宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を読んだことはあるでしょうか。読んだことがある人は、この詩にどのような解釈をしたでしょうか。
『雨ニモマケズ』とは、このような詩です[1]。
「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリ(※)ノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
(…)」
素直に読めば、多くを求めず慎ましく、人のために労を惜しまない生き方を理想とする賢治の意志が表されていると見てとることができます。
しかし、別の見方もできるようです。それは厳しかった母が賢治に求めた生き方が詩に表されたものであり、賢治はそれを求めはしたけれど、求めきることはできなかったとも捉えられるようなのです[2]。最後の「ワタシハナリタイ」とは、なれていないから「なりたい」と言っているとも捉えられるというのです。
賢治は、一度は教職に就きながらもその職を辞し、農村における芸術の実践という理想を掲げるなど、独自の考えを持ち実現しようとする野心的な部分もありました。周りが求める生き方と、自分がどうしても求めてしまう生き方の間にギャップがあったのではないでしょうか。
誰でも抑えられない性があります。賢治もその葛藤の中で生きていたのではないかと思いました。その葛藤が、人を動かすものを生み出すのかもしれません。
〈参考〉
1.『雨ニモマケズ』(青空文庫)
2.『なぜ「雨ニモマケズ」は国民的な文学となったのか』(NHKテキスト)
(吉田)