょう。およそ7万年前の認知革命以後、新しい意思疎通の手段を使ってサピエンスはどんなことを為してきたのか、ハラリは3つの説を紹介しています[2,kindle460]。
 1つ目は、柔軟な情報を伝えられるようになったことです。「気をつけろ!ライオンだ!」と目の前の危機を伝えることができるサバンナモンキーに比べて、「気をつけろ!10頭のライオンがあと10分くらいでここに到達するぞ!」と伝えることができたでしょうし、「ライオンが近くにいるけど腹はすかしていないようだから、まだ様子をみていてもいいかもしれない」と伝えることもできたかもしれません。柔軟な情報は、とるべき行動を考える上で役に立ったはずです。
 2つ目は、ライオンなどの外敵に関する情報のやりとりだけではなく、身内に関する情報のやりとり、つまり噂話のために意思疎通は発達したとする説です。サピエンスよりも強い動物は自然界にはたくさんいましたし、同じヒト属で生存期間が重なっているネアンデルタール人はサピエンスよりも身体的には強かったされています。サピエンスにとって、協力し合うことはひとつの妥当な生存戦略でした。協力し合えたからこそ今日まで生き残ることができたと考えられています。協力し合う上では、個々の能力面や性格面だけではなく、人同士の相性の良さも知った上で、役割分担をする必要があります。また、個人個人の日々の所作・言動が集団の中で行き交うことで、裏切り行為のようなことも起きづらくなったことでしょう。身内のことを話す噂話は、協力活動に欠かせないものであったと考えることができるのです。
 3つ目は、ハラリが最も強調する説ですが、存在しないものを伝達することができるようになったことです。現代でいえば、目標や目的、夢やビジョンといったものでしょうか。個人的な想像ですが、この能力がなければ、アフリカ大陸を出て世界中にサピエンスが広がることも、大航海時代にコロンブスがアメリカ大陸を発見することも叶わなかったかもしれません。彼らは、あっちに進めばきっとこんなものがあるはずだと想像し、話して共有し、信じて進んでいったのではないでしょうか。存在しないものを語り、他者をそして自分を信じ込ませる力が、今の人類社会を作っていると言えるのかもしれません。

 7万年前の認知革命で人類は、柔軟で豊富な情報を仲間内でやりとりし、今ここにないことまで語り信じることができる、話すことを手に入れました。それは革新的な作用を及ぼしただけではなく、2人以上の人間と空気さえあればできるとても便利なものでした。人類は、認知革命以来これまで、この革新的で便利な道具をきっと使い倒してきたはずです。

話すことに乗せてきたもの

 すこし仰々しいですが、「話すこと」をテーマにした読書会における話題や本の多様さは、人類がそれを駆使してきた結果であるともみることができるのかもしれません。
 社会には、集団で進むべき方向を決めるための議論があり、他者をよりよく知るための対話があり、相手を打ち負かすための討論があります。そしてそれらには、それぞれの目的をよりうまく達するための方法論が蓄積されています。
 誰かに教えを請うためにはそれなりの話の切り出し方があり、教える方も相手によってそれなりの話し方を選択します。同じ哲学者でも哲学者同士で議論する場合と、子どもに何かを教える場合には話し方は変わってくるでしょう。互いの知を共有し発展させたり、新たな好奇心を抱かせたりしながら、知は広がり深められてきました。
 言葉の使い方には、文化が反映されているという話題も出ました。欧米などに比べて日本の場合は「私は」と付けることが少ないのだそうです[3]。「私は」とつければ、意見や感想の主体が誰であるかを明確に示すことになります。他方でそれを付けなければ、集団としての意見であり、暗黙の了解であるかのような伝わり方がするのだそうです。個人の集まりとして集団をみるのか、集団の一体性を重んじるのか、その文化の価値観が話し方にも反映されているのだそうです。あるいは話し方によって文化が浸透している側面もあるのかもしれません。
 そして個人的に最も驚きだったのは、対話が「オープンダイアローグ」という手法として確立され、精神的な治癒に大きな効果を発揮しているという点です。専門家にかかるほどの症状をもたない人でも、思い返せば、話すことですっきり・はっきりすることは実感があることなのではないでしょうか。治癒的な効果があるとは、改めて言われると驚きでした。

 話すことは、身もふたもない言い方をすれば、ただの空気の振動を生み出しているだけです。それは波形にしてしまえば、デジタルなビット情報と同等の無機質なものとして捉えられるでしょう。しかし私たちは、話すことで日々さまざまな体験をしており、心や脳、身体にその影響を受けています。集団の文化や主義・思想、個人同士の関係や日々の生活の豊かさをつくり出しています。
 空気は地球上にいるかぎりどこにでもあります。そして話すことも多くの人ができることでした。だからここまで多様に発展してきたのかもしれません。あまりにも身近でありすぎるから、糸でつながったときのように特別な事とはあまり思えないかもしれません。しかし、話すことに様々なことを乗せて人は生きてきました。これからも「話すこと」という人と人とが共有する見えないプラットフォームの上で、自由で独創的な体験を私たちは発明していくことでしょう。



〈参考図書〉
1.斎藤環著・訳『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)
2.ユヴァル・ノア・ハラリ著/柴田裕之訳『サピエンス全史(上)』(河出書房新社)
3.泉谷閑示著『「私」を生きるための言葉』(研究社)

(吉田)

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